蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

フライマウラーなど。

2006年02月05日 23時18分25秒 | 古書
先週の土曜日、ほぼ一ヶ月ぶりで高円寺の都丸支店を覗いてみた。
地下鉄丸ノ内線の新高円寺で下車してルック商店街をJR高円寺駅に向かって北上する。直接JRでいったほうが遥かに近いのは判りきっているのだけれども、わたしは都丸を訪れるときには必ずこの経路を通ることにしている。まずこの商店街には高いビルが面していない。ほとんどが木造二階建てでそれも低めの二階建てなのだ。だから空が開放されていて、まるで五十年も前の東京に戻ってしまったような不思議な感覚に浸れる。わたしは基本的にレトロ趣味ではない。しかし今様のあのアーケードに防護された商店街にはどうも馴染めない。たしかに雨や雪の日にはこちらの方がよいに決まっているのだが、でもあのアーケードの天井を眺めているとなんだか自分が倉庫か工場のなかに迷い込んでしまったように思えてしかたがない。
それともう一つ、このルック商店街のよいところがある。さきほど「五十年も前の東京に戻ってしまったような」と書いたが、じつはそんな気にさせる商店街は他所にだってある。例えば墨田区京島の橘通り商店街。ここはかつて山田洋次監督の第二作目「下町の太陽」で倍賞千恵子が暮らす町のモデルになった場所だ。ここだって充分にレトロスペクトなのだが、残念なことに電信柱と電線で空が押さえ込まれてしまっているのだ。それに道幅もルックより狭いのではないだろうか。まあそんなこんなで、わたしはわざわざ遠回りをして都丸に向かうことにしている。
まずは店先の廉価本棚を見渡した後、店内の棚をチェックする。入り口を入って右側の西洋哲学関係の棚から始まって反時計周りで本を見て回る。店の奥の辞書、言語学コーナーが終着点となるが、中心部分の外国文学、国文学の棚は辞書、言語学コーナーを完全にチェックしてから足を向ける。しかし今日も面白そうな辞書、文法書の類は見つからなかった。ところでキリスト教書籍コーナーで『セプトゥアギンタ』二巻が眼に留まった。たぶん以前から置かれていたはずなのだが、目に付かなかった。あるいはわたしがそこに置かれているのをすっかり忘れてしまっていたのかもしれない。裏見返しに貼られている値札をみたら五千ナンボだったので諦めた。所持金がもっと多かったなら購入していたかもしれないが、今現在ギリシア語で旧約聖書を読みたくなっているわけでもないし、本気で読みたいと思ったら新品を教文館あたりで誂えれば済むことだ。
ここで再び表に出て廉価本棚をこんどは慎重にチェックしてゆく。ふしぎなもので先ほどはまったく目に入らなかった品物が、まるで湧き出したかのように次々と見つかり始めた。四週間のインターバルを置くとさすがにこれだ。そんなわけで今回は次の四冊を購入した。
1.Grundriss der Geschichte der Philosophie Band II.
2.Internationales Freimaurer-Lexikon
3.Eretici italiani del Cinquecento
4.Ästhetik als Philosophie der Sinnlichen Erkenntnis
一番目はウエバーベーグスの哲学史第二巻。先月神保町の古書モールで第一巻を購入しているが、こんなに早く第二巻に出会えるたは思ってもいなかった。しかし惜しいことに版は新しくない。
二番の本はLexikonとういうからには辞典で、それではどのような辞典かというとこれが"Freimaurer"つまりフリーメイソン会員の辞典。コンパスを持つ骸骨みたような男が窓から身をのりだしているレリーフの写真をレイアウトしたカバーもおどろおどろしいが、この辞典は一九三二年にヴィーンで出版されたもののファクシミリ復刻版なのだそうだ。わたし自身はフリーメイソンに詳しいというわけではないのでこの辞典の内容的価値を判断できないのだけれども、わざわざ復刻版(一九八〇年)を出すに当たってはそれ相応の水準のものであり、なおかつ購入者数も見込むことができたのだろうと想像する。そもそも日本ではフリーメイソンとペリーメイスンの区別もつかない輩が多々存在するので困ったものだが、これは区別できない者が悪いのではなくて、そもそもこのフリーメイソンという団体が秘密結社であるという事情によるのだと思う。
三番目の題名は「十五世紀の異端的イタリア人たち」ということになるのだろうか。そのうちイタリア語が読めるようになったら頁を繰るつもりでいる。そして四番目が美学関係もので題名は「知覚認識の哲学としての美学」というほどの意味だろう。この本の副題が"Eine Interpretation der《Aesthetica》A.G.Baumgartens mit teilweiser Wiedergabe des Lateinischen Textes und deutscher Übersetzung"となっていて、要すればラテン語原文の一部とそのドイツ語訳から構成されたバウムガルテンの『美学』の解釈に関する本だ。著者のHans Rudolf Schweizerという人は一九三二年のバーゼル生まれ。一九五一年にギムナジウム終了試験(ドイツのアヴィト-アみたいなもの)に合格し、ゲルマン語、ギリシア語、ラテン語、文学、さらに哲学をバーゼルとチュービンゲンで学んでいる。ところでわたしはどうもこの「美学」ってやつが胡散臭くてしようがなかったし、いまでもしようがない。そもそも「美学」という言葉はバウムガルテンによって作られたものだそうだが、これを機会にちょっと「美学」を勉強しなおしてみようかと思った
今回はフリーメイソンを初めとしてなかなか面白そうなものを手に入れることができた。これでお値段がしめて二千三百円はお値打ちです。

羅甸語事始(二十四)

