仕事場が日本橋人形町に移ったのをいいことに、色々近くを歩いている。先日、40年前の学生時代によく通った京橋の国立近代美術館フィルムセンターがまだあるのか行ってみた。
昔の記憶で地下鉄の駅を出ると、そこにあったはずの保険会社はなくなっていたが、フィルムセンターの建物はむしろ昔より立派になって、でんと建っていた。
ここでは国内外の名画を毎日安い料金で上映している。
今でも忘れられないのは、昭和45年ごろ脚本家野田高吾の特集で小津安二郎の監督作品を連続上映していたとき、「麦秋」という作品の中で、麦の穂が揺れる奈良の畑の中を嫁入りの行列がゆっくり歩いていく様を、遠景からずっと映している静かなラストシーンを見ながら、20歳の僕の若い両眼から清い(?)涙が滂沱と流れ落ちたことだ。。。悲しい結末ではなく、むしろ婚期に遅れた一人娘がようやく嫁に行ったという嬉しくほっとする結末なのだけど、、何故こんなに感激するのか、、若くて無鉄砲で怖いものを知らなかった僕の心に何か別のものが住んでいることを初めて知ったときだった。。。
そして今度見たのは、「shall we ダンス」の周防正行監督がバブルの1989年にモックン主演で撮った「ファンシーダンス」だった。改めてみてみると、周防監督の作品に常連で出ている一癖ある俳優が沢山出ていてなんとも楽しい映画だ。
M裏君、、素晴らしい自然と美味しい魚やだだ茶豆に恵まれた海坂藩もいいとこだけど、、都会もたまにはいいことがあるよ。。。再見。。。
昔の記憶で地下鉄の駅を出ると、そこにあったはずの保険会社はなくなっていたが、フィルムセンターの建物はむしろ昔より立派になって、でんと建っていた。
ここでは国内外の名画を毎日安い料金で上映している。
今でも忘れられないのは、昭和45年ごろ脚本家野田高吾の特集で小津安二郎の監督作品を連続上映していたとき、「麦秋」という作品の中で、麦の穂が揺れる奈良の畑の中を嫁入りの行列がゆっくり歩いていく様を、遠景からずっと映している静かなラストシーンを見ながら、20歳の僕の若い両眼から清い(?)涙が滂沱と流れ落ちたことだ。。。悲しい結末ではなく、むしろ婚期に遅れた一人娘がようやく嫁に行ったという嬉しくほっとする結末なのだけど、、何故こんなに感激するのか、、若くて無鉄砲で怖いものを知らなかった僕の心に何か別のものが住んでいることを初めて知ったときだった。。。
そして今度見たのは、「shall we ダンス」の周防正行監督がバブルの1989年にモックン主演で撮った「ファンシーダンス」だった。改めてみてみると、周防監督の作品に常連で出ている一癖ある俳優が沢山出ていてなんとも楽しい映画だ。
M裏君、、素晴らしい自然と美味しい魚やだだ茶豆に恵まれた海坂藩もいいとこだけど、、都会もたまにはいいことがあるよ。。。再見。。。