月下、飲んだり読んだり

~何はなくとも一杯の酒~

「気が済む」ことが大切

2011年09月26日 11時41分26秒 | 暮らし
自分がどう働くか、誰と会うか、どの神を信じるか、信じないか、何を食べるか、どの服を着るか……。私たちの営みのすべて、どう暮らすかということのすべては、「どうやったら気が済むか」ということに尽きるらしい。

お彼岸のお参りのため、実家に行ってきた。ご先祖に手を合わせる小学生の孫たちを見て、母は特に気が済んでいたようだ。私たちの家族は家もあり仕事もある。つつましくも恵まれた暮らしをしているけれど、それでも毎日の義務化した生活に嫌気が差すこともあるだろう。やはり、ちょっぴり観光をしたり、おいしいものを食べたりして一緒に笑うことは大切だ。定年した父にしろ、思春期の娘にしろ、遠方に家族がいて、自分たちを大切に思い、幸せを願ってくれていると知ると、無理やりでなく本当に楽しい気分になれると思う。写メや電話では伝わらない気持ちが、きっとあると思いたい。

実家近くの祖母宅にも足を伸ばした。パーキンソン病を患う祖母は、それでもまだ一人暮らしでがんばっている。「10月は障子を張り替えようと思ってる」らしい。足元は覚束無いが、元気だなーとうれしくなる。祖母と私の夫はどちらも干支がさる年。「そんなら、ふたまわり違うんやな」と祖母。夫は42歳、祖母は大正生まれだ。私は指折り数えてしまった。「いやいやおばあちゃん、ふたまわりどころとちゃうでしょ」「ほな、みまわりか」「よまわりやろ!(笑)」 晩ご飯はステーキ肉を焼いてもらう。ブランデーを入れてボワッと火をあげると、私が子供のころ歓声をあげたように、私の子供たちが歓声をあげる。「こんなもん、簡単やで?」と祖母は笑う。

ひ孫たちの顔を見せて気が済んだものの、毎度毎度、もうこれで会えないかも知れないという予感がある。そんな予感を振り払い「また来るから」とハグをした門扉の前。祖母はいつものように笑って手を振ってくれた。

※写真は京都島原の町屋、角屋にて。


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