2006年01月30日 23時31分00秒 | 羅甸語
前々回で能相・現在完了について検討した。ちょっと活用を思い出してみよう。現在完了形の活用を例によって"amo"を用いて行うと、"ama-vi-","ama-visti-","ama-vit","ama-vimus","ama-vistis","ama-ve-runt"(ama-vere)ということだった。第二変化、第三変化、第四変化動詞の現在完了については、
"moneo"(忠告する):"monui-","monuisti-","monuit","monuimus","monuistis","monue-runt"(monue-re)
"ago"(行う):"e-gi-","e-gisti-","e-git","e-gimus","e-gistis","ege-runt"(e-ge-re)
"audio"(聞く):"audi-vi-","audi-visti-","audi-vit","audi-vimus","audi-vistis","audi-ve-runt"(audi-ve-re)
だった。
現在完了があれば過去完了、未来完了もあるということは、あまり想像したくないのだがじつはあるのだ。またしても六種類の活用をそれぞれの時制について憶えなくてはならないのか。まったく忌々しい話だ。しかしちょと冷静になって考えてほしい。普段何気なく使用している日本語にだって五段活用、下一段活用、上一段活用、サ行変格活用、カ行変格活用なんてのがあるが、それではわたしたちは学校で「来ない」「来ます」「来る」「来るとき」「来れば」「来い」なんてかたちで暗誦させられただろうか。たしかにわたしも中学校の国語の時間に「来ない」「来ます」「来る」「来るとき」「来れば」「来い」と唱えた憶えはある。しかしこれは日本語の使用法を習得するためにやっていたわけではない。あくまで文法知識としての未然、連用、終止、連体、仮定、命令を学習する中での出来事であったはずなのだ。つまりなにを言いたいのかというと、日本語ネイティブスピーカーであるわたしたちがその日本語を習得する過程においては、個々の動詞活用を機械的に憶えこむ訓練などしなかったということだ。これは古代ラティウム地方の人々とてまったく同じなわけで、ヴェルギリウスだってカエサルだって子供の頃"amo-","ama-s","amat"ってな具合に動詞活用、名詞曲用のお勉強をしたなんてことはなかった(はずだ)。
つまりここには古典語学習の進め方についての大きな間違いがある。現代語の学習を思い出してみてほしい。たとえばドイツ語だとしようか。教科書をめくったらいきなり"lieben"の直説法現在能動相の人称変化"liebe","liebst","liebt","liben","liebt","lieben"が出てきたら面食らってしまう。でもこれが"amo-","ama-s","amat","ama-mus","ama-tis","amant"だとなんだか有難く感じられるというのは古典語についてある種の先入観があるからではないか。古典ギリシア語だろうが、ラテン語だろうが現代英語だろうが、タガログ語たろうが、これらの言語に価値的な差異はない。もっと露骨な言い方をするならば、ギリシア語にしろ、サンスクリット語にしろ古典語を有難がるのはまったく馬鹿げたことで、要すれば学習しやすい教科書をつくれば済む話なのだ。そんなわけで最近の古典語教科書はむかしと比べて随分進歩している。例えばCambridge University Pressから出ている"Reading Latin"などは文法編とテキスト編の二冊物で文法編は六百頁ほどの分厚いものだがテキスト編は現代語の教科書のように次の会話から始まっている。
"quis es tu?"
"ego sum Euclio. senex sum."
"quis es tu?"
"ego sum Phaedra. filia Euclionis sum"
何を言っているのか、だいたい見当が付くはず。蛇足だけれど意味は次のようになる。
「お宅はどちらさんだね?」
「わしゃエウクリオ、年寄りじゃよ」
「して、あなたはどなたさんですかな?」
「あたしフェードラ。エウクリオの娘よ」
これならば"Puellae donant Dianae deae coronam rosarum"(少女たちはダイアナ女神にバラの冠を贈る)なんてアホみたような文章よりはよっぽど学習意欲が沸くというものだ。
さて気が進まないけれども過去完了、未来完了を見ることにするか。お馴染みとなった"amo"を使うと、まず過去完了は、
"ama-veram","ama-ver-as","ama-verat","ama-vera-mus","ama-vera-tis","ama-verant"
次に未来完了は、
"ama-vero-","ama-veris","ama-verit","ama-verimus","ama-veritis","ama-verint"
なんだそうだ。いずれも完了幹"amav"から構成されていることに注意願いたい。ところでここでなにか気付かないだろうか。つまり活用する語尾部分。わたしは気を持たせるのが嫌いなので早速種明かしをしてしまうのだが、"sum"の未完了過去直説法能動相の活用"eram","eras","erat","eramus","eratis","erant"と未来直説法能動相の活用"ero","eris","erit","erimus","eritis","erunt"をそれぞれ過去完了、未来完了の活用語尾とくらべてみる。ほとんど同じなのだ。「ほとんど」といったのは同じではないものがあるということで、未来完了の三人称複数形の活用語尾は"erint"であって"erunt"ではない。以上が第一変化動詞についての過去完了、未来完了の活用だったがこの他第二変化、第三変化、第四変化動詞についての活用もある。しかしそれらも完了幹に上記の活用語尾を付ければ出来上がってしまうのでたいした問題ではない。
それでは"sum"の過去完了、未来完了はどんなことになるかというと、まずは現在完了の活用を確認する必要がある。たぶん今まで"sum"動詞の完了形についてはまったく触れてないはずだ。そこで"sum"動詞の現在完了形はというと、"fui-","fuisti-","fuit","fuimus","fuistis","fue-runt"("fue-re")。まずびっくりするのは"sum"の完了幹が"fu"ということ。わたしたち日本人には"sum"と"fu"の間に限りなく大きな隔たりを感じてしまう。このあたりの事情を突き詰めてゆくと、それだけで一冊の本が書けるくらいの議論になってしまうので、ここではもうこれ以上は触れないことにする。そこで"sum"動詞の過去完了、未来完了の活用はというと、まず過去完了は
"fueram","fuera-s","fuerat","fuera-mus","fuera-tis","fuerant"となる。活用語尾はあくまで"sum"の未完了過去直説法能動相の活用なのですよねえ。そして未来完了については、もう大方想像できると思うのだけれども、一応上げておくと、
"fuero-","fueris","fuerit","fuerimus","fueritis","fuerint"
これは大層判りやすい。ラテン語ってなかなか規則的なんだなあ。何十年か前の某国立大学のラテン語初級講座では、文法事項の説明もそこそこにいきなり『アエネイアス』を読んだって話を聞いたことがある。教える側の先生にしてみれば文法説明なんてあまりに単純すぎて退屈でたまらなかったんだと思うのだけれど、それにしてもねえ、いきなり『アエネイアス』はないんじゃあないだろうか。とにかくむかしはこのような乱暴な教授法が幅を利かせていたわけだが、これじゃあなかなか西洋古典語の力なんてつくわけがない。よくできた教材が多く出回るようになった今(といっても、外国語の教科書ばかりなのだが)、もしわたしが学校に通っていたならトマス・アクイナスの"Summa Theologica"くらいだったなら読めるようになっていたかも知れないと思ったりした。
もうこのあたりにしておこう。あとは冷えたビールが待っている。ところで今回の自分への課題は次のようなお話。
"Jupiter, postquam terram caede Gigantum pacavit, homines novum genus, in eorum locum collocavit. Hos honimes Prometheus, Japeti filius, ex luto et aqua finxerat. Prometheus autem, misericordia motus, ubi paupertatem eorum et inopiam vidit, ignem e caelo terram secreto deportavit. Principio enim homines, ignari omnium artium, per terram errabant, famem grandibus et baccis aegre depellentes. Propter hoc furtum Jupiter iratus Prometheum ferreis vincuis ad montem Caucasum affixit. Huc ferox aquila quotidie volabat, rostorque jecur ejus Ianiabat. Denique post multos annos Hercules aquilam sagitta transfixit, et captivum longo supplicio liberavit."(注1)

