現代文化の快楽

60年代に東大の文系・理系の大学院生がコラボして、他大学にも声を掛けて、横断的に作っていた現代文化研究会へのオマージュ

或るソプラノ歌手への手紙(4)  ‥新市長の〝AI文化都市〟構想???

2021年08月27日 | 開陳

【口絵之詞】 偶然派手な絵が続きましたが、ここらで旧東大現代文化研究会の考え方(正体)の一端を顕しましょう。これまでの絵は、暑気払いのための人魚でなくて、もっと怖くて涼しくなれるセイレーンでした。それが後世になって人魚と混同されるようになった。その経過にご興味がある方は例えば上の絵が載っているこの解説(英文)をお読みになるのが早いでしょう(一番目のリンク先の邦文ウィキペディアにも説明が有ります)。

音楽の方で見ると、フォスターの『夢路より』の中に、人魚たちが荒々しく『ローレライ』を歌っているという歌詞が有ります。つまりギリシャ神話の恐怖の魔女は、欧米人の心ではゲルマン伝説の恐怖の魔女と繋がっているわけです。

『ローレライ』と言うと大抵の日本人は、彼のハイネの詩にジルヘル(ジルヒャーとも)が作曲した「なじかは知らねど心侘びて・・・」を学校で習ったことを思い出すでしょう。あれだと余り怖さが伝わってこないのですが、アイヒェンドルフの詩にシューマンが作曲した「リーダークライス」の3曲目『夜の対話』で、ローレライが正体を現す場面では、歌っていても心底怖くなります。

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閑話休題。

私が会った政治家もお役人達も皆さん「文化は大切だ。」と相槌は打ちます。しかし今のつくば市には、グレーターつくば、つまり筑波研究学園都市の建設期に居たようなビジョンも実行力もある人は見当たりません。

それを指摘したら、或る市長支持派と聞いている議員団の人がムキになって、「五十嵐市長は〝AI文化都市〟を謳って居ます。」と、胸を張られたので、「ええーっ」と思わずのけぞって、椅子から転げ落ちそうになりました。

私「どんな内容ですか?」

団の人 「知りません。」

私「何か資料はあるのですか?」

団の人「マニフェストに書いてありますよ。」

私「具体的な内容を教えて下さいませんか。」

団の人「知りません。」

私「市議会には説明は行われていないのですか?」

団の人「知りません。分かったら連絡します。」

私「是非お願いします。」

までで止まっているのが現在の段階です。(ネットの不具合らしき気配もあるけれども、無論名刺も置いて来てあります。)

マニフェストをネットで見たら、政策・公約の1%も占めていないように見えたが、確かにそれらしき「字句」は最後の方に有った。支持派と目される市議団が内容を全く共有していないところを見ると、チョコンと書き込んだだけではないのかと疑うべきでしょう。

ここで、もう一度私の専門を申しましょう。

私は本来日本最古に近いAI学者である。第二の専門はコミュニティ振興学である。後者は、筑波移住以来筑波大学の建設と合わせて、私が当地で文化活動の発展推進のために苦心して来た実績が、日本の大学では画期的に新しいこの分野で文科省の大学設置審議会で学部及び大学院の指導教授資格認定を受ける根拠の一つになった。

≪未完≫ (時間が有るとき、この稿にもう少し書き足します。)

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承前。    (8/28朝 曇り)

その翌日「偶々」、久しぶりに書面でなく、実際に委員が顔を合わせた或る委員会で、私は、あるイベントの開催中止、無観客でさえも行なわないという予め根回しが済んで居たらしい議論に対して、とうとう堪りかねて次のように発言しました。

「偶々」或る市議団に当たってみたら、市長が「つくばをAI文化都市にする。」と言って居るという。しかしそのような仕組みを作っても、以前の「ハコもの行政」の二の舞になる恐れが強い。地域の文化というものは、今日この席にも何人か居られるが、多年この地で血の滲むような活動をし、又教えて来た人を大切にすることで成り立つのだ。(映像配信でも可能なものは実施するように工夫すべきだ。)

しかし、その数日後「偶々」市の担当課を訪れた時、私の発言は、その課では、今の人の言葉を借りると「響かなかった」どころか、むしろ笑いものにされたらしいことに気付きました。

