哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

福島産の野菜を買わない人へ

2014年07月22日 | 哲学・心の病
関東圏の30%の人は福島産の野菜を買わないと、テレビで報道していた。
厳しい放射線検査をしているにもかかわらずに。

なぜ買わないのかその理由は紹介していなかったが、その検査結果を信用できないとか、できるだけ放射線を避けたいとか、そういった不安からだと思う。

もし買わない理由のアンケートをしていないのならばするべきだし、もしやっているならばそれを基に不買への対策をすれば良いが、それよりも私はその不買の理由に関心がある。

そこでそれをネットで探したが見つけることはできなかったので、ぜひそのことをメディアに報道してもらいたいし、無知による不買に対しては啓蒙活動をしてほしい。

しかし、厳しい検査をしているにもかかわらずなぜ30%の人は買わないのだろうと、その報道を聞いて私は腹立たしさを感じた。
そこには、自分さえ良ければそれでいいという身勝手さがあるからだ。

私は福島県をはじめ3.11の被災地に対して自分の家族のように運命共同体だという感覚があるので、よけいにそう感じるのかもしれないが、もしその30%の人が逆の立場である福島県民だったらどう思うのだろうか?
福島県で起きたことは、他人ごとか?
私は関東に住んでいるが、他人ごとには思えない。

それに、その不買の人たちに「生きるとは何か」をぜひお聞きしたいし、そのことを一度でもまじめに深く考えたことがあるのかどうかもぜひお聞きしたいが、それともそんな理由ではなく、親の子育てや学校の教育のせいで不買なのだろうか?