都知事選に、「反原発」、或いは何処がどう違うか分りづらいのですが「脱原発」の民意の結集を期待していた向きが少なからず有ったようですが、それは結果的には効果は無かったようです。
それ以前に、無駄な努力だったのでしょう。
選挙結果を見て、「反原発」の二人を合わせれば、自公路線の桝添氏に拮抗するという主張が、今でも行われていますが、どうも議論のための議論、単なる宣伝合戦の域を出ないように見えます。
というのは、果たしてこの二人に投票した人は、「反原発」だからそうしたのか?疑問に思うからです。
まず弁護士さんに投票した人。基本的には反政府的~反体制的~民主主義的な人々でしょう。決して「反原発」だから、この人に入れたのではなく、共産党が推薦したリベラル派だから支持したので、この人が桝添氏同様の「嘘が見え透いた」脱原発を表明して居たとしても、大差無かったのではないか?
元首相に投票した人。桝添氏も信用しないし、共産党色の人も信用しない、自公政権も信用しない一種の中庸層。「反原発」の空疎なスローガンに釣られてこの人を支持した人が、そんなに多いとは思えません。
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翻って桝添氏に投票した人。本来的な自公民支持者。原発は、福島や新潟に押しつけて置けば良い。自分たちの生活が良くなればそれで良いし、一部には「都民様」の税金で地方を養ってやっているのだから有りがたく思えという都民「選民」意識丸出しの論調さえも有ったような。
反原発の世論の対決で、日本の政治を二分しようとするのは、不毛で非現実的だと思いますが、少なくとも東京都民は、そういうことと無関係に、ホンネ丸出しで、自分の「居心地が良い」方を選んだだけのことです。選挙というものはそういうものでしょう。
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桝添氏が、尊敬と人間的信頼に値する人物であるとは、考えにくい。この人を或る外国人が「チート・マン」だと評したのは、一つの至言に思います。「この人は顔は笑っているけれども、心は笑っていない。」というその人の指摘は、日本人にとっては当たり前のことのようで、人間の根本に拘わる恐ろしいものに触れている。
より正しく言うと「この人は、顔は温厚さと善意を装って笑っているけれども、心では選挙民を嘲り、してやったりと高笑いしている」というべきでしょう。
本質は、今居場所が分らなくなっている某国大統領が似ている。その視点ではモスコーと自公も似て来る。