現代文化の快楽

60年代に東大の文系・理系の大学院生がコラボして、他大学にも声を掛けて、横断的に作っていた現代文化研究会へのオマージュ

 『諷漫亭』という東屋(あずまや) 三    四合院と胡同 

2012年05月15日 | 随想録

本項ニへのコメント(通りすがりの者様)で懐かしく思い、ネット写真を探訪しました。

↓老舎記念館(北京) 四合院

中庭(コート)

私が訪れた90年代半ば、胡同(四合院が連なっている街区)がスラム化して(したとして?)、どんどん壊されていました。世界的に惜しむ声が有ったので、その後どうなったか?

私は、上の記念館よりも(老舎を知ったのは喜びでしたが)、胡同の雰囲気が好きでしたが、まだ住民が生活していましたから、内部は、開いている門から覗けるだけで、敷地内に入れなかったのが、今でも残念です。

(コンダクターの私の案内をしてくれたのが、精華大学教授のお嬢さんで、とてもじゃないが胡同の住民と話をして、入れてもらうなどという度胸は無かった!)

下は現状。

壊されたところ。(住民を住めなくした段階で事業を中断しているのか?)

穿った見方をすれば、反体制派の隠れ家でも有りえたので、強引に撤去しようとしたものか?

90年代はきちんとして庶民なりの清潔な生活感が有りました。屋根にも道にもぺんぺん草など生えて居なかった。車も停められていた。

↓以前の胡同街 結構外観は立派でした。 中を覗くと、先入観もあってか、稀に長屋風の庶民的な暮らし振りを感じることが、無かったとはいえないにしても。

↓以前の胡同街の床屋 将棋を指しています!

 


『諷漫亭』という東屋(あずまや) 二 

2012年05月12日 | 随想録

↑会芳亭(クリックで拡大)

 

掲示板のエントランスが地味すぎるので、東屋の写真を探しましたが、どうもしっくりするのがありません。

本来のイメージで、なんとか見つけたのが、下の写真(和歌山県紀北町のタネ蒔き権兵衛屋敷内)

   

鯉は読者か 参加者か (七 七)

錦鯉

大物も 結構いるぞ 駒音に (五 七 五)

錦鯉

途中で、イメージとは全く逆ですが、復元された東大図書館前のを見つけました。パビリオン

これは四阿(あずまや パビリオン)としている。東大の中にはテラスやパーゴラも割とちょこちょこ有ったように思うけれども、どんどん壊されて来たんですねえ。まあこの写真のようなものは、東京駅のドームと同じで、元々あったものでなければ、絶対に作れない時代になりました。

(駒音の『東大‥』スレッドでどなたかに質問された、学士会(館)に通じる。特権的贅沢の名残)

一方名前に合うのは、上の中国風の亭(チンと読みます。) 横浜中華街

結局マダ、掲示板にテキトーなものは無く、マタ探しますが、東屋マタは四阿にもいろいろ有るものだと感じました。マタ、いわゆるアジアン(←ほんとはエイジアンでせうが)テイストのものも載せます。

[お断り]写真の転載については、私の思想に基づいて大らかに行っていますが、ご意見等有れば遠慮なくお聞かせください。(なお写真そのものがコピーできる場合には、ソースへのリンクはよくよくの理由が無い限りしない方針です。)

サイズがはみ出すとか、時間を置くと消えるとかいうことについては、大らかというより大摩訶にお考えください。

なお、大きな写真も、概ね画面のずらし操作で、全体を見ることができます。また最上部のもののみクリックすれば別ウィンドウで、原寸または、上の物の2.5倍程度のサイズのものが見られます。


『諷漫亭』という東屋(あずまや)

2012年05月11日 | 随想録

『諷漫亭』というタイトルの掲示板(←これ自身がリンク)を開設しましたので、本ブログの読者はご自由に利用してください。更なる説明は、そちらに載せた『この掲示板について』のトピック冒頭文をご覧ください。

ところで東屋(あずまや 四阿とも)という呼び名の由来を初めて知って驚きました。なんと、

東国の粗末な建物

という意味だったんですね。


知性の不等式(5)  A ≠ B

2012年05月10日 | 随想録

先日痴愚神礼賛(昼間本屋から渡辺訳が届いたという連絡が有った。)と名乗る人が、駒音に知性の等式を書かれた。† それにはそっちのほうで最小限度のコメントをしたので、後日マタ取り上げることにして、今宵は盤側で、熱い論争になっている