(蛇足) 「偶々」はこの人が〝反語的に〟よく使う言葉。

 水谷豊、“杉下右京の紅茶注ぎ”を約2500人の前で生披露!会場のファンも大興奮(画像1/11) - MOVIE WALKER PRESS 相棒』杉下右京さんのティーカップ♥アンフィニローズ | 湘南でポーセラーツレッスンを楽しもう!InfiniRose(アンフィニローズ) 

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 この人自身が現職の市議であるかどうか等は、会派乃至議員グループの特定につながる恐れが有るので、将来のことも考えて、現段階では控えます。

‡ (前にも何処かに書いたと思うが、)加計学園の獣医学部新設を巡っての騒ぎ以降、一般市民にも知られるようになったのだが、大学・学部・大学院研究科の新設に際しては、何人かのこういう特別な審査を経て認定された教授が必要である。


或るソプラノ歌手への手紙(3)  ‥新市長も何にもしてくれない30年来の欠陥文化施設

2021年08月25日 | 開陳

Golden Mermaid

駐車場を失ったアルスホール

X嬢へ

      ・・・そしてグレーターつくばの文化芸術に関心がある人へ

     そして又、つくば市政に携わる人達に

 

前稿の終わりに、次は三代目市長の藤沢 順一氏以降の文化行政について書くと記しましたが、その前に、何故私が、他にも忙しいのに、こう言ったシリーズを書き始めたのか、知って頂くための事例をご紹介します。

アルスに駐車場が無いのは、30余年前の創立以来からの頭が痛い問題だと、管理の最高責任者である図書館長が認めている。

アルスに駐車場が有ると誤認している市民も多い人が、正確に事実を記すと、20台程度かの駐車場はアルスの東南側に有り、当初は一般利用者の使用に供されていたが、今は専ら図書館職員(アルスホール担当者も含む。)だけが使用している。

それでいつも、アルスホール利用者は楽器の搬入で困り、図書館利用者で、子供の読み聞かせ等のために複数人で数十冊纏めて借り出すボランティアは、本の運搬に困り、展覧会を行う者は作品の搬入で困っている。

図書館側は、年間ごく少数回しか開催されない特別なイベントの場合のみ、建物への横付け搬入の便宜を図って能事終われりとしている。一般市民利用者はその恩恵に浴すことは無い。

しかしながらそこに千載一遇の好機が訪れた。アルス正面玄関の道路を挟んで向かい側(東北)の筑波大学敷地に有った宿舎群が取り壊されて、アリーナが建設されるという。アリーナと言うとカピオ建設時のほろ苦い思い出が蘇るが―――――人に依っては「運動公園」に更に苦い思いを致すやも知れぬ。―――――それは扨措き、大学の大イベントが開催されるとき以外は、アリーナの駐車場の一部をアルス利用者に開放することを強く望みたいのである。

私(五十嵐 滋)は当時の筑波大学筆頭副学長に会ってこれについて懇請した。苟も

  1. 筑波大学たるもの、市民の文化活動に一定の便宜を図ることは社会的責務の一端ではないかと。
  2. 希少なスペース―――――土地―――――の有効にして合理的な活用も、大学人として当然為すべき配慮だとも。

    (協力しなければ、長い目で見ると

  3. 筑波大学に対するコミュニティ住民の支持や敬意を損う恐れもある。

    とは、口には出さなかったが、無論この情報学類でリスクマネージメント論を担当された若手の―――――私から見れば――――俊才にもそれは伝わった筈だった。)

しかし、驚いたことに、筑波大学は、つくば市とは既に何回か都市計画上の協議をしているが、アルスの駐車場問題など一度も話題に出たことは無い。自分にとっては「晴天の霹靂」である。そういう話になるなら、つくば市を相手にするのが適切だと言われた。

それは真に尤もな言葉だから、つくば市の要路の人の助言を得て、

  • さる文化に関わる市の外郭団体からの要望書提出の合意を取り付けた。
  • それは正式会合に於いてであった。しかし会長(当時。十年以上会長職を続けていた。)と事務局長が翻意して提出できなかった。(公的機関を評価する目で見ると、ガバナンスが失われていた。)
  • 時間が切迫していると知って、やむなく私名義で市長公室に提出した。
  • 因みにそのときの公室長は最近副市長になったが、前任者は若い大蔵官僚という出自から止むを得ないが、文化行政についての知見は勿論、理解も熱意も窺えなかった。

