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ガッキー賢の鉄道写真

小さい時から鉄道が好きな
おじさんの撮影記録です

乗り鉄活動 青函トンネルを経由して北海道へ 1988-04-28~29

2022-07-30 | 1988年

①当日乗車した快速海峡号の踏切事故の動画を追加しました。2022-07-30

陽炎?

これらを撮影した時は決して暑かったわけではなく肉眼では陽炎は見られませんでした。

これらはコンパクトデジカメでズームテレ端MAX、さらにデジタルズームMAXにして35mmフィルムに換算して1792mmで撮影することにより表現できました。

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以下は1988-04-28(木)から1988-04-29(金:当時は天皇誕生日)の行程です。

 

1988-04-28(木)

浜川崎21:05---(尻手行)---尻手21:12 クモハ101-188(乗車)+クモハ100-186

尻手21:15---(川崎行)---川崎21:17 モハ100-262+5両

川崎21:27---(東京行)---東京21:45 クハ111-205+14両

東京21:51---(山手線)---上野21:59 モハ205-147+9両

上野23:30---(8105レ:急行 いわて)--- スハフ12-114+5両+EF65-1026 1BOXあたり2~3人乗車

 

1988-04-29(金)

---(8105レ:急行 いわて)---水沢6:44 スハフ12-114+5両+ED75-149 自由席は2両連結

水沢6:50---(1527レ)---盛岡8:06 オハフ50-2199+3両+EL

盛岡8:22---(8201レ:急行 十和田)---青森11:40 オハ14-128+11両+ED75-148 自由席6両でがら空き

青森11:58---(3127レ:快速 海峡7号)---津軽宮田付近12:15頃 オハ50-5014⑨号車+9両+EL

 津軽宮田を通過後に軽い衝撃があり乗車していた車両がガラガラ音を立てながら急停車しました。踏切で立往生していたトラックに衝突した為で私が乗車した9号車の前隣10号車(機関車直後)は車体が45°ぐらい傾き負傷者が出ました。

津軽宮田付近14:30頃---(JR代行バス)---蟹田15:15頃

蟹田15:15頃---(函館行)---函館17:33 オハフ50-5015+?+EL

函館17:40---(臨時特急:愛称なし)---札幌22:15 キロ29-2+キロ59-2+キハ27-103(乗車)+キハ56-129

 函館から乗車した列車は臨時特急の案内(列車名なし)がありましたが、使用車両は急行型でキハはBOX席の遜色特急でした。なお車内検札はありませんでした。

 臨時特急停車駅 函館---大沼公園---駒ヶ岳(運転停車)---森---八雲---長万部---洞爺---伊達紋別---東室蘭---登別---苫小牧---千歳空港---札幌 表定速度=69.5km/h

札幌23:00---(411レ:急行 まりも)--- スハフ14-561⑤号車+5両+DD51-1083 自由席車2両

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①hawk256さんが撮影された当日の踏切事故の様子を記録した貴重な動画を追加しました。

快速海峡号 青森-函館 (途中踏切事故で列車代行バス)+ 臨時特急 -苫小牧 1988

                                           以上

 2015-07-19 初回投稿
①2022-07-30 動画追加

 

 


青函連絡船羊蹄丸 青函博復活運航 1988-08-30

2016-08-21 | 1988年

以下は1988-08-29(月)~1988-08-31(水)の乗車記録です。

 盛岡のホテルをチェックアウト。9:45発の岩手県北バス「特急あすなろ3号」に乗車。時折強い雨が降る中、すいている東北自動車道をバスは快調に飛ばして、12:20頃に終点青森に到着しました。青森から14:15発の青函連絡船3便「羊蹄丸」に乗船。船内はかなり空いていました。船内ではブリッジを見学して、食堂で海峡ラーメン塩(¥500)を食べました。途中で船酔いするほど船体が大きく揺れることがありました。18:05函館に到着後、ホテルオーシャンにチェックイン。翌日は一日乗車券(¥850)を購入、市電やバスを利用して函館市内を終日さまよいました。夜は函館からキハ22に乗車して七重浜で下車。徒歩で東日本フェリー乗り場へ。22:25発東日本フェリーで野辺地へ向かいました。翌朝3:05に野辺地に到着。雨が強く降っている為、徒歩で野辺地駅へ向かうことを諦めタクシーに乗車しました。野辺地から5:54発583系「はつかり2号」に乗車。集中豪雨の為に盛岡到着が30分遅れました。盛岡から50系普通列車に乗車して北上に到着。東北本線の北上ー六原が集中豪雨の為に不通になっている為、水沢まで代行バスで移動。水沢から再び50系普通列車に乗車して一ノ関に到着。あとは普通電車を乗り継いで東北本線をひたすら南下して上野には19:56に到着しました。

   1988-08-29(月)
盛岡駅9:45---(岩手県北バス 特急あすなろ3号)---青森駅12:23
青森14:15---(青函連絡船 3便)---函館18:05 羊蹄丸
   ホテルオーシャンに宿泊(¥4900)