  不等式  A ≠ B

を取り上げる。要点は、馬氏が主張する

  通りすがりの者氏 = 藁人形氏

を否定する問題である。

次の段落(紫字)は、学問または立花隆氏について興味のある人以外は読まないでください。ただし、後で、この部分の記述を引用することがあります。

ちょっと衒学的に脱線するが、じつは「=」(自己同一性)の概念は、数理論理学や、それに依存している近代(20世紀)の数学では、そう簡単なものではない。近代数学‡について全く無知な筈の立花隆が東大先端科学研究所の客員教授になっているのはともかく、ホワイトヘッド(20世紀最高の数理哲学者)の思想の講義をしているのだから、理系も舐められたものである。羽生の講義のように微笑ましいというわけには行かぬが、立花(たしか東大仏文出)を見れば、理系の人間も、大胆に振る舞わないと、日本の知的文化が堕落すると思う。なおこの人が生まれたという昭和15年は、真の才能が見えない割に奇妙に野心的な理系人もかなり出た年だと言う印象をもっているが、立花自身は現役合格者の人より2年遅れて24歳で卒業したらしいので、我々の世代のような文理交流が有ったかどうかは分からない。

さて、匿名掲示板では、筆名ないしHNの、

  A=B

は、最も興味ある命題の一つであり、それゆえ駒音掲示板の場合には、議論が禁止されている。当否はともかく、このルールは武者野勝巳氏による「管理についての発言禁止」のそれとは異なり、悪魔か悪鬼かに委ねられても、拡張解釈や不道徳な恣意的運用に繋がる弊害は余り無い。

一方で、これを否定すること、つまり

  A ≠ B

を証明することは、事実上不可能なことも多く、誰かが言ったか、私が言ったか、

  悪魔の証明問題

になる。

(蛇足)私は、

  藁人形氏 = 痴愚神礼賛氏 ≠ 通りすがり氏

と推定している。

蛇足の蛇足 昔2チャンネルで、

  〝教授〟(の称号がマダ無かった頃)=武者野

と言う説について議論が分かれていたことが有った。

其のマタ蛇足 つまりその頃は武者野氏は数学的知見まで含めて大いに高く評価されていたわけである。

 

 『東大‥』35.  痴愚神礼賛 - 2012/04/29(Sun) 07:15 No.43249

‡ ノーベル賞受賞者のかのバートランド・ラッセルと共にホワイトヘッドが著わした『プリンキピア・マテマティカ』こそが聖典。序文だけなら専門家でなくとも読めるだろうが。


輓側チャチャチャ(2) 掲示板の金銭的価値

2012年05月10日 | 随想録

別項で駒音掲示板のブランド価値を議論したことと関連するが、盤側筒井氏が引き続き述べておられる見解は面白いし、ためになる。商品価値と「好事家」の価値とを区別しておられ、マタ前者については、いろいろと教養を披歴してもおられる。

しかし、どうも過小評価しては居ないか。「好事家の道楽的蒐集」と「事業家の勲章」、「大人の玩具」、「別荘」との間にはマタずれがあるのではないか?

「別荘」(マタは東屋)には、文人墨客が出入りしている。さもなければ、白鳥か鶴が飛来し、あるいは(馬や)鹿が現れ、そうでないまでもいつの間にかカモや魚が寄って来るようになった大池が有る。そして毎日それを観に大勢の人が集まって来る。「別荘」そのものの経費として不動産屋に払うのは、自宅と全く切り離しても月1万円足らず。マタそのほかにフツーの管理人(†)を雇えば、世間の相場ならば月数千円。

「別荘」の土地建物は評価額ほぼ0でも、人だかりがする場所というのは、何らかの値打ち、利用価値、効用が有るものだ。それをネット上で新たに作るのは、そう困難でもないかもしれぬが、さすがにもともとプロ将棋棋士の何某が建てた「駒音亭」とかと、将棋好事家の間ですでに有名になってしまっていると、格式も出てくるし、なんといってもそこに出入りしてきた将棋と将棋文化を愛好する文人墨客マタは遊子遊民集団に値打ちが有ると思うのだが。

† ヘンなのを使ったら大変だ!評判信用丸つぶれでまともな人間は寄り付かなくなる。