現代文化の快楽

60年代に東大の文系・理系の大学院生がコラボして、他大学にも声を掛けて、横断的に作っていた現代文化研究会へのオマージュ

ノスタルジック理(14)   吉本隆明と原発 

2012年09月21日 | 随想録

”盤側”にも書きましたが、佐高がサンデー毎日(9月30日号)のコラムで、吉本(とたけし)の原発支持の過去について触れたいた。ネト繰った所死ぬ数週間前まで同じ信念を述べていたという。(たけしは、佐高の言い分では、頬っ被りしている。)

死後改めて、石原慎太郎ら右翼ライバルからさえも讃辞的弔辞が出たことに対して、全共闘時代の思想的リーダーとしての吉本を批判せよとの声も出ていたようだ。

同じ頃、賛美者が引用した詩から、

「ひとりつきりで抗争できないから

たくさんのひとと手をつなぐといふのは卑怯だから

ぼくはでてゆく

すべての時間がむかうかはに加担しても

ぼくたちがしはらつたものを

ずつと以前のぶんまでとりかへすために

すでにいらなくなつたものはそれを思しらせるために」

(『ちひさな群への挨拶』)

なかなかの詩人だったのですね。しかし、詩の才能を利用して、結果的にか意図的にか、青年の心を掴み、あれだけの騒動を誘導したのであれば、大罪を犯したことになるでしょう。

下は68年44歳。(言わずと知れた全共闘最盛期。私もこれよりだいぶ前だが赤門脇の学士会館分館で秘密講演を聞いたことがある。質問したら制止されたので、講演者を含めて全体を胡散臭く感じてしまった。)

 

 

 

 

闘いを残している者は、先に死んだほうが、敗者だ。

好き放題に無責任なことをした者は、先に死んだほうが、勝ち逃げだ。

 

果たして吉本はどっちだろうか?

(蛇足) 尖閣への中国漁船は実数700隻が、号令一下殺到できる態勢にあるとの観測が流れて以降、報道が途絶えた。どこまでデマで、どこまでが政治的中止だったのだろう。