忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

自分の意見は大切にしましょう

2011年11月06日 | 過去記事

職場のベランダで産経新聞を読んでいると、例の如く、何人かの職員がやって来て邪魔をされる。中には「韓流おばさん(本物)」もいて、いろいろと言ってくる。先日、ついに「KARA」のDVDが放映されていて、女性職員の何人かが合わせて踊っていたのだが、その私のあまりの「スル―っぷり」に話題が及び、なぜにそれほど無反応なのか、と問い詰められたりもした。私は精一杯、いえいえ、そんなこたぁないです、ちゃんと素晴らしいと評価しております、どうか、勘弁してください、と全方向謝罪したりする。

少し離れたところに茶髪の兄ちゃんがいた。30代半ばのアンちゃんだが、私よりも先輩、この施設にも4年以上いる。以前、ここにも書いた「オレは社会の型にはまらない!型破りの男だぜ!」という30代の男性職員とも仲が良く、こんな職場面白くない、こんな仕事をしていても仕方がない、などとマイナスワードを交換し合っている。

彼は従順を嫌う。社交辞令をバカにする。そういえば昔、パチンコ屋で働いていたときにも、同じようなのがいた。20代だった。その若き青年は当時、私と同じ年の「主任補佐」という役職の男性をして「店長の犬」と称して馬鹿にしていた。毎日、会社と家を往復して、上司にぺこぺこして生きて、いったい、何が楽しいのだろう。オレなら自殺するね、と小馬鹿にしていたのである。頭の中にはおそらく、まだ「BOOWY」の曲が流れている。SCHOOL OUTして社会に出て、適当なわがままジュリエットをみつけてONLY YOUとか言って現実逃避、オレは会社のMARIONETTEじゃないんだよと、ON MY BEATでよろしくやっていたら、いつの間にか人生自体がLONDON GAMEという状態なのだ。

私はその20代の青年に対し「お前が馬鹿にする主任補佐は30歳で3人の子供を育て、親の面倒を見ながら新築の2世帯住宅を持つ。車も持つ。会社でも管理職をしている。比して、お前は成人式が済んで何年か経つのに、まだ、親元で家賃も払わず、母親の作った晩飯を喰い、毎日、仕事が終わればパチスロして遊んでいる。話題といえば賭け事かオンナ、会社か上司の陰口、小学生レベルの漢字も読めない、中学生レベルの数学も出来ない、借金はあっても貯金はない、私がお前なら自殺するかもしれない」と斬って捨てたわけだが、彼もいまはもう30代、ちゃんとごはんを食べているのか、と思い出した。

ま、この業界にも30過ぎてもこんなのがいるわけだが、そんな彼は女性職員がいなくなってから、私にぽつりとつぶやいた。

「自分の意見、はっきり言ったほうがいいですよ」

ん??自分の意見・・・???

「はぁ・・・ちよたろさんは、本当にKARAのダンスを踊るおばちゃんらをみて、素晴らしいとか思ってないでしょ?思ってないことを言うのが、オレ、ちょっと、わからないですよ、オレにはね・・・オレにはそんなの無理ですけどね・・・生き方、とういうか性格というか、思ってること言っちゃうんで・・・我慢できないひとなんで・・・」

な、なるほど・・・それはカッチョヨロシイですなぁ・・・・


彼が言うには、だ。

例えば、先日も「とあるおばちゃん職員」から「明日はわたしが休みだけど、ちよたろさんは寂しいやろ?」と問われた私が、しばらく黙った後、ええ、それは寂しいですなぁ、と言ったというのである。彼はそれを「寂しいわけないじゃないですか、違うなら違う、本当に寂しいならいいですけど、違うなら違うと言えばいいじゃないですか」と指弾する。

そういえば少し前、彼と仲が良かった20代前半の女性職員が泣いていたことがあった。職場で、だ。それも号泣だった。私がドン引きしたことは言うまでもないが、その原因が彼だった。泣きじゃくる女性職員は、まあまあと宥める他の女性職員に「なんで、あんなこといわれなきゃならないんですか!!」と声も荒げていた。私とすれば、そんなことはどーでもいいから、早く仕事をしてください、というだけなのだが、まあ、なんか痴話喧嘩の類であろうと、心の底から興味もなかった。しかし、である。

この二人が「口を利かない」状態が続いた。現在は以前のようにきゃっきゃとしているのだが、その2週間ほどは如何にも、今日は機嫌が悪いんです、理由はわかりますよね?という雰囲気を隠さない。私とすれば、そんなことはどーでもいいから、普通に仕事をしてから家に帰りましょう、というだけなのだが、まあ、なんか「思ってること」をそのまま口に出したことが原因なのか、とても「険悪なんです」という雰囲気を醸していた。

