月刊パントマイムファン編集部電子支局

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アーティストリレー日記(62)TEN-SHOさん⑨

2016-03-15 01:10:58 | アーティストリレー日記
リハビリ生活から脱却してイベント出演が少しづつ叶い始めた頃、
言葉では言い尽くせない悲しい出来事が、ありました。
パントマイムの勇、本多愛也氏の他界です。
彼とはパントマイムフェス毎に顔を会わす程度の付き合いでしたが、
彼のリクエストで愛也氏のソロライブに参加させてもらったり
そのリハーサル中に自宅に打ち合わせに行ったりと
ピンポイントでディープな時間を共有した仲でした。

彼は東京マイム研究所出身、ソレガシは汎マイム工房の出身です。

1980年代の前半期、東京マイム研究所の新たな試みとして「ソロマイムギャラリー」というシアター・トライアル・ライブが、ありました。

初期は勅使川原三郎さん(原コンテンポラリーダンサー+コレオグラファー)やギリヤーク尼崎さん(大道芸)が出演していました。

その後、シリーズ化されソレガシも出演させて頂く機会があり
リハーサルや本番で東マ研スタジオに通いました。
その頃に本多愛也氏の存在を知った訳です。
ソレガシより2歳年下、当時の彼は、ジャッキー・チェンとアル・パチーノとショーケン(萩原健一)を混ぜた様な風貌でした。

ソレガシにとって初めて触れる別団体の同世代で、とても刺激を受けました。

故、並木先生の旗の下、東京マイム研究所は、新しい風を求めている熱い若手パントマイマーだらけでした。
仲良くしてもらった村田ミホちゃん、津野氏、小島屋氏、細川ヒロミちゃん、羽鳥ヒサヨちゃん、前田氏、川口氏、芹澤チカちゃん、鈴木氏、安原氏、など
若手パントマイマーが自由に創作活動が出来る環境を自分達で作り出していたのには、正直、驚きました。
「そうか~師匠の言うことだけを やっていてもダメなんだな~」とソレガシ目から鱗の心境でした。

故、本多氏の作品は本多氏しか出来ませんよね。
悲しいですけど彼の死で彼の数多くの名作は、このままコールドスリープに入ったんだと思います。

パントマイムは個人の芸。
そのパフォーマーとともに生きるんだと
つくづく思いました。

愛也ちゃん(生前ソレガシは彼をそう呼んでました)
から教えてもらった事が、あります。

教え伝える事の大切さです。

本多氏は小島屋氏、アガリエ氏とともに
北九州にパントマイムを伝授する活動をしていました。

作品は土へと帰りましたが
本多氏のマイムの種は、全国の生徒さんに受け継がれ成長し
それぞれのパントマイムの華を咲かせるはずです。

ソレガシもこれからは、そんな存在に、なりたいと心底思いました。

伝える事が先人へのリスペクトになりうると信じつつ
微力ではありますが、頑張りたいと再確認する今日この頃のソレガシです。
m(__)m

追伸
今回あるいみ長いリハビリ期間のストレスを吐露する機会を与えて頂いた佐々木氏に、お礼を言いたいです
「マジで、ありがと!」
原稿執筆中に数十年ぶりに空を飛ぶ夢を見ました。
満天の☆の中、自由に飛びまわる事は、とても気持ち良かったです。
ほんとうに、ありがとうございました

原稿おわりです。

TEN-SHO
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