現代文化の快楽

60年代に東大の文系・理系の大学院生がコラボして、他大学にも声を掛けて、横断的に作っていた現代文化研究会へのオマージュ

愚管笑(十六)  茨城県と常総市 ・・・ 田舎県で自民党ボスに勝った男の哀れ

2015年09月16日 | 随想録

東日本大水害

15人(その内一人は虚報)の行方不明者全員無事で良うございました。

鬼怒川堤防決壊(常総市 9.10午後3時頃)


茨城県の災害対策本部は、警察から14日2回に亙って全員無事との結果を知らされていたが、翌15日朝10時からの県・市合同会議の際も伝えず、終了後発表した。常総市側もそれで初めて知った。

県の担当者は、「被災者が減る話だから、伝えるのは後で良いと思って居た。」と涼しい顔。

15日朝も、常総市は、消防士らを大動員して、横一列に並んで水田や草原を棒で突きながら遺体捜索していた。(テレビによる。写真がネットに出次第当ブログに転載予定)

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評論家達が言う様に、とかく災害時の情報共有が行き届いて居ないにしても、余りにひどい話だと思ったら、案の定、政治筋から真相が伝わって来た。

現市長の高杉氏(早稲田出)は、茨城県の自民党のボスで県議どころか国会議員まで束ねているとされる山口武平氏が当選させていた市長(オナゴさん)を破って当選したものなので、田舎政界の常識として、事ごとに意地悪、サボタージュされ、苛められるものだという。

(蛇足) 市民の信用を失うし、県とのパイプが切れていることを選挙民に見せつけ(て次期落選を計)ることが出来る上に、消防士らに余分な一日なり半日なりのため支払う特別な出動手当も、小規模な市では馬鹿になるまい。如何にも小役人らしい巧妙な苛め方であることにつくづく感服する。


愚管笑(十五) 鬼怒川の堤防を2メートル低く削ってソーラーパネルを設置していた・・・そこからも氾濫

2015年09月13日 | 随想録

大雨災害お見舞い申し上げます

濁流の中で(鬼怒川の中ではなく、街の中で、自宅まで後10メートルのところで帰れず)、

4時間救助を待って助かった父と息子。(常総市)†

 

毎日「余録」やWIKIによると、鬼怒川と書かれるようになったのは水害(きっかけとなる事が起こったらしい。)を戒めるために、明治以後誰か賢い人がやったことで、それ以前は「毛野川(毛野河)」(栃木、群馬界隈の古称)と記されたが、中世から近世には「衣川(衣河)」や「絹川(絹河)」だった。

その名残で、写真の常総市には市立絹西小学校、隣(未確認)のつくばみらい市には市立小絹小学校が有る。前者は市制十周年とか。後者も同年か。

それは扨て措き、他に知らなかったこと二つ。

今回の決壊箇所の3kmばかり上でも水が堤防を越えたところが有り、決して安全では無かった。(小規模な決壊、氾濫は、支流の市や町の方々で有ったが、ニュースは常総市と東北のみ・・・これも今時の報道の危険性を現わすもの。)

ところが、その部分は「自然堤防」で、私有地で有り、所有者が流行の太陽光発電パネルを設置するために2メートル低く均したばかりだった箇所。しかし国ではこの種の勝手な工事を全く規制出来ないそうな。(土建省の課長談)

つまり、日本古来の、伝統・常識(慣習法?)で、護られて居たものが有るのでございますね。

もし、これが大災害になって居たら、近代以前だったら、何であろうと所有者は死罪か、村人に咎められて居た事で、バランスが取れて居たのでございませう。

(愚が述べることではなけれども、現代だと民事賠償の裁判になるが、「予見不能の天災」ということで、請求が却下される。)

何だか変でございます。さりとて規制を始めたら、役所の利権を増やすだけだから、拙速にそれを推進すべきだとも思いませぬが。

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WIKIによると、絹川は利根川に並ぶ大河だったが、徳川家康(1590年に江戸に移る。)が、改修して後者の一支流にしたという。それで「河」の表記が有ったのかも知れぬ。「鬼怒川」の表記に変えた者も、上述した何らかの災害だけでなく、先祖伝来の、三百年に垂んとする徳川支配期の恨みを晴らすつもりが有ったのやも知れませぬ。

なお、家康の治水事績も、実はその前の太田道灌等の物であるとか、いろいろ歴史の歪曲も有るようでございます。ほんにこういうことでもないと知らない事が多かったものでございます。

偶々、今日の日曜美術館は、ちょうど徳川家康等に纏わる展覧会も取り上げている。

 

† 家はその間に流された。50代の父親は隣の2本の電柱が倒れたので、自分のが倒れることに備え、浮き輪代わりに出来るように、流木を足で抑えている。

この精神を我らも見習わねば。

別れ別れになった妻とも避難所で無事会えたという。こちらまでほっとしました。

 


愚管笑(十三) センス 

2015年09月03日 | 随想録

 

 素晴らしいデザイン ほれぼれするような作者の感性が現われている。†

 

 「扇子団扇に字を書く者は、医者か坊主は又は馬鹿」と呟きながら、亡き母が良く団扇に字を書いて居りました。

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† 共同通信―河北新報(2015/9/3)より転載 

 

写真左 2012年5月15日横手市のちらしを制作者の秋田県の男性デザイナーがブログ掲載。 写真右 2012年5月24日発売のHANAKOに佐野氏の作品として掲載されたもの。

 

     

(蛇足) これもまた「プロが見ると全く違うが、(専門知識の乏しい)一般人が見ると真似たような印象を与えるものかもしれない。」一例か。

蛇足の蛇足 「国民を舐めんなよ。」 誰かが書いて居たその言葉に同感。この男のことではなくて、上の発言をした「権威ある」専門家達のこと。