「思ったことは言ってしまう」という彼は、その実、陰口も酷いモノだ。思ったんなら言ってしまうはずなのだが、それをぶつぶつと私にも言う。なるほど、彼の言う「思ったことを言う」というのは対象者を特定していない。つまり、思った相手に言うのではなく、それを聞いて賛同してくれる、あるいは理解を示してくれる人に限られる。彼は私がなんでも「そうでしょう、ええ、はいはい、そうですな」と言うことも既知であるから、だから私にも言うのである。なんのことはない、便利に使っているのである。

他にも言われた。

私は現在、職場の若い職員や後輩の職員にでも敬語で接する。最近入ってきた新人職員から名を呼ばれた際も、はい!と大きな声で返答する。彼はそれを腰が低い、のではなく「気が弱い」と断ずる。「もっとびしっと言わないと舐められますよ」とのことだ。いま、この場で、私が現役時代を彷彿とさせる「びしっと」ぶりを発揮したら、こんなションベン小僧、いったい、どうなってしまうのかと不安になった。どこまでも温室育ち、無農薬で手間暇かけて育てられた糖度の高い果物のような彼は、その市場価格がいつまでも高いのだと信じて疑わない。いつまでも親が用意した化粧箱の中から世間を見ている。

逆もある。私が賛同しないとき、だ。

それは休憩時間、勤務時間を問わず、繰り広げられる施設やら上長への陰口である。口汚くバカだ、アホだ、とやったあと、私にも同意を求めてくる。私は困って「まあ、いろいろありますから」とお茶を濁す。もちろん、彼らを気遣って、だ。

彼は「我慢できない」と言うが、それほど小馬鹿にする施設に4年も勤務できるのだから、それは相当「我慢強い」と思われる。職場の風土を変えようともせず、いつまでも「こんな面白くない職場」と見下しているのは、まさしくその証左である。「我慢できない」などというのは謙遜、その実、私などよりも我慢の子ではないか。

彼は茶色く染まった長い前髪を触りながら、おかしいと思うことはおかしいと言わないとダメですよ、と優しい表情でアドバイスしてくれた。そして「オレも将来、そんなふうに批判も出来ない大人しい人間になりますかね?」と自虐気味に笑った。将来も何も、あと数年で私の年齢に達する彼の腹は、既に少しずつ「丸く」なり始めてもいる。


その日、そんな彼と一緒に会議に出た。

事務的な報告が続いた後、議題はどーでもいいことが並んだが、最後に「認知症入所者の転倒事故」に話が及んだ。転倒リスクがあると周知であるのに、その対処方法が稚拙、且つ、無計画であるから、これはいったい、どうすればいいのか、という問題が現場から提起された―――と書けばアレだが、要するに文句だった。コケる可能性が高い呆け老人がいて困る、コケたらまた、我々が責められて嫌な思いをするじゃないか、なんとかしてくれ、ということだ。ひと通りの文句を聞いた主任介護士が「よく観察して転倒リスクを軽減・・・」と、どこかの官僚のような答えを出したから、同席していた部下の副主任から「じゃあ、主任が観察してください、それで、転倒リスクが減少する方法を、どうぞ、教えてください」と皮肉たっぷり噛みつかれていた。はっきり言って舐められ過ぎである(笑)。

数分間続いた議論は幼稚なものだった。居合わせたケアマネも相談員も素知らぬ顔をしていた。施設長も事務長などと雑談している。それでも副主任は頑張って「ずっと付き添いすると、他の入所者がみられない。他の入所者はどうでもいいのか」と続けたが、こんなことで天下りの施設長が参るはずはない。予想通り、半笑いで「他の入所者がどうでもいい、なんてことはありません」と官僚答弁で返され、副主任はその膨れた顔をもっと膨らませていた。頭の中は「もう!このじじい!!」しかない状態だ。現場か施設か、スタンスが定まらない主任介護士も、まあまあ、とにかく、みんな一緒に、この問題を考えていきましょう、としか言わない。

さて、ここで「頭の中がBOOWY」になっている彼に発言の場が与えられる。膠着した空気の中、進行役を務める主任介護士が発言を求めたのである。どうですか?

「・・・・・いえ、まあ、とくにありません・・・・」

私は驚いた。この彼が「なにもない」と言うときは、本当に「何も思っていない」ことを意味するはずだ。1時間ほど会議室に座りながら、何も思わない、のならば、そこには猫でも座らせていたほうが可愛くてよろしい。白熱する議論の中、猫ちゃんがにゃーとでも鳴いてくれれば癒されるではないか。会議の冒頭、まだ場の空気が軟らかい状態のとき、彼は隣の席の女性職員となにやらクスクスとやっていた。みれば、メモ用紙に漫画を書いて遊んでいた。小学生でもあるまいし、会議とはいえ勤務時間、それも一般職員らは今も現場で働いている。数年間を勤めていても、この場にいない職員もたくさんいる。つまり、いま、この場にいる、ということは、それなりの役職にあるか、それなりのキャリアがあるか、それなりの考えを問われるべき対象者であるという自覚もない。

更に間が持たなくなった主任介護士が私に振った。どうでしょう?




