月刊パントマイムファン編集部電子支局

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『パントマイムの歴史を巡る旅』第6回(TOKYOマイムシティ代表・細川紘未さん(6))

2011-11-05 01:35:06 | スペシャルインタビュー
佐々木 並木先生と清水きよしさんは、どんな関係だったのですか?
細川 並木先生と清水先生は、日マ研(日本マイム研究所)でご一緒だったと聞きました。日マ研を退所後、お二人は1970年に「舞夢羅(マイムラ)」というグループを設立し、活動なさったとのことです。
佐々木 細川さんは、舞夢羅については、ご存じですか。
細川 舞夢羅の活動については、あまり知りませんが、資料によると、3年間程活動なさって、73年に並木先生はフランスに行かれたようです。

佐々木 並木先生の東京マイム研究所の出身者にはどんな方がいらっしゃるのでしょうか。 
細川 イトー・ターリさんや里見のぞみさんが一番初期のころの生徒さんだったそうです。あと、パントマイムの世界に限らず、結構いっぱいいらしゃって、オペラ歌手になった女性の方とか色々な方がいますね。
佐々木 パントマイム関係ですと、里見さんに、ひろみさん、チカパンさんに。
細川 小島屋(万助)さんに、(本多)愛也さん、はとちゃん(羽鳥尚代)、がーまるちょばのケッチ君、石川健三郎君。
佐々木 えっと石川健三郎さんって?
細川 石川健ちゃんと言って、ジャグリングや足長の芸をなさって活躍してた男子です。チカちゃんよりちょっと先輩だったと思います。大道芸やジャグリングの講師のお仕事でご活躍されていましたが、彼は昨年に心筋梗塞で亡くなりました。まだ43歳の若さでした。とっても残念です。
佐々木 そうですか…。
細川 あと、シスターと一緒に気球座で最後まで活動したのは長井直樹君です。並木先生亡き後も気球座の活動を一緒に少し続け、松田(充博)さん演出のもとでアンサンブル公演も一緒にやっていました。今はバリに拠点を移して活動しています。
佐々木 長井さんは、細川さんの同期の方ですか。
細川 彼はシスターより後輩で、中野坂上のスタジオに移ったあとに入ってきました。本気で並木流れを継いでいて、『動物の謝肉祭』で一緒に小学校を回ったり、『黎明記』の時も苦楽を共にした仲です。並木先生の劇団葬も一緒に執り行いました。

佐々木 並木先生が演出された最後の公演は、何だったのですか?
細川 青山円形劇場での『黎明記』です。公演が終わった1カ月後に入院してしまって。その後も『動物の謝肉祭』の学校公演が決まっていたので、並木先生抜きで1年半ほど活動を続けました。並木先生亡き後、気球座としての活動は存続できなくなりました。核が抜けてしまったから。シスターもその当時はまだ若かったからね。教えることも劇団の継続も、稽古場の維持とかも無理だったんです。