さて、この要望書がその後どう扱われたかは、次回にしましょう。いくつか要点を予告しますが、もしかしたら当分それ以上立ち入らないことになるやも知れませぬ。

  1. 問題が全く解決も進展もしていないのは、歴然たる事実。
  2. しかし官僚的作文としては十分国政レベルの―――――御多分に漏れず内容は空疎だが見掛けは立派に出来ている。‡ ―――――返書が送られて来た。
  3. それ以前に或る市議団に相談したが、完全に無視された。

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ところで、この件についての私の見方や取り組み方について、参考のためにお話ししておいた方が良いかと思うことの一つを記します。

私は数年間某県の「科学技術顧問」を務めました。その折専門のロボット開発も指導しましたが、その県の技術関係諸機関の「外部評価」も指揮しました。それには当然行政的側面も含まれていました。

因みに当時、県顧問がもう一人居られて、職名は「文化行政顧問」。その方のお名前は「舛添 要一」さんと仰いました。

(上の似顔絵の著作権は実践IT研究会に有ります。)

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京大(工)院博士課程修了。

私も理系ながら東大で官僚的業務を兼任した職歴あり、学術行政の範囲では有るが、ノウハウは熟知している。


或るソプラノ歌手への手紙(2)  ‥音楽関係者の積年の要望を無視した吾妻地域再開発計画

2021年08月23日 | 開陳

楽屋を奪われたノバホール

X嬢へ

      ・・・そしてグレーターつくばの文化芸術に関心がある人へ

 

文化果つる地だった桜村にノバホール(1983-)が作られた経緯、音楽家や音楽団体がそれ以来40年近くノバホールとどう関わり、どう誇りと歓びとし、どう苦労し、どう要望し続けて来たか、貴女にも追い追い知って頂きたいと思っています。

しかし、それよりも先に、学園都市音楽会と桜村文化祭の時代から文化芸術の発展・発信活動に邁進して来た私達にとっての喫緊の課題をお伝えします。

それは、ノバホール本格的な楽屋・練習室群が無いことです。

いや正確に言えば、見出しとして書いたように、元々は有った楽屋が(旧)吾妻公民館~同交流センターに奪われたのです。

専門的な見方からすると、設計に無理が有ったし、現代の基準から見ればとても足りなかったことも否めませんが、ホールと同時に作られた旧吾妻公民館は、元々楽屋の役割も果たすことになって居ました。しかし市の行政上の都合で管轄が分かれてからは、次第にそれが妨げられるようになり、現在では当時の約束を知る者も少なくなりました。

その一方で、ノバホール国内的評価・知名度は高まる一方であり、つくば市からの文化の発信の最有力な拠点になっていることは誰の目にも明らかです。その活用のためには、吾妻公民館で当初約束されていたよりも遥かに多くの大小様々な楽屋・練習室が、屋外や一般市民の通行路を通らずにステージに出られる場所に作られなければなりません。

私達は、この抜本的改善を機会ある都度、ノバホールの管理者側に申し入れて参りました。現在は市の直轄でなく財団に委託されておりますが、2020年度末にも、筆頭理事に面会して、音楽指導者側からの要望と提言と、それが住民に与える利便だけでなく、それがつくば市乃至財団に財政的メリットを齎すものであることをご説明したばかりです。

しかし、最近表題の吾妻地区という正しくノバホールをその文化的中心に持つ地域の整備計画に対する裁判が提起されたことを新聞で知り、愕然としました。

  1. 市民の殆ど知らなかったところで、計画が進行している。
  2. 計画にはノバホールどころか「文化」も言及されていない

ここで貴女に、私が主査を務めたカピオ(1996-)設計市民ワークについてお話しし、現市政――――或いは現市長――――と比較して頂こうと思います。

  1. カピオは二代目の木村 操市長の時、大アリーナを中心に計画された。
  2. その主眼は、つくば市の全ての成人を一か所に集めて成人式を行うことだった。
  3. 心有る住民の指摘により、その計画の愚かしさに気付いた五十嵐 弘子市議(現市長の母親。次項の志村理事を通じて木村市長を支持していた。)が先頭に立って、強く反対した。
  4. 木村市長が遂に折れて、ブレイン筆頭の筑波大学生物系助教授から市議を経て同市理事になっていた志村 宗司氏の助言で、カピオ設計市民ワークを設置した。
  5. 私(五十嵐 滋)は、音楽関係者の一人として公募に応じ、ワークのメンバーに入った。
  6. 更に互選により主査になった。

アリーナの合理的縮小と音楽ホール(カピオホール)リハーサル室の設計等についての具体的成果には、今は立ち入りませんが、演劇関係者障碍者を守る団体等も強い関心と意欲を持って参加しておりました。主査としては調整に苦労しつつも、皆さんがそれなりの納得ができるものを導けたつもりです。