『・・・先ず、素朴な疑問ですが、よろしいでしょうか?』


―――はい、もちろん


『この業種、職種における転倒事故というものは予想の範疇ですよね。私はまだ1年にも満たない経験しかありませんが、先ず、転倒リスクに関する施設のノウハウがない、という事実にとても驚いています。認知症による周辺症状の徘徊についても“転倒事故”のリスクは先ず挙げられる事例でありましょう。コレはどの施設でもそうなんでしょうか?例えば、タクシー会社が“交通事故にはどう対処するか”なんてやらないですよね?それは前提としてのリスク、この商売をするならあって然るべきリスクだからです。すなわち、最低限のリスクも考慮せず、具体的に言えば、転倒リスクの高い入所者さんにヘッドギアもなく、ヒッププロテクターもなく、ただ、徘徊させていた、という事実を先ず、問題視すべきではないでしょうか。また、この件について、プロテクターの購入、装着における家族の同意を得るよう、いま、この場におられます主任介護士、ケアマネージャー、主任相談員、施設長に提案いたします。早急に御検討ください』


・・・・・。(全員が黙っている)



『よろしいでしょうか?』



・・・・は、はい・・・(主任介護士)



『また、今日、転倒しなくても、明日は転倒するかもしれない、いま、現場の声を率直に申し上げますと、コレは毎日、ロシアンルーレットをやらされているようなもの、とのことです。コレの正体は愚痴ではなく、不満でもなく、不安です。2年前の国民生活センターの白書などによりますと、当施設のような特養施設の『事故原因』としましては転倒が最も多く48%とあります。次は原因不明が17%とされています。これはつまり、確認できなかった転倒事故のことです。とすれば、実に事故原因の6割強が『転倒』なわけです。当施設にも最近、ようやくリスク管理委員会が発足しておりますが、転倒防止に関するノウハウの構築や研究はどうなっているのでしょう。予防と防止の観点から、早急な対策が求められます。付き添いするにも人員の確保も難しい、夜間は更にどうしようもない、これを放逐するようでは現場職員の負担が増すばかりではなく、施設に対する不信感が高まり、モチベーションに多大な悪影響を及ぼすことは避けられません。それに他の入所者が転倒事故を起こした場合、その入所者にも職員がつくとなれば、これはもう、現場は機能不全に陥ります。心身ともに疲れ果てて辞める者も出てくるでしょう。そうなれば悪循環、残る職員は何人いるでしょうか。いま、副主任や職員が訴えたのはそういうことです』

『あと、問題なのは責任の帰属主体が明確ではない、ということがあります。現場職員とすれば、それは、やれと言われればやります。しかしながら、そこで事故が発生したとき、その責任はどう分散されて、どう負担させられるのかが明確ではない、というのは問題です』




いや、それはもちろん、責任は施設長、わたしにあります、そんなことは・・(施設長)



『そうです。そんなことは周知なんです。いまさら言うまでもないことです。この施設も施設賠償保険には加入していますよね、その名義は管理者である施設長のお名前になっているはずです。そんなことは当然、現場の職員も既知であります。しかし、現場職員とすれば、それだけで済むことでしょうか。先ず、なにより、次から「恐怖感」を覚えます。また、個人差はあるでしょうが、そこには罪悪感や自己嫌悪、無力感や自信喪失などのネガティブマインドも発生します。そこに原因追究です。事故報告書を書くのは当然ですが、その後、看護師からケアマネ、相談員から、何をしていたのか、それは適正だったか、判断ミスはないか、看視は怠っていなかったか、など、その時点での人員配置から業務の流れにまで追及がなされることも周知のとおりです。施設が取るのは、あくまでも賠償責任、法的責任でしょう。そんなことは常識じゃないですか。また、数か月前、ひとりの職員が介護ミスで入所者に怪我をさせて『責任』を取らされましたが、その際、施設長、及び、準ずる上長は、何か具体的な責任を負うことがあったのでしょうか。彼を指導していたのも上長、管理、雇用していたのは施設のはずです。家族に謝罪した、見舞金で和解した、というのは責任を負うことではなく、あくまでも事後処理です。つまり、監督権者における通常の業務履行です。そしてその後、現場は何をしていたんだ!とやる。あいつはダメだ!として処分する。現場の不安感は、まさにそこにあります。じゃあ、施設はどういう防止策を講じていたのか、予防策を講じていたのか、という当然の疑問が出てきます』

