池田晶子さんは、次のように言っています。
『人が何かを考えるということをするのは、それが何であるのかを知りたい、どうなっているのかを知りたい、「ただ」知りたい。
これ以外の欲求によってはいません。
そうして、知りたいというひたすらな欲求によって考えてゆくなら、人は必ず、ひとつの根本的なこと、根本的な問いに行き着くことになる。
それが他でもない、「人生とは何であるのか。」
生活的諸事雑多のすべての問いは、必ずこの根本的な問いに帰着するといえましょう。』
私も人に関わるすべての問いは、ある一つの根本的な問いに密接に関わっていて、その問いの答がわかればすべてがわかると思っています。
その根本的な問いとは、「生きる意味」です。
私は「生きる意味」と「人生とは何か」とは意味合いは同じだと思っていますが、彼女に言わせれば違う問いのようです。
それに彼女に言わせますと、「人生とは何か」以前に「生きているとはどういうことか」がわからないと、「人生とは何か」を問いようがないとのこと。
私も含めて何を言っているのかわからない人もいるでしょうが、私は上記の3つの問いの意味するところは同じだと思っていますので、帰着する根本的な問いは「生きる意味」で良いと思っています。
※「なぜ宇宙は誕生したのか」と言い換えることもできます。
『人が何かを考えるということをするのは、それが何であるのかを知りたい、どうなっているのかを知りたい、「ただ」知りたい。
これ以外の欲求によってはいません。
そうして、知りたいというひたすらな欲求によって考えてゆくなら、人は必ず、ひとつの根本的なこと、根本的な問いに行き着くことになる。
それが他でもない、「人生とは何であるのか。」
生活的諸事雑多のすべての問いは、必ずこの根本的な問いに帰着するといえましょう。』
私も人に関わるすべての問いは、ある一つの根本的な問いに密接に関わっていて、その問いの答がわかればすべてがわかると思っています。
その根本的な問いとは、「生きる意味」です。
私は「生きる意味」と「人生とは何か」とは意味合いは同じだと思っていますが、彼女に言わせれば違う問いのようです。
それに彼女に言わせますと、「人生とは何か」以前に「生きているとはどういうことか」がわからないと、「人生とは何か」を問いようがないとのこと。
私も含めて何を言っているのかわからない人もいるでしょうが、私は上記の3つの問いの意味するところは同じだと思っていますので、帰着する根本的な問いは「生きる意味」で良いと思っています。
※「なぜ宇宙は誕生したのか」と言い換えることもできます。