今の市長には、そのような謙虚さが無いのか、それ以前に五十嵐 弘子議員のような者が、今の市議に一人も居ないから、問題を知って覚醒することが無いのか。ブレインに志村理事の様に文化的な市民とコミュニケーションが有る者が居ないのか。

いずれにせよロシアや中国と違う西欧型の「民主主義国」の自治体としても、文化芸術行政の在り様としても情けないかぎりです。―――――いや、前者の国では、民主主義はともかくとして、文化芸術を大切にしていることは、貴女も良くご存知の筈です。とすれば今のつくば市は、世界標準から見て最低ということになるかもしれません。

音楽について、ノバホールの楽屋以外に、私達専門家の提言と要望をもう少しだけ説明して置きます。

  1. ノバホールカピオホールはつくば市乃至グレーターつくばの「文化の主軸」として、連携して運用すべきである。
  2. 一般論として、残響の長い前者はクラシック音楽に、残響の短い後者は邦楽に適している。
  3. アルスホールも現在、管理が別になっているが、ソロや小編成のアンサンブルに適した貴重な存在である。
  4. これらのホールには、本来的に―――――先進国では常識になっているが―――――専門家によるアドバイスを得て、継続的に改善するシステムが必要である。
    1. ――コロナ分科会のような委員会を常置する。
    2. ――技術が分かる専門家のアドバイスと並行して、利用者の声を反映させる仕組みも有れば更に良い。

次回は、これらのことに絡み、ノバホールを作った初代市長倉田 弘氏、上述の木村氏の後のこのコミュニティの文化行政について記します。


或るソプラノ歌手への手紙(1)  ‥コロナ禍とつくば市の文化芸術行政

2021年08月21日 | 開陳

【加筆】 加筆して、読みやすくするために字体を分けたり節を入れ替えたりしました。(8/21 朝)《小雨》、及び(8/22 月朝)《曇り》

ファイル:The Sirens - Edward Burne-Jones (1875).jpg

The Sirens - Edward Burne-Jones (1875)

 

トピック(シリーズ)への序文

X嬢へ

    ・・・そして音楽愛好家を含む文化芸術関係者と一般読者へ

 

本記事の核心は、学術・文化(およびその執筆準備・予告)に特化した私の別ブログの『一調一歎 ‥筑波倭楽園にて』(2021に刊行した拙著『グレーターつくばのファウスト(第一部)』の準備のため2016開設し、間もなく一旦休止。)に書く予定でしたが、現在―――――みずほ銀行でしばしば起こって居るようなシステム不調で―――――更新不可能になっているため、暫時、本ブログ(2012開設。2017更新休止。)を再開して掲載し、前者の回復を待ち、状況を見た上で、各位から寄せられたコメントも併せて全面転載して移行する予定です。

したがって、これからの記述は、前者の性格として従来からそうだったように、当然将来の拙著草稿・学会発表・関係機関への通知や報告や提言等の心覚えにもなりますが、それ以前に本ブログに掲載すること自体が、英語でないから読者の範囲がたかが知れて居るとは言え、全世界で、少なくとも日本人には読めるわけなので、団体や個人の名前が関係者以外には直ちには明らかにならないように工夫し、亦そのために内容も婉曲に述べることが多くなることは予めお断りしておきます。

それとも絡み、皆様からのコメント投稿は、従前通り自由とし、大いに歓迎しますが、意図しないところで、最近ネット記事については、不心得な投稿家の悪用に対処すべく―――――全く迷惑な話ですが―――――最高裁判例に基づき拡大されつつある名誉毀損罪の適用対象にされぬよう、各自でお気を付けください。

一方で、旧東大現代文化研究会に因む本ブログの本来の性格に即した偶感や異説を挟むこともあると思うので、それらについても以前の様に闊達で、ときとして辛辣な、コメントを歓迎します。

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少しだけでも本論に入って置きましょう。

「コロナ以後」という言葉は、現段階では虚しいものが有り、仮に数か月後に或る程度終息したとしても、従来とは文化芸術活動の在り様は大幅に変わるやも知れません。つまり将来構想を今建てるのは困難になって居ます。

その一方で、コロナ禍で会議や集会が開けないことを好都合と捉えているとまでは思いたくありませぬが、市民(住民)不在で、様々なことを推進しようとする動きが、つくば市を中心とするコミュニティでの文化芸術行政の中で漸く顕在化しつつあるかに見えることは、文化関係者として大いに危惧せざるを得ない状況となりました。