『で、それがいま、みなさんが議論しているように、転倒事故については、なんと、ないわけです。主任介護士が述べられた、現場で協力して、みんなで一緒に考えましょう、とは対策とは言い難い。タクシー会社で『今日も一日安全運転、事故に気をつけましょう』とあれば、それは普通、対策ではなく標語と言います。それで交通事故を起こした運転手が、会社から「あれほど事故には気を付けろと言っていただろうが」と責められ、詰められたら、これはもう、ブラックです。私なら怖くなって辞めますね。そしてタクシーの交通事故もそうですが、重大な事故になれば、そこには警察も入ります。先日、当施設でも連絡の齟齬から警察が来た、と聞き及んでおりますが、このように事故の内容や結果が明瞭でなければ、そこには必ず、警察の捜査が入りますね。そうなれば、先ほどのタクシー会社ならば、勤務状態なども捜査対象となります。ここに無理な勤務環境やら労働基準法違反のサービス残業などが発覚すれば、それは運転手の責任ではなく、当然ながら雇用している側の責任となります。また、考えたくもありませんが、もし、当施設の転倒事故で死亡した、あるいは重大な怪我を負った、そして「原因不明」となれば、必ず、警察の捜査も入ります。我々は言うでしょう。人が足りなかった、無理だと言っていた、いつかこんなことになると提言していた、コレは実例もありますが、施設側の責任は重大です。保険も全額出ません。遺族、家族はもちろん訴えます。死亡事故なら半分保険であれ、施設が吹っ飛ぶほどの賠償金を支払わなければなりません。そこに慰謝料です。施設の閉鎖となれば、伴う諸費用も考慮せねばなりません。こんな話はめずらしくもない、全国にいくらでも転がっています』




『無論、現場にも改善すべき点が多くあります。いや、はっきり言いましょう。相当に改善すべき、です。しかしながら、それよりもまず、施設の指針、方向性、理念を示し、現場のバックアップに尽力することが肝要です。職員などは切ることができます。指針、方針に従わぬ職員がいれば、それは切ることが可能です。しかしながら、その指針が定まらないようであれば、バックアップの体勢が軽視されているようであれば、コレは現場のモラル崩壊を誘発させます。先日、私は「コケたら邪魔臭い」という理由で、車椅子にシーツで縛りつけられたAさんを確認、解放しております(ざわつく)。数か月前、当施設は身体拘束禁止となりました。私は全面的に賛同するものでありますが、施設側と現場職員の「指針の乖離」により、こういう愚かな人権侵害が平然と行われるわけです。ところが、これは、その人権軽視の職員から言わせると「自衛策」となります。施設が何もしてくれないから、自分は自分の収入源である「職場」を守る、という腐った理論を展開させる根拠になり得ています。「身体拘束禁止」という素晴らしい理念が、まさに画餅と化している事例です。先に言っておきましょう。今申しました人権軽視職員は、当施設のサービス管理委員会に属しております。つまり、身体介護における入所者の尊厳、安全などを管理育成する立場にある模範的、且つ、指導的職員です。現場のイニシアチブも絶大です。また、もうひとつ提言しておきますと、この簡単な犯人探しをしている時間は惜しむべきです。もちろん、この該当者個人の資質を問うことに異論はありませんが、およそ、現状ならば、みな同じようなモノです。冗談だか本気だか知りませんが、みな「自分の夜勤のときにはコケませんように」と祈っています。さて、これは健全な介護状況、職場風土でしょうか。以上です』






―――しばらく、会議室は凍った。以前から嫌われていると自覚はあったが(笑)、施設長をはじめ、ケアマネも相談員も目を合わしてくれなくなった。その代わり、現場では「ちよたろさんがすごかった!」とか「ちよたろさんがやってくれた!」もあったが、まあ、もう少しすれば、仲間を売った、という罵詈雑言も聞こえてくるだろう。どーでもいいが。





30代半ば、茶髪の彼がいた。ちよたろさん、ナイス、でしたね、とのことだ。

私はマルボロの煙を吐きながら、



『どーでもいい場所はともかく、大事な場面でこそ、思ったことは言ったほうがいいですよ。自分の意見がない、というのは頭の中に何もない、と言っているのと同じですから。それに、ああいうときにこそ、びしっと言わないと舐められますしね』



と言ってみた。彼は私の方を見たと思うのだが、不思議と目は合わなかった。

1 コメント

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Unknown (翡翠)
2011-11-07 17:04:50
同じようなことを言われていた日々、
思い出します。
ああーカッコイイですね!
こういう風に言えたらな・・・
(最後の若者への
一刺しです!)
素晴らしい~
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