哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

「なぜ私は私なのか?」永井均

2014年07月01日 | 哲学・心の病
「なぜ私は私なのか?」永井均

『無限の昔から、世界は<私>なしに存続してきた。
わずか数十年(長くてせいぜい百年)の例外期間を過ぎて、世界はまた<私>なしに存続してゆくであろう。

数十億の生きた人間、他の天体にも存在するであろう無数の自己意識的な生き物のうち、<私>であるという特殊な、例外的なあり方をした生物が存在している。

その例外的な期間とはなんであり、その例外的なあり方はなんであるのか。
それは神秘としか言いようがない。

それを説明する言葉はありえない。』


彼の上記のエッセイを読んで、私は以下の批判がうかんだ。

・彼が生きている期間は、例外というその根拠は何か?
・彼が死んだあとも、世界が存続するというその根拠は何か?
(死んだらどうなるか、わからないのではないのか。)
・自己意識を持った生命体が、この宇宙には無数にいるという根拠は何か?
・彼の存在が例外というその根拠は何か?
・なぜ神秘なのか?
(【神秘】人間の知恵では計り知れない不思議なこと。普通の認識や理論を超えたこと。)

以上であるが、私ならば次のように書く。

『「私とは何か」ということを、私は長い間考えてきた。
いくら考えても、答えを見つけることはできなかった。
かつての哲学者たちが、そうだったように。』


彼の上記のエッセイは、はっきりいって「哲学」ではなく「詩」である。
理解しがたい何か素晴らしいことをいっているかのように読者に感じさせるために「詩」の様式で書いているが、私にいわせればいっている中身は薄っぺらだ。
物事を深く考えたことのない若者が、哲学風に書いた「詩」のようだ。

意味のない文章を長々と、何もないのに何かあるような感じにお書きになるのはやめた方が良いと思いますが、永井均さん。