(注1)『新羅甸文法』111頁 田中英央 岩波書店 昭和11年4月5日第4刷

我愛欧羅巴影片(九)

2006年01月29日 10時07分54秒 | 昔の映画
近頃は、映画俳優の魅力がすっかり無くなってしまった。だから最近売り出し中の若手女優も男優も名前を憶えることはほとんどない。そもそも映画を観ようとしてもカタカナ表記の題名ではどのような作品なのか想像する気さえ失せてしまう。「プロミス」って聞いても消費者金融業者の悪徳商法を描いた映画くらいにしか思わない。さらにわたしは子供の頃からいわゆるハリウッドの映画スターにはまったく興味がなかった。あの煌びやかな美男美女がたまらなく好きだという人もたしかにいるが、わたしにはとても退屈で空々しくさえ感じられたものだ。
クリント・イーストウッドと聞いて知らない人はまずいないと思う。わたしがこの俳優をはじめて見たのはCBSのテレビ西部劇番組「ロー・ハイド」だった。当然ながらそのときはクリント・イーストウッドという名前を意識して番組を観ていたわけではない。彼の名前を知ったのはセルジオ・レオーネのB級活劇といってよい「夕日のガンマン」を観たときだ。それにしてもこの映画はやたらと埃っぽかった印象がある。西部劇といってもハリウッド物はというとどんなに砂塵が渦巻こうがそんなことはなかった。
悪党を追う賞金稼ぎのイーストウッドと、別の理由でやはり同じ悪党を追っているリー・ヴァン・クリーフ。拳銃の腕が頼りのイーストウッドとどこか知的な雰囲気のあるリー・ヴァン・クリーフの対照がよかった。そしてもうひとり、憎憎しくて不愉快きわまりない悪党を演じていたジャン・マリア・ボロンテ。この映画を観終わった後、記憶に残ったのはイーストウッドではなくてリー・ヴァン・クリーフとジャン・マリア・ボロンテ の二人だった。
村の粗末な飯屋でリー・ヴァン・クリーフが食事をとるシーンがある。もちろん豪華な料理など出てくるわけではない。まるで前菜みたいな簡単なとても料理とはいえないような代物を彼が食べるのだが、このシーンがよかった。主人公であるイーストウッドに感情移入している観客であるわたしは、最初のうち彼をイーストウッドの敵のように思っていたのだが、このシーンで見せるリー・ヴァン・クリーフの演技は彼の食べている料理をこの上なく美味そうに見せ、しかもその表情がなんとも物悲しくて、もしかしたら彼は単なる商売敵ではないのではないかと想像させた。わたしはこれですっかりリー・ヴァン・クリーフという俳優が好きになってしまった。
そしてこのリー・ヴァン・クリーフと双璧をなす俳優がジャン・マリア・ボロンテ。油ギトギトの髭面で、観客に一点の好感も喚起しない「理想的」ともいえる悪党を演じた彼が当時まだ三十二歳だったと後で知ってびっくりした。わたしにはどうじても四十代後半に見えたものだ。髭や油顔はもちろんメイクで、素顔の彼はかなり魅力的な風采だということを知ったのもづっと後になってからだ。それにしてもこの悪党の憎たらしさは今もって忘れられない。まあそれほどの芸達者だったともいえるわけで、もしかしたら彼はこの悪党を演じるのが楽しくてしょうがなかったのかも知れない。
監督であるセルジオ・レオーネは一九八九年に亡くなったが同じ年にリー・ヴァン・クリーフも六十四歳で亡くなっている。そして五年後の一九九四年、ジャン・マリア・ボロンテも六十一歳で鬼籍に入ってしまった。