   1988-08-30(火)
函館21:20---(366D)---七重浜21:30 キハ22-330
 東北本線の北上~六原が不通の為に、北斗星は奥羽本線または奥羽/北上線を迂回との案内が。
函館22:25---(東日本フェリー)---野辺地3:05 第3むつ丸?
 フェリーは車と人を運ぶだけの仕様で船内に案内所は無し。船室はカーペット桟敷席のみ。

   1988-08-31(水)
野辺地町内---(タクシー)---野辺地駅 ¥600
野辺地5:54---(1002M はつかり2号)---盛岡7:50 サハネ581-52+9両 盛岡着30分遅れ
盛岡8:04---(1530レ)---北上8:58 オハ50-2138+3両+ED76 40分遅れ
北上9:40---(代行バス)---水沢10:15 観光バスで運行
水沢10:09---(1532レ)---一ノ関10:37 オハフ50-2139+2両+ED76 10分遅れ
一ノ関10:54---(530M)---仙台12:37 クハ455-202(禁煙車)+2両
仙台12:48---(574M)---福島14:07 クモハ457-13+5両
福島14:40---(140M)---黒磯16:47 クハ455-316(禁煙車)+2両
黒磯16:50---(658M)---上野19:56 クハ115-361+3両 小金井で7両増結
上野20:00---(山手線)---田町20:15 サハ205-120+?両
田町20:18---(京浜東北線)---鶴見20:40 サハ103-440+9両 鶴見の松屋で牛めし(¥350)の夕食
鶴見21:05---(鶴見線)---浜川崎21:17 モハ100-809+2両

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1988-08-30 函館

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1988-08-30 函館

当日購入したネクタイピンです。

当日購入した鏡です。


乗り鉄活動 土佐くろしお鉄道移管前の中村線に乗車 1988-03-20

2016-03-19 | 1988年

以下は1988-03-20(日)の乗車記録です。

 高松から0:53発221レ夜行高知行に乗車。DE10-1009+50系3両の編成。機関車次位のオハフ50のロングシートに着席しました。高松発車時には連絡船からの乗り継ぎ客が大勢加わり通路に立客が出るほどでした。終点の高知から4:38発普通の中村行に乗車。終点の中村で朝食用の駅弁を購入。高知から乗車して来た車両が折り返し8:09発高松行急行「あしずり2号」(窪川まで普通列車)になりました。3両編成の内キハ28-5219はグリーン車用のリクライニングシートに改造されていましたが既に満席であった為に高知から乗車してきたキハ65-24のボックスシートに再び落ち着きました。窪川から9:40発予土線のキハ52-26単行に乗車して宇和島へ。この列車もほぼ満席でした。宇和島駅近くの食堂で昼食を摂り、13:18発普通八幡浜行キハ52-603に乗車。八幡浜到着後に宇和島から乗車して来た列車が引き続き八幡浜14:52発伊予長浜経由の松山行になるためそのまま乗車。松山からは伊予鉄道の路面電車で道後温泉へ。道後温泉本館神の湯階下に入浴。(入浴料¥220)松山駅へ戻り19:57発普通DCで今治へ向かいました。今治からは23:00に出航する関西汽船くるしま7の2等桟敷席で横になり大阪弁天埠頭へ向かいました。

高松0:53---(221レ 高知行)---高知4:35 DE10-1009+オハフ50-15(乗車)+オハ50-10+オハフ50-273
高知4:38---(731D)---中村7:51 キハ65-24(乗車)+キハ28-5219+キハ58-772
中村8:09---(1752D)---窪川9:10 キハ65-24+2両 731D折り返し 窪川から急行あしずり
窪川9:40---(839D)---宇和島11:51 キハ52-26
宇和島13:18---(654D)---八幡浜14:25 キハ52-603(乗車)+キハ40-2109
八幡浜14:52---(742D 伊予長浜経由)---松山17:02 キハ52-603(乗車)+キハ40-2109 宇和島から直通
松山駅前---(伊予鉄道)---道後温泉 モハ2005 道後温泉本館神の湯階下に入浴(¥220)
道後温泉---(伊予鉄道)---松山駅前 モハ70
松山19:57---(1176D)---今治21:14 キハ40-2145+キハ47-114(乗車)+キハ47-1119+キハ45-17
今治港23:00---(関西汽船)---大阪弁天埠頭(翌日7:30) くるしま7 2等¥3700

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1988-03-20 宇和島 キハ181系の高松行「しおかぜ」です。


