忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「男梅」と「俺のミルク」におけるジェンダーバイアスについて(男を磨く梅がある)

2022年02月07日 | 忘憂之物


夫婦喧嘩の末、逆上した夫が10年飼っていたヨークシャテリアを床や壁に何度も叩きつけて殺す、という事件があった。

犬好きだけでなく猫好きも怒り心頭だ、初孫が2歳くらいのとき、我が家の犬に嚙まれて指から血が出た際には「孫のほうを叱る」というレベルの犬好きである妻も泣いていた。孫が叱られた理由は「昼寝の邪魔をすればお父さんでも嚙み殺される」ということだった。座右の銘は「犬と猫は好き。虫は嫌い」である。

ちなみに孫を噛み殺そうとしたその「獰猛犬」は見出し写真だ。みるからに凶悪、凶暴、最凶なのは伝わると思う。いまはもう、亡くなってしまった(泣)が、この頃のエサは生きたライオンだった(イメージ)。



ところで、だ。

お決まりの「酒に酔って覚えていない」にも、ヤフーニュースのコメント欄が「非表示」にされるほど世間は怒る。もちろん、私も犬好き。気持ちはわかる。仮に私の体長が18メートルで体重は20トンなら、この45歳無職を摘まみ上げて中空に晒し、そのまま光子力ビームで両足を焼き切り、振りかぶってからマジンパワーで地面に叩きつけて飛散させるほど、正直、ムカついてはいる。

だからせめて、動物愛護精神で溢れる世間の留飲を下げるために少しだけ憶測を書くと、報道では「妻と暮らしていた愛知県豊田市内の住宅で」とあるも、動物愛護法違反容疑で逮捕された45歳、中島元とやらは住居不定無職。一読、不思議だ。

夫婦仲はともかく、一緒に暮らしている、あるいは「酒に酔って暴れる」ほど出入り自由、しかも「元妻」ではなく、いまでも夫婦。それなら住居はそこだろうと誰でも思う。おそらく、妻から事情を聴いて「たまにしか帰りません」くらいの証言はある。それで警察は「住居不定」とした可能性はないか。

つまり、勾留できる。

被疑者を勾留できる条件として「罪を犯したと疑うに足りる相当な理由 」があり「被疑者が定まった住居を有しないとき」や「被疑者が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき 」「被疑者が逃亡し又は逃亡すると疑うに足りる相当な理由があるとき 」に該当する場合がある(刑訴法207条1項、同60条1項 )。

逃亡する可能性はゼロではないが、こんな無職の中年盆暗が逃げたところで痴れている。証拠隠滅についてもしんどい。壁やら床にはワンちゃんの血がついている。通報したのは嫁はんだ。となれば「定まった住所を有しないとき」を採用したと思われる。簡単な話、たぶん、警察も怒っている。

改正動物愛護管理法によると「愛護動物をみだりに死傷させた場合には5年以下の懲役または500万円以下の罰金 」となっている。日本の場合、これはなかなかだ。人間に対する暴行罪が懲役2年以下であるから、それより重罪と判断される場合があるということだ。まるまる5年喰らうなら殺人罪に匹敵するが、まあ、初犯で泣いて謝って懲役1年執行猶予3年とか、想像もつく。

でも、取り調べやらなんやら、たぶん、なんら同情されることなく、可能な限りやられる。警察の同僚には「警察犬」というのがいる。びっくりするほどの犬好きがいるだろう。勾留中、どうせリードにつながれる。ついでにお手、おかわり、くらいはできるようにしてもらえばいい。



で、話は大きく変わるかもしれないが――――

例えば、我が娘。そろそろ三十路ながら、相変わらず愛らしいのだが、好きな食べ物は「からあげ」だ。年末年始、我が家にて過ごしていたが、その際も「からあげ」をもりもり喰っていた。倅も来るから大量にこさえていた「からあげ」だったが一晩で消え失せた。そんな娘は大の「鳥好き」だ。いまでも「ぷーちゃん(文鳥)がお腹を壊している」と言って家族総出で動物病院に連れて行ったりする。「ちーちゃん(インコ)が足をねん挫した。病院に行った」に笑ったら叱られたこともある。本人、本気で心配しているのだ。

そんな娘は中学生のころ、頭の上にインコを乗せた状態で「からあげ」をもりもり喰っていた。私は「それはいま、どういう心境なんだ、おまえもインコも」と問うたことがあった。お父さんも犬好きだが、膝の上に犬を抱いたまま「補身湯」を喰ったりしない。というか、喰ったこともないが、どうにも不思議だった。私は娘の「大ライス」のおかわりを入れながら続けた。