私は、この事態を――――清貧に安んじ地位を望まなかった学者としては稀な瑞宝中綬賞という高い叙勲を受けたことの幾分かの要素にもなっている――――自分の半世紀近い当コミュニティでの努力が否定されるだけに止まらず、それが水泡に帰し兼ねぬ危機と感じ、止むを得ず本来の専門のAIと、第二の専門のコミュニティ振興学――――この程つくば市の或る会議の席上で明らかにしました。――――の立場から、やはりコロナの猖獗で行動には多大な制約が有りますが、グレーターつくば に関わる文化芸術行政等の調査に着手しました。

申すまでもなく、コミュニティの文化を支える者は、多年に亙って血の滲むような努力と地を這うような苦心を続けて活動して来ている文化的に優秀有能で勤勉な市民(コミュニティ住民)であり、政治家(自治体首長・幹部・地方議員およびグレーターつくば を選挙区とする国会議員 )やお役人達はそれに関心を持ち、尊重し、奨励・支援すべきです。

しかしながら、調査に着手したばかりとは言え、これまでのところ、当コミュニティのこれらの職業の人達の中に「コミュニティの文化的発展を指導するビジョンを持つ」者はおろか、「市民と文化意識を共有する」者さえ、見いだせなかったのが実情です。無論私達「学者」の側にも、筑波大学に専門の教員が居る体育と美術以外の分野には、どの程度の人材が居るか心許ないのが、1976年の学園都市移住以来この件に邁進して来た私の寒々しい実感であることも否めないのですが。

(蛇足)偶々二人の茨城県知事候補者の公約を朝刊で読んだところ、京大卒の新人には、文化の香りが皆無とまでは言えぬが、両者とも「文化」に言及無し。(soured 文化は票にならないからか。)

【表記について】 文化行政に関わる話は上の様にゴシック体で記し、以下のような音楽関係のやや詳しい話は、明朝体で記します。(但し例えばiPADで読む場合がそうですが、ブラウザーに依っては別の字体に変わることが有ります。) 前者のみへの概略的な関心を持つに止まる読者は、後者を読み飛ばされても構いませぬ。但し、文化活動の実態については、その部分に浮き彫りされているものもありますから、背景・概観を知る上でもざっと目を通されても無駄にはならないでしょう。

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† 呆れたことの一つであるが、調査を始めたばかりなのに、つくば市議会議員や国会議員の地元秘書で、グレーターつくばを知らない者に多数出会った。

 例外的な先覚者は、1976発足し、筑波大学の主催イベントとして校費(国費)を使い大学の事務組織を動員して大学会館で1992迄の50回に亙って開催された学園都市音楽会の創設者達-――――中心は東京教育大から移って来た助教授・講師層だった――――である。

【付記】 私の近著『グレーターつくばのファウスト』(表紙と挿絵は池田由紀子さんにお願いした。なお総合サイト『グレーターつくばのエスプリ』にも関連記事が有る。)で一言だけ言及した1993設立・創設のつくば音楽団体交流協議会(※)とムジカフェスタ(※)はこの学園都市音楽会を発展的に継承したものであったが、私を含む創設者達の構想を果たしたとは言い難い。残念なことにむしろ次第にソロ奏者や器楽奏者が出演しにくくなり、事実上〝合唱祭〟になって――――依然として県南・県西の40余団体が加盟し、7、8百人が出演する全国にも誇れる大音楽会ではあるが。――――当初目的から見ても、演奏ジャンルからも大幅に矮小化してしまっていることは否めない。

(※)ご注意 これらのサイトは何故か最近ウィルス対策ソフトとして定評ある〝ノートン〟で危険サイトとして一回遮断されるようになりましたが、担当者によると原因不明で、障害・被害例も無いとのことです。私は担当者を信頼して、構わずアクセスして居りますが、皆様には事態をお知らせし、ご説明しておきます。

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X嬢へ

前言 (私宛てのメールについては、他の方も同様にご理解願い度。)