乗り鉄活動 春おぼろの瀬戸内海 惜別宇高連絡船 1988-03-19

2016-03-13 | 1988年

以下は1988-03-18(金)~1988-03-19(土)の乗車記録です。

 岡山から快速「備讃ライナー11号」に乗車。213系9両編成と長い編成でしたが混雑していました。宇野から宇高連絡船「土佐丸」に乗船。記念乗船の人々で混んでいました。船内のうどんは早々に売り切れ食べることができなかったのが残念。高松から普通列車で池谷へ。乗車したキハ28-2089の座席は古い特急車両の非リクライニング回転式クロスシートに取り換えられていました。池谷からキハ20普通列車で鳴門へ。同じ車両に乗車したまま折り返し阿南まで進みました。阿南からキハ65普通列車で徳島へ。徳島で夕食を調達してキハ28普通列車で高松へ戻りました。

   1988-03-18(金)

浜川崎21:05---(尻手行)---尻手21:12 クモハ101-188(乗車)+クモハ100-186
尻手21:15---(川崎行)---川崎21:17 クハ101-74+5両
川崎21:27---(1922M 東京行)---東京21:45 クハ111-2060+14両
東京23:25---(375M 大垣行)---大垣6:57 クハ165-112+10両 通路、デッキに立人多

   1988-03-19(土)

大垣7:09---(733M)---米原7:46 サハ111-2024+?両
米原8:02---(915M→3605M)---姫路10:55 クハ116-103+5両 野洲から新快速
姫路11:01---(1415M)---岡山12:27 クハ115-603+3両
岡山12:39---(3131M 快速 備讃ライナー11号)---宇野13:10 サハ213-3+8両
宇野13:22---(13便 宇高連絡船)---高松14:25 土佐丸
 宇野出航後すぐに急行便(ホーバークラフト)に追い抜かれました。
 連絡船は前後に宇野発高松行の宇高国道フェリーと四国フェリーに挟まれた状態で航行。
 民間のフェリーが頻繁に行き交い宇高航路が賑わっていた時代でした。
高松15:11---(365D)---池谷17:15 キハ28-2089+2両
池谷17:39---(750D)---鳴門17:58 キハ20-513+2両
鳴門18:10---(755D)---阿南19:53 キハ28-3013+キハ20-513(乗車)+キハ32-10
阿南20:04---(584D)---徳島20:55 キハ65-77+1両
徳島21:40---(382D)---高松23:54 キハ28-2110+1両 夕食はモスバーガーを車内で食べました。

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1988-03-19 高松を出航した宇野行の「伊予丸」です。高松行「土佐丸」船上から撮影しました。

土佐丸船内で購入したハンカチ(¥500)です。


乗り鉄活動 臨時快速「ライナー山陽」に乗車 1988-12-30

2015-11-23 | 1988年

特別なトワイライトエクスプレス山陰コース

 

以下は1988-12-29(木)から1988-12-30(金)の乗り鉄記録です。

 

   1988-12-29(木)

浜川崎20:20---(尻手行)---尻手20:26 クモハ100-186+クモハ101-188 ナハ(乗車) 

  浜川崎駅で18きっぷに日付押印を依頼しようと改札口脇の部屋を覗くと駅員は居眠りをしていました。そして日付印をどこに押すか聞かれました。尻手駅で18きっぷに下車印を依頼すると、駅員に「18きっぷに下車印は押すものではない」と言われましたが押してくれました。

尻手20:37---(川崎行)---川崎20:39 クモハ103-58 ナハ +5両  

川崎20:45---(920M)---東京21:03 モハ113-2083 コツ +14両

東京21:33---(山手線)---上野21:40 モハ204-50 ヤテ +9両

  上野駅で寝台急行「男鹿」を見学。20系テールマークのなまはげのイラストが印象的でした。

上野21:56---(山手線)---東京22:03 モハ205-163 ヤテ +9両

東京23:25---(375M 大垣行)---大垣6:57 モハ164-838 カキ +10両 

  デッキ、客室内通路まで人でぎっしり。洗面所で寝ている人もいました。車内放送では岡崎駅で後続の岡崎始発電車への乗り換えを推奨していました。

 

   1988-12-30(金)

大垣7:09---(733M)---米原7:46 クハ111-72 ホシ +?両 

  大垣ダッシュに参戦しました。乗り換え列車には既に大勢の人が立っており敗退かと思いましたが、一番後ろの車両に行くと空席があり無事に着席、勝利できました。

米原7:54---(3603M 新快速)---新大阪9:25 クハ117-9 ミハ +?両

新大阪9:57---(9221レ 快速ライナー山陽 広島行)---福山13:45 スハフ12-86 ムコ +?両+EF65-1136

福山14:04---(547M)---府中14:43 クハ104-1 フチ乗車)+クモハ105-1

府中14:49---(735D)---三次16:35 キハ23-32+キハ40-2045(乗車)

三次16:36---(875D)---広島18:23 キハ45-57+1両 広島では芸備線50系客レが発車待ちでした。

広島18:51---(587M)---小郡21:42 クハ115-2120+3両 

  夜間駅員不在駅では車掌がホームに出てきっぷを回収。岩田駅では運賃の清算に時間がかかり発車が2分遅れました。

小郡21:45---(275M)---長府22:40 モハ414-118+3両(よかトピア塗装)

                                 以上