動物愛護もわかるが、牛や豚、鶏や羊、魚や貝は「愛護」の対象ではないのか、おまえはシーシェパードの一味か、というベタないちゃもんをつけてみたのだ。中学生だった娘の答えは一部の隙もなく、完璧と言ってよいものだった。たぶん、誰も真面な反論はできない。私も大ライスを渡すしかなかった。

さすが、家族の中で唯一、写真で「お父さんにそっくり」と言われるだけのことはある。倅には幼少のころ「おまえはお父さんが、とあるNGOで働いていたとき、ふらっと立ち寄ったベトナムの貧民街で地面にザリガニの絵を描いているところを見つけた。おまえの親には1万5千ドン支払って買ってきた。1ドン、0.0048円で換算しろ。大人になったら返せよ」と告げて、しばらく信じているほどガリガリだったが、娘は「そうでもなかった」だけのことはある。

ちなみに「愛護動物」に定義はあるのか、と調べてみると、実はある。

「牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、ねこ、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる」
「その他、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬虫類に属するもの 」

動物愛護管理法の基本原則には「すべての人が「動物は命あるもの」であることを認識し、みだりに動物を虐待することのないようにするのみでなく、人間と動物が共に生きていける社会を目指し、動物の習性をよく知ったうえで適正に取り扱うよう定めています。」とのことだ。他、各種項目にも様々な取り決めがなされているが、要すれば面白がって殺したり、無責任に放置したり、捨てたり、虐めたりしてはいけない、と子供でも分かることが書いてある。

で、その子供がキラキラした目で「牛さんは殺して食べてもいいの?」と問われた場合にどう答えるのか。無論、子供に対して「第一種動物取扱業者」の説明をしても仕方がない。阿呆な官僚じゃあるまいし、そもそもその子供、そんなことは問うていない。繰り返す。子供は「牛さんは殺して食べてもいいの?」と問うている。明確な質問だ。この質問に対して大人は逃げてはいけない。誤魔化してもいけない。私ならこう答える。

「食べてもいい。とても美味しい。今夜は焼肉だ」




冒頭の事件、もし、投げつけて殺したのが「カブトムシ」だったら無罪だ。動物愛護管理法の対象には「昆虫」や「魚類」は含まれない。動物愛護協会で働く人らも、みんながみんなベジタリアンでもあるまい。つまり、殺された牛や豚を美味しく頂いている。また、この圧倒的な矛盾を包含する恐れのある現実に対する文句もあまり聞かない。たまにみかけると、シーシェパードと同じく、阿呆か、という評価を受けることになる。

シーシェパードの日本人メンバーは「地球やクジラを守るためには命を落としても仕方がない」まで言った。これは自分らの命だけではなく、日本の捕鯨調査船や海上保安庁の隊員の命も含まれる。また、海洋生物の保全を優先して、仕舞いには「能動的人口管理」を言い出して「人類の敵」になったが、この類は日本の元総理にも「地球のためには人類がいなくなるのがいちばん良い」と言うのがいた。これを阿呆だと思うのは我々が人類だからであり、イルカやクジラに投票権があれば安定政権になった可能性はある。

ちなみに、中学生だった娘の答えとは、

「それはそれ、これはこれ」

であった。我が娘ながら、改めて完璧な答えだと思う。だって、それはそれで、これはこれなのである。つまり、峻別できている。

「峻別」とは「厳重に区別すること」「厳しく区分けること」だ。「公私を峻別する」とか「仕事と遊びを峻別する」とか言う。これがあやふやになる、あるいは軽視することによって、例えば「トイレも更衣室も男女の区別なく共用で」とか言い出す。体は男でも心は女性だとして、公共の温泉施設の「女風呂」に入ってもよい、と言い始める。咎めたら「差別するのか」と居丈高だ。

自分はジェンダーフリー。でも公共施設では生得上の性別にて振る舞う。これが「それはそれ、これはこれ」だ。自分はベジタリアン。でも友人や家族に「肉を喰うなんて野蛮だ」とか非難しない。ジャイナ教なら水を飲んでも「微生物が死ぬ」、呼吸していて虫が口に入ったら殺してしまう、として「口を布で覆う」。ジャイナ教にとっては断食で死ぬのが最も崇高だが、それを他宗教に押し付けたりすると、やはり、困ったことになる。ちゃんと峻別している。


長崎の地元マスコットで「がんばくん、らんばちゃん」というのがいるらしいが、これにBPW長崎クラブ という団体が「キャラクターに男女の性別を設定していることやがんばくんが隊長、らんばちゃんが副隊長という上下関係、色や服装も男女の固定概念による」とか難癖をつけた。会長の黒崎伸子氏は「子どもたちの中に出ていったり県内あちこちに行くような方たちがよく見るとこういう設定があるということは大変なアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)を生む」とか言って、キャラを変えるか設定を変えるか、そもそも止めろと怒る。いったいどこの何様かと誰でも思う。