ソーカツ

2006年01月28日 10時42分45秒 | 言葉の世界
だめだ。完全に頭の芯まで凍りついてしまっている。だから何も見えないし何も書けない。
昨日は代休がとれたので久方ぶりに金曜日の古書展を見ることができた。初日なのでそれなりに品物はそろっていたものの、筋金入りの書痴どもは開場と同時になだれ込み目当ての品物を掻っ攫っていくので、午後にはもう目玉商品はなくなっている。もっともわたしの興味ある分野には大方の書痴は見向きもしないので、午後だろうが二日目の土曜日だろうが影響はない。
今回は趣味展だった。昨年七月の趣味展では十五冊ほど購入したものだが、今回は控えめの四冊で内容的に古本の王道を行くようなものだった。中でも特筆すべきは禅学辞典で大正四年八月二十日に東京府巣鴨の無我山房から刊行されたもの。著者は神保如天、安藤文英の両氏。かなり使い込まれていて、引かれていない頁は恐らくまったくないだろうと思われるほどに各頁に手油が染込んでいる、というほどのもの。こうなってくるとさすがのわたしでも少々触るのを躊躇してしまう。まあそれほど黒っぽい本なのだ。惜しむらくは皮装の背を透明フィルムで補強してあることか。これじゃあ普通は二、三百円が相場なのだが、さすが「禅宗辞典」だけあってなんと八百円の値が付けられていた。ついでに書いておくと戦後の版は東陽堂で九千円で売っている。
それから寺川喜四男、日下三好による『標準日本語發音大辭典』なんてのがあったので買った。五百円。実はこの本、昭和十九年六月二十日に初版が三千部出ているが、わたしが購入したのは昭和二十年三月十五日刊行の再販で二千部出たうちの一冊にあたる。しかしそれにしても昭和二十年という時期によくも出版されたものだと思って中身を読んでみて納得した。
「方今、内には皇國正統の國語を醇化し培養し、外には斯の醇化國語を遠く海外に宣布し昂揚し、弛緩なく假借なく、勇往すべきこと、すでに最近の帝國議會に在りて、橋田文部大臣も問者に對して明快なる應答をせられたるが如くである」(新村出の序より)。
「『言靈のさきはふ國』日本の『ことば』は、大東亞諸民族の團結を象徴して、幸ひに幸はうとしてゐる。『共榮圏日本語』は、口から耳への『ことば』として、その據るべき基準をもとめられてゐる。」(寺川喜四男のはしがきより)。
「今次大戰勃發の動機は、澎湃たる國民的自覺を促し、延いては我が國語學界にもこの著しい現象が觀られて、語學史上一新時代を劃したものといふべきである。」(日下三好のあとがきより)
「惟ふにこれは、八紘為宇の大精神に貫く民族史の辿るべき、大和語の輝かしき歸結であって、この時代史的脚光を浴びて世に浮かび出たのが、我が「標準日本語發音大辭典」」(同)
つまり言語によってもアジア圏を支配しようという国策が背後にあったわけだ。なお山田孝雄も序を寄せているが、新村や著者たちのような勇ましいことは書いてない。ごく当たり障りのない文章になっている。
事ほど左様にそんなわけだから、この大辭典には「自由主義」という単語は出ていてもさすがに「共産主義」や「独裁」はない。まあこれは何時の時代でも形を変えて現れることだからそれほど騒ぎ立てるはなしでもない。ところで『標準日本語發音大辭典』の出版が政治性、党派性を孕んでいるのは確かなのだけれども、一般にイントネーションそのものに政治性や党派性はあるのだろうか。わたしはあると思う。たとえば「総括」。「ソーカツ」はわたしとしては"下中中中(平板)"イントネーションで発音されねばならないと思っている。それを"上中中中(頭高)"と発音されるとどうしてもあの連合赤軍事件を思い出してしまう。これなどはれっきとしたイントネーションにおける党派性ではないだろうか。ところが近頃ではこの「連合赤軍」的イントネーションが随分と幅を効かせてしまい、とうとうNHKのニュースアナウンサーまで"上中中中(頭高)"で「ソーカツ」と読み上げる始末だ。これを聞くたびにわたしはそのアナウンサーが党派的に感じられてしかたがない。

後心不可得(前)

