哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

「〈子ども〉のための哲学」永井均

2014年07月06日 | 哲学・心の病
『哲学の視点から見ると、世の中で通用している常識的なものの考え方には、上げ底があるように見える。

たとえばぼくの哲学から見ると、世間の常識は、この本でこれまで論じてきたような問題(なぜぼくは存在するのか)を飛び越して、世の中を「個人と社会」とか「自己と他者」とか「主観と客観」という観点から見てすましているし、これから論じようと思う問題点(なぜ悪いことをしてはいけないのか)を無視して、「よいことをすべきで、悪いことはすべきでない」という前提に立って平気でいる。

つまり哲学とは、他の人が上げ底など見ないところにそれを見てしまった者が、自分自身を納得させるためにそれを埋めていこうとする努力なのである。
だから、哲学の問いが、みんなに理解される公共的な問いになる可能性なんてありえない。
なぜって、その問いが問われないことによって世の中のふつうの生活が成り立っているのだから。

そして、もし上げ底がきっちりと埋まってしまえば、自分にとっての哲学はそこで終わる。』永井均


上記の文面は、私がうまく表現することができなかった「哲学とは何か」を的確でわかりやすく書いているが、始めから最後まで上記のような感じで書かれている本であれば、私は素晴らしい本だと思う。
(ちなみに、私は「〈子ども〉のための哲学」を読んだことはない。)

それに、池田晶子さんと違って同じ男性だからか彼の感性に親近感を感じる。

そして、いずれはこの本を通読して、「共感できるところ」と「共感できないところ」を記事にしたいと思っている。