月刊パントマイムファン編集部電子支局

パントマイムのファンのためのメルマガ「月刊パントマイムファン」編集部の電子支局です。メルマガと連動した記事を掲載します。

アーティストリレー日記(14)藍木二朗さん①

2012-03-06 01:31:51 | アーティストリレー日記
今号では、パントマイムウィーク6にもユニットでご出演する、コーポラルマイムのパントマイミスト、藍木二朗さんの日記(二本立て♪)をお届けします。まずは、藍木さんの「普段考えている事」編です。

アオキジロウ=人間…え?
想像してみてください。この大宇宙にある数えきれない惑星群の中で、地球だけが、唯一、生命体、何より知識生命体が存在できる星だとしたら。ぜったいありえないでしょう!こんな、いがみ合ったり、争いあったり、奪い合ったり、しょっちゅう戦争ばかりしている、このような生命体が、この大宇宙のなかで孤独にぽつんといるなんて…。

想像できますか?納得できますか?別に科学的に実証してみてください、とまで言う必要ないと思います。もしなければ…大変なことですよ!悲惨ですよ!考えただけで…。ワーもうだめだ!!

別に、宗教を持ち出さなくてもいいんです。ただイメージの力だけでいいんです。この「地球」という惑星よりも、重力はやさしく、物と物の接触も融合的で、成長も、老いも、その個人に、何も負担はなく、死は単なる一つの通過点でしかなく、いわば、「半身反霊」の世界。必ずありますって、そんな惑星が。

僕はただ、それを憧れ、夢見、いつかその惑星の住人になりたくて、そんな世界をこの地球で、モデルとして表示したくて、パントマイムの作品を創っているのではないか、と思っています。
ピエロ=身体をまとった幽霊
ピエロって年はいくつですか?国籍はどこですか?男ですか、女ですか?もしかしたら、いにしえの人達が創ったキャラクター「ピエロ」は、来るべく新たな惑星の住人を予感して作り上げた知識生命体のモデルだったんではないでしょうか。
そのモデルが行う行為は、人様からは不可解に思われ、それを「道化」と名づけてしまいましたが、本当は僕らに、何かとても大切な未来の予感を象徴的に表現していたのかもしれません。でも、もう本物のピエロは、もうこの世にはいません。
だから僕らがピエロの真似をして、いにしえの人達が伝えたかった事を、まだこの惑星に残っている自我を背負った皆さんに…いや、まてよ…もしかしたら、よくテレビやネット動画で見られる、記念写真の人物の肩からにょきっと出ている見知らぬ手とか、映るはずのない場所にある顔とか、動画のはじの所に一瞬現れるけど、次の瞬間消えてしまっている見知らぬ人物、俗に僕らが「幽霊」と名づけている未確認人物体って…あるいは…。
「おめえ、そんなこと言ってるから、人から道化っていわれるんだよ!」
「えっ、そおなの?…やったー!つまり僕って…」以下省略

藍木二朗
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アーティストリレー日記(14)藍木二朗さん②

2012-03-06 01:26:27 | アーティストリレー日記
続いて藍木さんが最近「マイム以外にはまっているもの」のお話です。

マイム以外にはまっているもの
はまっているもの…?
しばらく考えてしまいました。なぜなら「はまる」ってことに、あまり積極的ではないからです。
僕は今まで、色々なことに「はまって」しまいましたが、すぐ飽きてしまう。熱しやすく冷めやすい、って事です。だから、マイムをするにあたって、「はまって」やろうとは思わないんです。だって、末永くマイムをやっていきたいから。
でも、そんなこと言ったら、話はこれで終わってしまうので、とりあえず、マイム以外に、何に時間をついやしているか。
二胡
ニコ?そう、にこ。
そもそもの始まりは、僕のソロパフォーマンス作品に、いつかどうしても使いたい音色というものがありまして、それは、「なにか、風に吹かれる中、僕の体が、その中を流れていくような、そんな音源はないだろうか」と、色々CDをさがしていました。
フルート?うん、いいかも、バイオリン?うーん、まあまあ…、シンセ?うーん…

そんなある日、テレビを観ていたら、ちょうど国際舞踊コンクールの番組がありまして、現代舞踊の部で、一人の中国の青年が踊っていました。まるで太極拳のように流れるようにゆったりと踊るそのオリジナリティーあふれる舞以上に僕を釘付けにさせたのが、使われていた音楽でした。そう、それが二胡との出会い。
「コレダ―ッ!!」と思った僕は、早速CDショップに行き、手当たり次第に、二胡のCDを買いあさり、色々聴いてみたのですが、なかなか僕が思うような曲はなく、(バック演奏はなく、ゆったりとした流れるような、どちらかというと現代音楽調の独演奏)ふいに思いついたのは、「ならばいっそう、僕が自分でその音源を創ろうではないか」という、今思えば、あまりにも無謀なひらめき。
だって二胡って見た目、とても造りがシンプルですし、弦も二本しがなく、「こんなのすぐ弾けるようになるさ」と、思って。

すぐさま、都内の二胡教室も兼ねている中国民族楽器店に行き、良さそうな二胡を一台。すると一人の店員さんが寄ってきて、「ちょっと、この二胡もってみなさい」と言われ、手渡された二胡をもって弓をかまえた姿を見た店員さんは、一枚のチケットを僕に渡してくれました。そこには、「一日二胡体験レッスン」。「ふん、そんなことしなくても、独学でやってみせるやい」などと思いながら、店を後にしました。
家に帰り、同時に購入した「二胡初級レッスン」というDVDを観ながらの、初めて手にする二胡という楽器…思うように、きれいな音がでない…。

結局数日後、また同じ店に、例の体験レッスンのチケットと二胡をもって出向いたら、「君ねえ、二胡というのは、バイオリンを習得するよりも難しいものなんだよ」と笑われてしまい、一日体験レッスンのつもりが、そのまま以後、この店の二胡教室の正式な生徒に。
中国人の王(ファン)先生に個人レッスンを受けるようになって、気が付けば、もう4年目突入になりました。二胡って難しいですよ。何が難しいって、ちゃんと的確な音程を出すのが。だって、ギターのようにネックに金属のフレットがあるわけではなく、ちょっとでも音程がずれようものなら、もうあの二胡の哀愁ある美しい音色ではなく、本当に耳をふさぎたくなるほどの、酔っぱらいそうな雑音にしかならないのですから。

一度乗りかけた船です。初めは、舞台の音源を創りたいとの目的で始めた二胡も、今ではもう、二胡を演奏する事自体が目的となってしまった有様です。
でも、ちょっとイメージしてみてくださいよ。古風なピエロがバイオリンを弾いている姿って、とてもロマンチックだと思いませんか。そのバイオリンが二胡に置き換えられたら、なんかもっと素敵な姿になりそう。そう思う、今日このごろです。

藍木二朗
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