2006年01月25日 04時30分47秒 | 不知道正法眼蔵
『正法眼蔵』という本は難しい。なぜ難しいのかということについてはわたしなりの見方を「回憶正法眼蔵」の回でちょっと披瀝してみた。確かに難しいのだが、すべての章が理解不能な宇宙語で書かれているのかというとそうでもない。なかにはかなり判りやすいものもある。宗教的な深さということを抜きにすれば言語レベルでの了解は可能という章だってなかにはある。
例えば「前心不可得」「後心不可得」などはこの部類に入れてよいのではないだろうか。ところで岩波の日本思想大系版では「第八心不可得」が「前心不可得」に相当し、「後心不可得」は「第七十三他心通」に相当する。今回は「後心不可得」を取り上げるのだけれども、今まで日本思想大系版を参照してきた都合上、今回もまた日本思想大系の「第七十三他心通」をテキストとして使用することにする。
それにしてもこの『正法眼蔵』という本はやったらめったら色々なバージョンが存在していて、これの研究についての論文も半端な数ではない。だから素人がこの問題に手を出すととんでもないことになってしまう。もちろんわたしは正真正銘の素人だから正法眼蔵フィロロギーについては何もいえない。岩波版を使うのもこれが偶々手元にあるということ。もっと遡っては、むかしむかし古田紹欽先生に『正法眼蔵』を読んでいただいた折に使用したテキストが岩波の日本思想大系版だったからなのだ。さらにいえばこの岩波版が理想的なテキストというわけではけっしてない。古田先生がこれをテキストに指定したのは、当時最も簡単に手に入れることができたのが岩波版だったからだと拝察している。研究室での講読で先生はこのテキストに対して時々言葉を置き換えながら読んでいらっしゃったからだ。誤解しないでいただきたいのだが、なにもわたしは岩波版が使い物にならないといっているわけではない、これだってしっかりとしたテキストだし、このおかげでわたしたちは『正法眼蔵』を手軽に読むことができるようになったのだから。
同版は今では岩波文庫にも収められていてハードカバーよりさらに手軽に読めるようになっている(が、値段的に手軽になっているとはいいかねる)。しかし岩波文庫ではこの版より以前に衛藤即応校訂による上中下三巻の『正法眼蔵』を刊行している。それがなぜ水野弥穂子校訂の四巻本になってしまったのか理解できない。さらに本来なら衛藤即応版は岩波書店でリクエスト復刻版として出すべきところをなぜ紀伊國屋書店出版部(一穂社)からバカ高い価格(オンデマンドとはいえ上巻五千八百八十円、中巻五千八百八十円下巻六千百九十五円だと)で出ているのかまったく判らない。これが岩波のリクエスト復刻版だったらどれほど高くても一冊あたり精々千円前後見当だろう。ついでにいえばこの衛藤即応三巻本は古書価格で全巻揃九千円といったところだ。わたしは怒りをもってこれを書いている。いまわたしたちは水野版であるならばかなり手軽に参照することができるが、しかしもし衛藤版を読もうとしたならば一万八千円近く支払わなくてはならないということで、これはどう考えてもまともな状況とはいえない。かりにそれが著作権にからむ問題が背後にあるのだとすればなんとも遣り切れない話だ。
なかなか本題に入らないのはいつもの事とて、それでは「後心不可得」または「第七十三他心通」を見ていこうと思ったのだが、これから始めると紙数を大幅に超過するので本編は次回ということにいたします。あしからず。

偽装の効かない考古学

2006年01月22日 16時16分05秒 | 彷徉
一昨日から東京古書会館でがらくた展が開催されている。通常は金、土曜日二日間の開催なのだが今回は二十四日の火曜日までやるそうだ。いったいどうした風の吹き回しか。本来であればわたしは土曜日の出動となるところなのだが、生憎の雪ではさすがに外出する気になれなかった。いやいや、熱心なというかごく普通の書痴であればこの程度の降雪くらいなんのその、嬉々として出かけてゆくものだ。だからわたしが雪に負けたのは、つまり書痴としてまだまだ未熟者であるこというの証でしかない。慙愧しております。
そんな日はいったいどのようなことをして過ごしているのかというと、大抵は本の整理をしている。ところがこれが一向に捗らない。なにしろ目の前にある本の山は自分にとって興味のあるものばかりなので、一冊手に取れば頁を繰りたくなり、頁を繰れば読みたくなる。これでは整理などできるわけがない。岩波文庫はもう随分と前から書架に納まりきれなくなっていて、書店でもらった紙袋(あの本という字で神保町の地図がデザインされたおなじみの紙袋)に入れてある状態だ。一時岩波文庫の分だけでもデータベース化しようと計画したことがあった。やれスキーマだ正規型だとちょっと気をいれてDB設計なんかしたのだけれども、各カラムへのデータ入力の段になってついにギブアップしてしまった。購入日付、書籍名、叢書・文庫・新書名称、版型、ISBN、著者、談話者、編者、編著者、校訂者、校注者、箋注、監修者、校訳者、監訳者、訳者、訳注者、補訳、編訳者、出版社、初版発行日、最新発行日、版、購入書店名、表示価格、購入代価、いや入力項目はまだまだある。どてもじゃないがやっていられない。そんなわけで所蔵している本はまったく整理できておらず、どのような本があるのかないのかはすべてわたしの記憶任せというのだから情けない話だ。
『ラヴクラフト全集』といっても創元推理文庫版のほうだが、それが山の中から出てきた。ハワード・フィリップス・ラヴクラフトという作家をどう評価したらよいかわたしにはわからない。しかし読み始めるとどうして彼の世界にはまってしまう、そんな作家だ。世間から注目されることもなく、他人の作品の推敲で生計を立てていたそうで、生前に出版された唯一の作品「インスマウスの影」がこの全集の第一巻に収められている。そこでつい頁を繰ったのがまずかった。読み始めたら止められなくなってしまい、とうとう百二十頁分を一気に読了してしまった。
ところでしかし、わたしが探していたのは『ラヴクラフト全集』などではなかった。一九八二年にダルムシュタットのWissenschaftlich Buchgrsellschaftから刊行されたRainer Slottaという人の書いた"Einführung in die Industriearchäologie"という本なのだ。本文百九十頁ほどの、そんなに大きくはないものだが、そもそも題名からしてちょっと気になったので買ってしまった。直訳すると「工業考古学入門」というほどの意味だが、こんな学問分野があるということさえこの本を見るまで知らなかった。しかし知らなかったのはわたしの無知ゆえで、日本ではじつに一九七七年(昭和五十二年)に「産業考古学会」が立ち上がっている。"die Industrie"とは「工業」のことだがどうしたわけか我国では「産業」と訳されてしまう。例えば"Industrial Revolution"は通常「産業革命」と訳されるがこれはあくまで「工業革命」が正しい。だってそうでしょう、「産業」といったら農業や漁業、伝統工芸までを含むかなり幅広い概念なのだから。とすれば「産業考古学会」というのは誤解を生じやすい曖昧な命名なのであって、やはりここは「工業考古学」としたほうが事態をより精確に捉えているように思える。Rainer Slottaのこの本では「工業考古学」を"Industriearchäologie ist die systematische Erforschung aller dinglichen Quellen jeglicher industriellen Vergangenheit von der Prähistorie bis zur Gegenwart"「工業考古学とは、有史以前から今日にいたるそれぞれの工業に関わる過去のすべての具体的な資料の体系的研究である」(注1)と定義している。また本文の後に百六十葉ほどの写真が載っていて紀元前三百年から二百年のノーフォークのグリム鉱山から紹介されているが、やはり圧巻はドイツの"Zeche"つまり炭鉱の付属施設の写真だろう。ありていに白状すると、わたしはこれらの写真が頗る気に入っている。いつかこの本とそして写真について専ら取り上げようとも考えている。

