世界のはずれから勝手に叫んでみる男の日記・var2

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15曲目

2011年06月13日 | クラシック

 今回からカテゴリーがバロックから古典派に変わります。あと、ストックが少なくなってきたので、書きためのため明日の更新をおやすみさせていただきます。

 C・P・E・バッハ ソルフェージェット H220 (不明)

 成立年代 1766年

 時代区分 古典

 形式 小品(練習曲)

 形態 鍵盤楽器

 アレンジ ギター、ロックアレンジ、IMSLPにはオルガン

 ピアノ難易度 中級・中級中

 バッハの息子であるCPEことカール・プィリップ・エマニエル・バッハです。バッハは二度結婚をしていますが彼は先妻の子供に当たります。バッハの子供の中では一番の評価と一番の成功を収めた人で、古典派の基礎をつくりあげたという人です。ただし本人はバッハよりもバッハの友人であるテレマンの影響を大きくうけていて、その作風はハイドンとベートーヴェンに大きくつながっていきます。もっとも彼自身はバッハの影響を受けていると言っていて、それがバッハの神格化を創りだしてしまう張本人というありがたくない評価を受けてしまうのですが。

 バッハの子供は20人います。前妻の間に7人。後妻(アンナ・マグダレーナ)にいたっては13人(ただし7人が早世)子供を作っています。このうち音楽家になったのは5人。いずれも成功を収めていますが、特に成功を収めたのはCPEと末っ子であるJCB(ヨハン・クリスティアン・バッハ)で、それぞれのちの大作曲家につながっていきます。もっともこの二人の関係はJCBがロンドンで大成功を収めると、それまで関係だったのが一気に悪化してしまうのですが。

 このころになると鍵盤楽器もようやくピアノが登場することになるので、ピアノ曲というのも自ずと多くなっていきます。そんな中でCPEがだした教育本というのは各地で大きな影響をおよぼすことになります。クレメンティ・クラーマーにも影響を大きく与えその結果がクレメンティの「グラドゥス・アド・パルナッズム」(100曲。技巧的な部分を重視した29曲版のタウジヒ編が一般的だが、再評価の動き有り)やクラーマーの「84の練習曲」(後にビューローが60にまとめたものが一般的)などにつながっていき、結果ピアノ技術の向上につながっていきます。この二つの曲集はいまでも中級上から上級中レベルまでの人達にとっては欠かせない練習曲の一つになっています。

 次回は名前の上がっているJCBバッハ。


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