生物学者の福岡伸一氏がコラムに書いていた一節。
「しごとがしてある」という言い方がなかなかよいと思っている。もともと寿司屋さんの言葉あたりから由来したものだろうか。ただ単に素材を切って握ってあるのではなく、酢でほどよく〆た小鰭であるとか、秘伝のたれに浸したづけまぐろだとか、あるいはちょっと炎にさらしたサーモンのあぶりであるとか。
こういう書き出しでコラムを始めておいて、
本文はコラムのイラストレーション担当の村上テツヤ氏への讃辞だ。
(中略)だから私自身も店頭に並んだその週の本誌を見るまではどんな絵になっているのかわからない。毎回楽しみでもあり、ほんとうに頭が下がることでもある。(中略)一見さらさらっと描かれているようで、毎回毎回、じつにたんねんな「しごとがしてある」のであった。(後略)(「福岡ハカセのパラレルターンパラドクス」より・週刊文春12月29日号)
どの「しごと」もきっと一つ一つは丹念に行われているのだと思う。
なのに、人々はそれらを褒めない、認めない、叩きがちじゃないかなと感じる。
もちろん自分本位で他人に丸投げ、
あとは知らなーいという個人も団体もいっぱいいるんだろう。
そういう人たちには喝を入れる上司とか、励まし合う同僚がいないんじゃないか。
今年の漢字じゃないけど、もうちょっと相手を認め合う動きが大事なんじゃないか。
かげで文句言うばかりなのは大人げないだろうよ。
でも、自分だって旦那に愚痴言っちゃうし、
子どもが折り紙で何かつくってくれても「宿題終わったの」とか言っちゃってる。
あかんやーん。まずは「ありがとう」だろうよ。
…とか思っていたこの年末、
福岡氏の、まっすぐに相手をリスペクトする文章に触れて心が洗われたのだった。
これからも連載とイラストを楽しみにしていますよ。ええ、ほんとに。
「しごとがしてある」という言い方がなかなかよいと思っている。もともと寿司屋さんの言葉あたりから由来したものだろうか。ただ単に素材を切って握ってあるのではなく、酢でほどよく〆た小鰭であるとか、秘伝のたれに浸したづけまぐろだとか、あるいはちょっと炎にさらしたサーモンのあぶりであるとか。
こういう書き出しでコラムを始めておいて、
本文はコラムのイラストレーション担当の村上テツヤ氏への讃辞だ。
(中略)だから私自身も店頭に並んだその週の本誌を見るまではどんな絵になっているのかわからない。毎回楽しみでもあり、ほんとうに頭が下がることでもある。(中略)一見さらさらっと描かれているようで、毎回毎回、じつにたんねんな「しごとがしてある」のであった。(後略)(「福岡ハカセのパラレルターンパラドクス」より・週刊文春12月29日号)
どの「しごと」もきっと一つ一つは丹念に行われているのだと思う。
なのに、人々はそれらを褒めない、認めない、叩きがちじゃないかなと感じる。
もちろん自分本位で他人に丸投げ、
あとは知らなーいという個人も団体もいっぱいいるんだろう。
そういう人たちには喝を入れる上司とか、励まし合う同僚がいないんじゃないか。
今年の漢字じゃないけど、もうちょっと相手を認め合う動きが大事なんじゃないか。
かげで文句言うばかりなのは大人げないだろうよ。
でも、自分だって旦那に愚痴言っちゃうし、
子どもが折り紙で何かつくってくれても「宿題終わったの」とか言っちゃってる。
あかんやーん。まずは「ありがとう」だろうよ。
…とか思っていたこの年末、
福岡氏の、まっすぐに相手をリスペクトする文章に触れて心が洗われたのだった。
これからも連載とイラストを楽しみにしていますよ。ええ、ほんとに。