(注1)"Einführung in die Industriearchäologie"s.1 Rainer Slotta Wissenschaftlich Buchgesellschaft 1982

心をオフするには

2006年01月21日 20時31分37秒 | 彷徉
このブログでは何度か商店街を取り上げてきている。わたしが訪れた商店街はどこも皆で一所懸命に盛り上げようと努力している様子が伝わって来てとても好感が持てた。そういうところには自然と客も集まってくるもので、たとえば集客ポイントとなるような大規模小売店など必要ない。そのような商店街の一つが横浜の弘明寺商店街なのだ、とここまで書いて自分の大きな間違いに気が付いた。弘明寺観音っていう(江戸時代には)超有名な集客ポイントがあったではないか。ってなわけで今回は弘明寺商店街について。
横浜市営地下鉄の駅を出ると商店街の入口のまん前が横浜国大附属中学なのでこれは目印代わりになる。もっともそんな目印がなくたって初めてここを訪れたお客さんでも決して迷うことはない。商店街のアーケードがいやが応でも目立つからだ。一般には寺社仏閣にいたる商店街を「仲見世」という。だいたいどこでも一直線に進めば目的の社に到達するものだが、例えば川崎大師はちょっと変わっていて、京急川崎大師駅からの参道を入っていくと、ある地点で百八十度転回して仲見世に入ってい行く仕掛けになっている。平間寺(川崎大師)が東向きということと、京急川崎大師駅が大師様よりもずっと西寄りという位置関係のおかげでこんな風になってしまったのだ。しかしここ弘明寺はそんなややこしいロケーションではない。この商店街、というか「仲見世」をひたすら真っ直ぐに進んでゆけばよい。
なぜわたしが敢えて「仲見世」と書いたかというと、これは行ってみればわかるのだけれども、先ず和菓子屋が目に付くこと、酒屋が目に付くこと、食い物屋が目に付くこと、これに尽きるのです。門前町はこれでなくっちゃあいけません。参拝者にとってここは「ハレ」の場所なのですから。とにかく飲んで、食って、お金を使う、これが普通の人々にとっての取りも直さず精進の実践にほかなりません。仏教の難しい教えはこの際わきに置いておいて、とにかく救われればそれでよいのです。その救いの現成が「今」あるならなおさらよい。ここがキリスト教的終末論とまったく異なるところで、だから島原に隠れキリシタンの伝統が在ったとはいえ、これが未だに我国にキリスト教が普及しない原因にもなっているわけだ。最近では幾分減って来ているとはいえ、繁華街で大音量のスピーカーで聖書の朗読を垂れ流す某キリスト教団体を見かけるにつけ、わたしには彼らが本気で日本にキリスト教を布教する気があるのかと疑ってしまう。
仲見世的商店街の辿り着いた先が板東観音三十三カ所十四番札所瑞応山弘明寺蓮華院。こじんまりとしたお寺だが山門は立派なものだ。本堂まではちょっとした石段を登らねばならない。高さにして建物四階分ほどだろうか。しかしこれがまたなんともよい。宗教施設に赴くにはなにかしらハードルを越えてゆかねばならないというのが古来からのおきまりなのだから。で、やっとこさ本堂前に到着するとここがまた田舎のお寺って雰囲気で心和むんですねえ。「心和む」ってのが弘明寺のキーワードかもしれない。このお寺は真言宗だそうだが、真言宗の教義というのが実に派手というか煌びやかというか、あの道元禅師の禁欲的仏教世界の対極にあるもので、しかしこちらの方がよほど宗教的なのかも知れない。参詣の後はもちろん買い物と食い物。というわけで、和菓子屋でお菓子を買って酒屋で「弘明寺」銘柄のお酒を買って救われた気分になり、ついでに古本屋のブルボンをチェックした。古本屋にしてはちょっと愛想がよすぎるのが気になったが、町の古本屋さんは愛想が良くてもいいじゃないか。とかなんとか思いながら無事帰宅した。
どうも今回はもろ観光案内になり、少々文章に締りがなくなってしまった。恥ずかしいのだけれども、たまにはこんなことがあってもよろしいのではないでしょうか。

