蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

ちょっと不愉快な

2006年02月23日 07時17分19秒 | 本屋古本屋
このところ古本屋ネタが続いているけれど、今回も古本屋の話。
川崎駅の東口は首都圏有数の繁華街で、とにかくいつ行っても人通りの絶えたことはない。しかも東京みたように気取っていない、つまり多少の猥雑さがともなった賑やかさなのだ。日常性と淫靡が綯い交ぜになったマージナルな空間と思えばよい。小心者のわたしなどは今でもここに来ると身構えてしまうのだが、そんなところに古書店が四軒もあるというのはちょっと意外な気もする。いや四軒と書いたのはわたしの知っている限りでのことなので、もしかしたらこれ以上あるのかもしれない。
中でも最も有名な店が近代書房で、昔と比べて硬めのものや黒っぽいものが減っているとはいうものの、まだ見ごたえのある品揃えなっている。以前たしかここで国書刊行会の『古今要覧稿』を購入したと思うのだが、古い記録がなくなってしまっているので確認のしようがない。しかしわたしが買ったのだからけっして高くはなかったはずだ。砂子通りの大島書店は最近行っていないがまだあるのだろうか。この店はたしか娯楽本を中心とした軽めのものが多かったが、硬い本も結構あったように記憶している。
ところで近代書房のある新川通りには他に二軒あって、一軒は文庫やマンガ、ムックが中心の小奇麗な店なのだが、あいにくとわたしの興味を引く分野でないので滅多に入ることはない。問題はもう一軒目の店だ。場所としては三軒のうちもっとも第一京浜寄りに位置し、店内も最も広いのではないだろうか。しかも本の量が多く人文系の書籍も探せば結構ある。棚と棚の間が狭いので足元近くの段に並んでいる本を見るのにはちょっとつらいものがあるけれども、かなり見ごたえがある。
今日、久方ぶりでこの店を覗いてみた。平日なのになぜ川崎にいるのかって。じつは体調不良で仕事を休んだのです。体調不良なのになぜ川崎にいるのかって。休む旨の連絡を入れた後、不思議と体調が良好になってしまい、家に引きこもっているのもなんだかもったいない気がしたもので、それならというのでこのところご無沙汰している川崎駅前の古本屋を見て歩くことにしたのです。そんな事情であまり時間的余裕のなかったこともあり、今回は新川通りの店だけをチェックしたというわけだ。で、この三軒目の古書店なのだが、たしかに店名を確認したはずなのだけれども、帰宅したらうろ覚え状態になてしまった。古書籍商組合には加盟しているはずなのでインターネットで調べてみたのだが該当する店は見つからなかった。どうもよく判らない。というのも古書店をやっていくには商品の古書を仕入れる必要があるわけで、もちろん店買いで客から直接仕入れることもあるけれど、大半は業者の市で競り落とすのが普通であり、その市に参加するためには古書籍商組合に加入しなくてはならない。したがって古書店は皆この古書籍商組合の組合員であるはずなのだ。組合員であれば「日本の古本屋」サイトで検索できるにもかかわらず該当する店がない。これは考えるにわたしが見た店名と「日本の古本屋」サイトに掲載されている店名が異なっているからではないのか、そういうことなら納得できる。
さて書きたかったことは、購入本の成果なのではない。件の三軒目には確かに面白そうな品があったのだけれども、値段的にはけっして安くはなかった。他の店と大差がないのならば、わざわざここで買う必要もないわけで、持って帰るのも億劫だ。
そしてここからが書きたかったこと。わたしが店内に入ると奥のレジで女性がなにやら店主らしき男性に声を上げていた。車の話だった。子供の送り迎えがどうの、新車を買うの、日本車はいやで外車がいいとか。もしかしたらの女性は店主の娘なのだろうか。とても他人同士の会話には聞こえなかった。いったいこの店は客を石ころか何かとでも思っているのだろうか。すくなくともわたしだったら見ず知らずの他人がそばにいるのに、あのような大声でプライベートな話はできない。あまりに耳障りだったので途中で本を探すのを諦めてしまったほどだ。一般に古書店は無愛想というのが定番だし、こちらもそのほうが気兼ねなく本を物色できる。しかしこの店の態度は無愛想とは違う。あきらかに別次元の問題だ。店主がもし普通の感覚の持ち主だったら、客がいるのにあのような真似はさせておかないのではないだろうか。客を人としてみていないような店には二度と入る気がしない。


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