これに対して長崎の広報課長は「誕生から年月が経ち、ジェンダーに対する社会意識が高まっていることは認識しているが、長崎県民に定着し愛されているキャラクターでもあるので見直しは県民の声を聞きながら検討する」と応えていた。先ず、これがダメだ。はっきり書いておくと、これ、悪いのは広報だ。

私はよく知らんが、マイメロディの「ママ」のセリフがよろしくない、としてツイッターで批判があったそうな。バレンタインの商品に記載されている文言が気に入らなかった。「女の敵は女」などのセリフが「ジェンダーバイアスを助長する」とのことだ。これに対してサンリオも販売元も販売を中止。これも無論、悪いのはサンリオで販売元だ。


最近、安倍元総理が佐渡金山のユネスコ登録申請について「歴史戦を挑まれている以上、避けることはできない 」と述べた。同じ元総理でも「ルーピーファイブ」とはえらい違いだが、要するに韓国側のクレームに怯んで申請しない、という判断は「間違いだ」と明確に述べている。ファクトベースでしっかりと反論すべき、ということだ。

「それはそれ、これはこれ」だ。妥協して大人の対応もよろしい。必要なときもある。金持ち喧嘩せず、も言い得て妙だ。そのほうが良いときもある。「相手にしても仕方がない」とか「面倒だからとりあえず」も理解できる。私も仕事柄、そういうときばかりだと思う。しかしながら「それはそれ、これはこれ」だ。なんでもかんでもクレームを受け入れて穏便に処理することと「真摯な対応」とは厳然と峻別されねばならない。要するに不真面目、失礼なのだ。

長崎県の広報課長は黒崎伸子が乗り込んできたら、洗面器に水を張って出迎えるべきだった。ちゃんと「がんばくん、らんばちゃん」が施されたフェイスタオル、あるいは「ランバラル・バスタオル」でも手渡して、これはなにかと問われたら「どうぞ、顔を洗って出直してきてください。タオルは進呈します」と追い返すべきだった。「ランバラル・バスタオル」欲しいのである。

サンリオは今回の件を受け、さらに「ジェンダーの敵はジェンダー」とか、マイメロのママに言わせてバレンタイン商戦に挑むべきだった。ツイッターのフェミニストはブチ切れるが、結果、すごく話題になって、すごく売れて、すごく支持されたと思う。私も買った可能性がある。

国民的人気アニメの女性キャラが「胸元を強調」とか言われて、性的搾取の対象にされている、といちゃもんされたら、無理に隠してお茶を濁すのではなく、峰不二子ばりにぽろんとさせてやればいい。

もっと怒らせたらいいのだ。もっと騒がせればいいのである。面倒臭がらず、本腰を入れて「戦う」気概をみせねばならない。安倍元総理の言う通り、ファクトベースを積み重ね、理論武装をして、争いごとを避けず、正々堂々と世の中に問うべきだった。世の絶対的多数の「常識ある大人」が興味を持ち、自分で考え、結論を出すきっかけになったかもしれない。


冒頭のヨークシャテリアの死を嘆く犬好きは、だけど、サーロインステーキは喰うよね、とおちょくってくる阿呆を許してはならない。たまには本気で言い返してみるのもよろしい。

貴様は物事における分別がつかん餓鬼だ、世の中とは理不尽と不条理でできておる、つまるところ、世の事象とはすべからく峻別せねばならないことになっている。それらを粗雑に扱い一絡げにして得意満面、自らを正当化して支離滅裂をやるとは、ヨークシャテリアの糞にも悖るとは貴様のことだ、くらい言って猛批判受ければいい。もしくはあっさりと「それはそれ、これはこれ。わかる?」と馬鹿にすればよろしい。どっちにしても相手は怒る。



ところで、この隙のない名言「それはそれ、これはこれ」の元ネタは「逆境ナイン」とされる。島本和彦氏による熱血野球漫画だ。主人公の名前は「不屈闘志」。同調圧力による文化破壊や歴史捏造、反日教育に悪平等に対するスローガンは「それはそれ、これはこれ」だ。不屈闘志を忘れないようにしたい。

ちなみに不屈闘志の父は「不屈根性」だが、母親は「不屈撫子」である。お母さんの名前にジェンダーバイアスを感じる。大丈夫か。ヒロイン、桑原真美子の愛犬の名は「ザッシュ1号」。動物愛護管理の観点からも不安だが、まあ、それはそれ、これはこれだ。



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