佐々木 ところで、細川さんが並木先生の作品をやり始めたきっかけは何ですか。
細川 並木先生の7回忌で周囲の方に勧められ、その時に初めて取り組むことにしました。
佐々木 その時は、どの作品をやったのですか。
細川 並木先生の短編集の代表作である『花』、『蝶』、『煙草』の3作品をやらせていただきました。でも、恐れ多いというか、私にはできないよという思いがあったので、正直、プレッシャーが強かったです。私が観ていた並木先生の作品と自分が演じる作品に大きなギャップがあるのが自分で分かるから。
佐々木 尊敬しているし。
細川 尊敬しているし、私が並木作品を演じきれないままお客様にお見せして、素晴らしい並木作品を失望させてしまってはいけないと思ったのです。本当にまだまだ恐れ多いと思っていました。でもこのままでは並木先生の作品が埋もれてしまうと思い、この素晴らしい作品たちを多くの方に知っていただきたい、埋もれさせるわけにいかないと思い、意を決して演じさせていただくことにしました。
佐々木 細川さんが演じていただけるお陰で今でも並木作品を観ることができるわけですね。
細川 すぐには演じきれないかもしれないけど、私が回を重ねて演じ続けていくうちに、何とか表現できるようになるのでは、という想いです。並木作品を表現できる自分になりたいという気持ちも大いにあります。並木先生が生前演じていた生の作品をご覧になっていた方にとっては、今でもまだ申しわけないという気持ちが強いですけど、それでも機会があれば、何度でも上演を続けていきたいと思っています。
佐々木 きっとそうでしょうね。『花』、『蝶』、『煙草』、『ロングディスタンス』以外の作品を上演することはありましたか?
細川 いえ。
佐々木 『ラプソディ』は?
細川 『ラプソディ』こそ演じたい作品なのですが、これは本当に男性の作品なんですよ。『ラプソディ』の女子版が何とか出来ないのかなと思って、何十年経ちましたが、この作品は、主人公がボクサーだから良いんですね。
佐々木 そうだと思います。
細川 でも、今の時代、この作品で感じてもらえるかどうかよく分からないですね。本当にドラマがなくて、淡々としていますから。エンターテイメントやわかりやすさがないと喜ばない人たちには、ちょっと無理かもしれませんね。まあそれも演じ手の力量でなんとかなることなのかも知れませんが。

佐々木 今年も並木先生のビデオ上映会が11月23日に開催されるとのことですが、昨年のビデオ上映会の反響はどうでしたか。
細川 並木先生のことを知らなかった人たちにとっては、とても興味深かったようです。今まで、映像で見る機会も、存在を知る機会もほとんどなかったですから。パントマイム関係者の中には、日本のパントマイムの歴史が分かって喜んでくれた方もいましたし、TOKYOマイムカレッジの生徒さんは、シスターのルーツを知り納得、という感じでした。もっと観たいとか、毎年やって欲しいという声も頂きました。並木先生のいい男ぶりにびっくりしていましたよ(笑)。

佐々木 色々と語っていただきましたが、最後に並木先生のことで何か言っておきたいことがありますか?
細川 そうですね。並木先生は、稽古場を持つこと、公演の場を作ることを重要視していました。お稽古場の維持というのは本当に大変ですが、生活を切り詰めてでも維持するという感じでした。場所を作ることが人を呼ぶとか、人を育てるとすごく思っていたと思います。その想いを受け継ぎ、シスターもシアターパントマイムの公演の場を増やすことや、パントマイムレッスンの場を持つことに取り組んでいます。それらは私にとっても大変なことですが、そこだけは必死で続けていきたいと思っています。それが未来を創っていくことがわかるから。あと、確実にいえることは、並木先生の存在なくして、シスターひろみは存在しなかったということですね。先生と出会えたことに本当に感謝しています。シスターの活動はすべて、そのことへの恩返しの活動ともいえます。
(了)

今回まで6回に渡って細川さんのインタビューをお届けしましたが、これ以外にも語り尽くせない数々のエピソードが残っているようです。今後、様々な方のインタビューを通して、いつか並木先生についても改めて紹介していければと考えています。たまに考えるのですが、もし、並木先生が生きていてその舞台に自分が出会えていたら、きっととても大きな影響を受けずにはいられなかったと思います。小説や演劇、映画などと違ってマイムの舞台は、その時に出会えていないと、もう手の届かないところに行ってしまうのが本当にもどかしいです(例えば、休団中の「水と油」も)。11月23日の「MIME MINE2011」では、並木先生の映像が観れるほか、並木先生と親交の深かった大野洋さんのトークショーも聞けるそうです。

「MIME MINE2011」
11月23日(水・祝)18時開演、会場:パフスペース 前売り¥1,500、当日¥2,000
http://www.hosokawahiromi.net/archives/51832969.html
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