どこかにないものか。

2006年01月20日 05時25分02秒 | 彷徉
わたしは最近外で飲むということがほとんどない。理由はいたって簡単で要すれば気に入った店がないからだ。とにかく静かに飲んで食べたい。だから他の客から親しげに話しかけられるなんてのは真っ平御免だ。よくテレビドラマなんかで近所の顔見知りが集う飲み屋なんてのが舞台になることがあるが、わたしはそのような店にはとても行く気にはなれない。そして理想の飲み屋、というより小料理屋とは美味い酒と料理を出し女将が魅力的であるのはもちろんだが、マクドナルドのハンバーガーや吉野家の牛丼を美味いと思うような惚けた舌を持った若造がいない店でなくてはならない。
どんな料理を出してくれるか。「料理の鉄人」みたような、あまり凝ったものは欲しくない。そもそもわたしはあのプロ・グルメ連中を絶対に信用しない。だって鮨の食べ方さえ知らないんだもの。そうではなくてたとえばおでんとか、アサリのダシで柔らかく煮たダイコン、牛筋肉の煮込み、焼き鳥だって備長炭がどうのこうのと理屈をこねるよりも、基本的にはタレの美味さが決め手じゃないだろうか。お酒は何にしようか。お酒ですよ、間違っても「日本酒」などといってはいけません。「サケ」は「匁」や「津波」「競輪」と同じように世界共通語なのです。あの久保田のなんとかいう高いお酒があるけれども、わたしには正直なところ美味しいとは思えない。辛いばっかりで味わいがまったく感じられないからだ。それならばいったいどの銘柄がよいだろうか。しかしこればかりは自分自身の舌で味わって探すしかない。わたしに美味しい酒があたなにとっても美味しいとは限らないから。むかし学校に通っていた頃指導していただいたスペイン人の先生は「大関」を美味しい美味しいといって飲んでいたが、わたしには甘ったるくでとても飲めなかったし今でも飲めない。
店の立地も大いに気になるところだ。まずビルの地下はいけない。そもそもわたしは「地下恐怖症」なんです。それと表通りに面していてはいけない。路地にあるのがよい。すし屋だって名店は路地にある。浅草辨天山美家古寿司は馬道通りに面しているけれども、そもそも馬道は表通りではなかった。ついでに書くとこの店はむかしは本当に町内のすし屋って感じで、今みたいな「高級店」ではなかった。どうも「すし屋」が「鮨屋」になると通ぶった連中が集まり出すようだ。ところで路地といってもまるっきり路地ではだめだ。でもこれをどうのように表現したらよいのか考え込んでしまう。さて店内は賑やか過ぎてもいけないし、また寂しすぎてもいけない。なんだか勝手な言い分だが他に言い様がない。打ち水と盛り塩は必須アイテム。わたしが入ると客はまだいない。とりあえずカツオの塩辛を肴に飲み始める。女将が親しく応対するがけっして馴れ馴れしくはない。この微妙な距離感が客を引き寄せるのだ。軽い話題での会話。たとえば小説だったら、団鬼六がよい。わたしはギャンブルの類を一切しない。いやギャンブルどころかゲームもまったく嗜まない。麻雀はもちろん囲碁、将棋、カード、ずべてやらない。まあこうなってくるとちょっと普通じゃあないが、やらないのだからしようがない。だから鬼六なのだ。わたしは団鬼六の作品に不思議と様式美のようなものを感じる。そんな話題に付き合ってくれるような「教養」ある女将のいる店がどこかにないものだろうか。そうそう忘れていた。もう一つ、店内禁煙であること。
とここまで来るとまさに理想のMy小料理屋で、とてもではないが経営的に立ち行かないと思うのだが、そんな店ならわたしは毎日だって通う(に違いない)。

スーツ姿でお買い物。

2006年01月18日 00時00分26秒 | 古書
今日は仕事が休みだったので昼食のあと神保町に行ってみた。一月に刊行される岩波文庫を購入するのが主な目的だったので、古書については特に期待していなかった。最近では日本特価書籍でも岩波文庫を扱うようになり信山社で買うと高くつくのだが、梅原龍三郎のカバーが欲しいためここで買うことが多い。べつにこれといって魅力的なカバーというわけでもないのだけれども、わたしの所蔵している岩波文庫の大半にこれがかけられているので、ついつい揃えたくなってしまうのだ。節約したいのならばもちろん日本特価書籍で購入するに越したことはない。今月はレヴィナスの『全体性と無限』下巻とシエサ・デ・レオンの『インカ帝国史』の二冊だった。ついでに書いておくと去年は『アンデス登攀記』下巻と『クック 太平洋探検(三)第二回航海(上)』だった。
三省堂裏の古書モールを覗いてみたらウエバーベーグスの哲学史第一巻が二千円で出ていたので買ってしまった。マックス・シェーラーの原書もあったけれど八千円もしてはとても手が出なかった。ウエバーベーグスの哲学史は版を上げるごとに段々と大部になるので有名な本で、わたしが既に持っているマックス・ハインツ編集の一八九四年版第一巻で三百八十頁だったものがこのカール・プラエヒター編集の一九六七年版では九百二十頁にもなっていた。洋書の専門書は値段の付け方が極端で、専門店では高くてもこれが非専門店に並ぶと一桁分安くなったりする。コンディションがよければ高いというわけでもない。要すれば需要と供給の関係で値段が決まるのは和書以上のように感じられる。三茶書房のワゴン・セールを覗いて見ると浅野信の『日本文法語法論』がなんと五百円で出ていたので迷わずに買った。函付きでほんの少々汚れがあったものの、函無しなのに五千円で売っている店もあることを思えばやはりこれは安い買い物だと思った。三茶書房での買い物は一昨年の十月以来となるが、ここでは岩波文庫の古いものや三島由紀夫関係の本を買っている。
神保町に永く通っているといわゆる有名人を見かける事がある。いつだったか大雲堂の地下で自殺したポール牧をみかけた。弟子らしき若衆を連れてきていて「お前もいい本があったらお買い」なんぞと言っていたっけが、しかし大方は評論家や作家だ。数学者の広中平祐を明倫館の店先で見たことがある。もっとも本人かどうかは確認できなかった。頻繁に見かけたのは紀田順一郎かな。いずれにせよ神保町という街にはあまりスーツで決めたような人物は似合わないように思うのだが植草甚一はダンディーだったし、反町茂雄もやはりダンディーだった。
わたしは田村書店にはあまり入らない。どうにもここの店主の態度が気に食わないからなのだが、置いてある品物自体は魅力的なものばかりだ。随分と前のことになるが偶々この店に入って棚の本を眺めていたことがある。西洋哲学関係の本が並んでいる棚の前だった。ニコライ・ハルトマンの『存在論の基礎附け』が眼に留まったので棚から抜いて頁をめくっていると、隣に誰かが立っている気配がした。自分と同じ分野に興味がある客というものは、どうも気になって仕方がない。わたしはそれとなく横に立って本を探しているその客を見遣った。そのとき同時に客もわたしの方を見たのでお互いの目が合ってしまった。彼はわたしより幾分背が低かったが、この街には似合わないほど真面目な紺のスーツで決めていた。先ごろ引退表明した日本共産党の不破哲三だった。