数日前にコロナ禍で大いに悩んで居られると見られるメールを携帯電話に頂きましたが、その痕跡に気が付いたのは、例によって大分後になってからでした。

当方は、今春から、時勢柄止むを得ずiPhoneに変えましたが、機能・操作の設計センスが全く合わず、メールも返信、保存、転送操作時にほとんど消えてしまいます。

携帯電話のメールの着信には日頃あまり気付かない生活スタイルなので、以前から皆様にお願いして来た通り、私宛のメールはPCアドレスの homer×××に願います。携帯アドレスの kindai××××は当方と予め外で会見予定が有る日や、エラー対策等のため、あくまでも補助的にCC先として添えるに止めて下さいますように。

このことは以前から度々申し上げていただけでなく、先日も一度お伝えしたつもりでいたものの、その後再送信もないまま過ぎておりますので、正確な対応は出来かねますが、これを機に、お話しして置いた方が良いと思うことも大いにありますので、時間を見ながら、少しずつ書くことにいたします。

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些か唐突で不躾に感じられるかもしれませぬが、ここで貴嬢 に対する私の評価を端的に述べることをお許し下さい。

  1.  貴嬢の茨城県西に於ける芸術音楽の演奏普及教育活動実績は卓越して居ます。
  2.  特に独唱・独奏の領域に於いては多くの優秀な或いは有望な住民を掘り起こし、演奏発表の機会を提供して来られました。
  3.  つくば市中央部に於ける私の主催イベントにも、自ら出演されただけでなく、県西から一部県南部の多くの人を紹介されました。
  4.  私自身を含めてつくば市や土浦市・阿見町等のグレーターつくば在住の演奏者を県西・県南のさまざまなイベントに招いてくださいました。
  5.  得難い経験だったのは、高齢者施設の慰問演奏や大規模なカラオケ・コンサートへの出演で、流石に私は後者にも生の伴奏ピアニストを連れて行きましたが、私自身の研究(音楽情報学・AI演奏・AI伴奏)の参考にもなりました。
  6.  私が主宰している近代詩曲の会として、笠間の日動美術館でのコンサートを複数回行って、満席と併せ音楽芸術上の成功を収めました。これは県央部であることでも有意義でした。

    こうやって見ると、レベルの高い音楽演奏者の広域交流の発展という観点からでは、貴嬢に並ぶ推進者は、このコミュニティにはなかなか見当たりません。

千代田区長選挙に見る地方自治の未開(三) 小池劇場の危険性(続々) 

2017年01月21日 | 随想録

「馬 人参 イラスト」の画像検索結果

人参にありついて幸せな馬 (選挙の「兵隊さん」)

  

小池氏が笑いをかみ殺したような表情で語った都議選立候補志願者を千代田区長選に動員する作戦は、前回述べた中世のウィリアム・テルの物語のゲスラー他、様々な事例を思い浮かばせます。写真や絵に簡単な文章を添えることにましょう。

 

この二つの闘争に共通するで特徴的なことは、本来の利害関係者である住民よりも、地域外からの活動家が多いともされていることです。つまり背後に何物かがあって、「兵隊さん」を派遣できる間は、不毛な紛争が際限なく続く構造になって居る。

 「紅衛兵」の画像検索結果 「紅衛兵」の画像検索結果

風化したはずの紅衛兵は、また復活するという見方が出ているようですが、いずれにせよ平和時の政治目的に軍人でない「兵隊さん」を動員することは同じ。             

そしてナチスは様々なシロートの「兵隊さん」を上手に使いました。

「兵隊さん」を敵に鍛えさせる・・・これは多くの一党独裁を目指す組織が、常套的に使って来た非常に優れたメンバー育成・訓練・闘争の手法です。大学のように武力闘争と無縁な世界でも、全共闘のような若気の至りのチャンバラごっこでなく、ファカルティ・レベルの本格的な政治紛争の場合は、これを行う組織が有って、大いに迷惑したものです。

さてカイロ大学で、何でも二人だけしか学生が居なかったという超レア(エリート?)コースで、首席で卒業されたという小池百合子氏。これまでの都政については、大いに評価しておりますが、この「兵隊さん」を敵に鍛えさせるという手口を、そこで学んだのでしょうか?

いずれにせよ、それが、最初の見かけとは真逆で、民主主義とは全く馴染まない手法であることは、歴史を見れば歴然としているのです。

小池塾の塾生さんが、千代田区長選に高齢の区長さんを五選させるため「兵隊さん」として励んで、首尾よく都議選に立候補出来たとしても、何か政治家としてもっと大切な尊厳を失ってしまうのではないのか? (↑イラスト)

 

[お断り] 冒頭イラストの著作権は、 PIXTA(ピクスタ)  https://pixta.jp/illustration/9416828