楽屋を奪われたノバホール
X嬢へ
・・・そしてグレーターつくばの文化芸術に関心がある人へ
文化果つる地だった桜村にノバホール(1983-)が作られた経緯、音楽家や音楽団体がそれ以来40年近くノバホールとどう関わり、どう誇りと歓びとし、どう苦労し、どう要望し続けて来たか、貴女にも追い追い知って頂きたいと思っています。
しかし、それよりも先に、学園都市音楽会と桜村文化祭の時代から文化芸術の発展・発信活動に邁進して来た私達にとっての喫緊の課題をお伝えします。
それは、ノバホールに本格的な楽屋・練習室群が無いことです。
いや正確に言えば、見出しとして書いたように、元々は有った楽屋が(旧)吾妻公民館~同交流センターに奪われたのです。
専門的な見方からすると、設計に無理が有ったし、現代の基準から見ればとても足りなかったことも否めませんが、ノバホールと同時に作られた旧吾妻公民館は、元々楽屋の役割も果たすことになって居ました。しかし市の行政上の都合で管轄が分かれてからは、次第にそれが妨げられるようになり、現在では当時の約束を知る者も少なくなりました。
その一方で、ノバホールの国内的評価・知名度は高まる一方であり、つくば市からの文化の発信の最有力な拠点になっていることは誰の目にも明らかです。その活用のためには、吾妻公民館で当初約束されていたよりも遥かに多くの大小様々な楽屋・練習室が、屋外や一般市民の通行路を通らずにステージに出られる場所に作られなければなりません。
私達は、この抜本的改善を機会ある都度、ノバホールの管理者側に申し入れて参りました。現在は市の直轄でなく財団に委託されておりますが、2020年度末にも、筆頭理事に面会して、音楽指導者側からの要望と提言と、それが住民に与える利便だけでなく、それがつくば市乃至財団に財政的メリットを齎すものであることをご説明したばかりです。
しかし、最近表題の吾妻地区という正しくノバホールをその文化的中心に持つ地域の整備計画に対する裁判が提起されたことを新聞で知り、愕然としました。
- 市民の殆ど知らなかったところで、計画が進行している。
- 計画にはノバホールどころか「文化」も言及されていない。
ここで貴女に、私が主査を務めたカピオ(1996-)設計市民ワークについてお話しし、現市政――――或いは現市長――――と比較して頂こうと思います。
- カピオは二代目の木村 操市長の時、大アリーナを中心に計画された。
- その主眼は、つくば市の全ての成人を一か所に集めて成人式を行うことだった。
- 心有る住民の指摘により、その計画の愚かしさに気付いた五十嵐 弘子市議(現市長の母親。次項の志村理事を通じて木村市長を支持していた。)が先頭に立って、強く反対した。
- 木村市長が遂に折れて、ブレイン筆頭の筑波大学生物系助教授から市議を経て同市理事になっていた志村 宗司氏の助言で、カピオ設計市民ワークを設置した。
- 私(五十嵐 滋)は、音楽関係者の一人として公募に応じ、同ワークのメンバーに入った。
- 更に互選により主査になった。
アリーナの合理的縮小と音楽ホール(カピオホール)やリハーサル室の設計等についての具体的成果には、今は立ち入りませんが、演劇関係者、障碍者を守る団体等も強い関心と意欲を持って参加しておりました。主査としては調整に苦労しつつも、皆さんがそれなりの納得ができるものを導けたつもりです。
今の市長には、そのような謙虚さが無いのか、それ以前に五十嵐 弘子議員のような者が、今の市議に一人も居ないから、問題を知って覚醒することが無いのか。ブレインに志村理事の様に文化的な市民とコミュニケーションが有る者が居ないのか。
いずれにせよロシアや中国と違う西欧型の「民主主義国」の自治体としても、文化芸術行政の在り様としても情けないかぎりです。―――――いや、前者の国では、民主主義はともかくとして、文化芸術を大切にしていることは、貴女も良くご存知の筈です。とすれば今のつくば市は、世界標準から見て最低ということになるかもしれません。
音楽について、ノバホールの楽屋以外に、私達専門家の提言と要望をもう少しだけ説明して置きます。
- ノバホールとカピオホールはつくば市乃至グレーターつくばの「文化の主軸」として、連携して運用すべきである。
- 一般論として、残響の長い前者はクラシック音楽に、残響の短い後者は邦楽に適している。
- アルスホールも現在、管理が別になっているが、ソロや小編成のアンサンブルに適した貴重な存在である。
- これらのホールには、本来的に―――――先進国では常識になっているが―――――専門家によるアドバイスを得て、継続的に改善するシステムが必要である。
- ――コロナ分科会のような委員会を常置する。
- ――技術が分かる専門家のアドバイスと並行して、利用者の声を反映させる仕組みも有れば更に良い。
次回は、これらのことに絡み、ノバホールを作った初代市長倉田 弘氏、上述の木村氏の後のこのコミュニティの文化行政について記します。
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