花のラーメン屋

2006年01月17日 07時29分11秒 | 彷徉
そのものズバリ「不味いラーメン屋」という題で以前このブログに書いたことがある。池袋のサンシャイン60通りの脇道をちょっと入ったところにあるチェーン店のラーメン屋で恐ろしく不味いラーメンを食わされたといった内容だった。出されたラーメンが不味いのではもうお話にもならないのだが、世の中とんでもない店は他にもあるもので、今回はその件について少しく報告する。
先週の某日、わたしは靖国通りの神田錦町側歩道を歩いていた。時刻は正午前だったが早めの昼食をとることにした。近頃はいろいろな外食チェーン店ができ吉野家と小諸そばしかなかったときよりは遥かに選択肢が増えたように見えるが、実際にはそんなことはない。蕎麦だろうが中華だろうが洋食だろうが、とにかくどれをとっても同じ味がするのだ。蕎麦とハンバーグ定食がどうして同じ味なのだ、それはお前の味覚が狂っているからじゃあないのか。いやいやそうではない、確かに食べているときはそれぞれ違ったものとして味を認識しているつもりなのだが、後になってその味を思い出そうとしてもどうしてもできない。要すれば同じ味として記憶されてしまっているのだ。と、このように書いても恐らく納得してくれる人は少ないに違いない。だからもうこれ以上説明しない。
靖国通りにも何軒もの外食チェーン店が軒を連ねているが、昼前だったのでどの店もそれほどの混みようではなかった。わたしは食い物屋で待たされるのが大嫌いなので、なるべく空席の多い店を探して入ることにしている。豚丼やカレー丼なんてゲテモノは間違っても食べない。それと「すかいらーく」のようなファミレスにも絶対入らない。ファミレスはあの雰囲気が我慢ならないし、供される食い物そのものもわたしの舌に合わない。いっそ神保町まで足をのばして「南海」のカツカレーでも食べようかとも考えたのだが、時間的にみて「南海」では店先に行列ができている頃合だったのでそれもあきらめた。どうしようかとあたりを見回して目に付いたのがラーメンの某チェーン店だった。
ドアを開けて店内に入ってみると既に八人ほどの先客がいたが、空席はまだ充分にあったのでそこで食事をとることにした。ソース焼ソバと餃子を注文した。ついでに喉が渇いていたのでビールを注文したらお摘みの南京豆とともに中瓶がでてきた。まあここまでは特に変わったこともなく、店員のネーさん(多分アルバイト)の応対についても不愉快にさせられることもなく、難をいうならわたしの前にティッシュペーパーの函が置かれていないことくらいだった。やがて待望のソース焼ソバがやってきたので食べてみる。うん、まあこんなものだろう。味はけっして悪くない。ちょっとソースの量が多すぎてしょっぱい感はあるけれども、若人にはこれくらいの味が受けるのかもしれない。ちょっと話が横道に逸れるけれども、むかしわたしが学校に通っていた頃、神保町の伊峡でよく食べたソース焼ソバは美味かったなあ。それに結構大盛りだったように憶えてる。いまでも品書きにあるのだろうか。などなどを思い出していたら餃子もできてきた。この餃子ちょっとむかしの味がしてなつかしいなあ、スーパーで売っているやつは味わいがないもんねえ。
そのとき二つ隣の席で食べていた客が立ち上がってツツーと店の奥のほうへと入っていった。トイレだった。ドアが開けられたとき一瞬不快な臭気を感じた。この店のトイレには換気設備がないのだろうか。多分、いや確実にないに違いない。わたしは凍り付いてしまった。用を足し終えた客がドアを開けて出て来たときの事態が頭に浮かんだ、というより鼻先に漂ってきたからだ。そしてついにその時がやってきた。このときの匂いを言語表現できないことを神に感謝しなくてはならない。いまこのブログを書いていても胸が悪くなってくる。ソース焼ソバも餃子もいっぺんで嘔吐の対象になってしまった。聖と汚辱の大転換。それにしても他の客はどうしてよくも平然と食事を続けていられたのだろう。わたしよりも根性のある人間がそろっていたということなのか、あるいは単に臭気に鈍感なだけなのか、そこのところはいまもってよく判らない。