哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

「根本的な問い」池田晶子

2014年07月12日 | 哲学・心の病
池田晶子さんは、次のように言っています。

『人が何かを考えるということをするのは、それが何であるのかを知りたい、どうなっているのかを知りたい、「ただ」知りたい。
これ以外の欲求によってはいません。
そうして、知りたいというひたすらな欲求によって考えてゆくなら、人は必ず、ひとつの根本的なこと、根本的な問いに行き着くことになる。
それが他でもない、「人生とは何であるのか。」
生活的諸事雑多のすべての問いは、必ずこの根本的な問いに帰着するといえましょう。』


私も人に関わるすべての問いは、ある一つの根本的な問いに密接に関わっていて、その問いの答がわかればすべてがわかると思っています。

その根本的な問いとは、「生きる意味」です。

私は「生きる意味」と「人生とは何か」とは意味合いは同じだと思っていますが、彼女に言わせれば違う問いのようです。

それに彼女に言わせますと、「人生とは何か」以前に「生きているとはどういうことか」がわからないと、「人生とは何か」を問いようがないとのこと。

私も含めて何を言っているのかわからない人もいるでしょうが、私は上記の3つの問いの意味するところは同じだと思っていますので、帰着する根本的な問いは「生きる意味」で良いと思っています。

※「なぜ宇宙は誕生したのか」と言い換えることもできます。