koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

天地人-第38回「二つの関ヶ原」

2009年09月22日 22時01分50秒 | 天地人

連日の野球観戦で,エントリがすっかり遅れてしまいました。
放送当日にほぼリアルタイムで視聴していたのですけどね・・・。


・・・ということで関ヶ原です。
何か盛り上がらないまま家康は小山で軍を帰してしまうし,敵を背後から襲うのは義に反する・・・といった理由で景勝は追撃を主張する兼続以下の提言を退けるし,あっという間に慶長5年9月15日を迎えてしまいました。
しかし,北方の抑えにしぶしぶ承知した結城秀康を配したとか,東海道沿線の豊臣恩顧の大名たち(中村一氏,堀尾吉晴,山内一豊,田中吉政等)が城を明け渡したとか,はたまた大坂では細川ガラシャ夫人の悲劇と東軍に従軍した大名の奥方脱出作戦(加藤清正室,黒田長政母と室)とか,多少語られても良いと思うのですが・・・。
また,予想通り第二次上田城攻防戦は全く戦闘シーン無しでしたね。
これでは真田幸村を以前から登場させた意味がありません・・・。


・・・で,岐阜城が簡単に落ちて(如何にも福島正則が落としたようですが,最大の勲功は,以前城主だった池田輝政でしょう),杭瀬川遭遇戦はカットで関ヶ原へ。
序盤の最大の戦闘は,福島vs宇喜多(西軍最大の軍勢-実際は家康譜代の井伊直政軍が物見と称して福島を出し抜いて先陣)。
石田陣からは何と大筒が撃ち込まれて東軍を粉砕(をいをい)。
如何にも三成が頑張って優勢を維持しているように描かれていますが,実は宇喜多勢が再三にわたって福島勢を初めとする東軍(加藤,井伊,本多)を押し戻し,天満山に松尾山を陣所とする石田・小西勢に地の利があったのが理由と言えると思いますし,最右翼に布陣する大谷勢(三成が吉継と呼ばず形部と呼んでいたのは正解)も奮戦し,前半は西軍がやや優勢だつたと思われます。
それを覆したのが,松尾山の小早川勢ということなのでしょうが,実は開戦前から小早川の動きに西軍は疑いを持っていたようです。
伏見城攻防戦で小早川勢が奮戦したため,疑いが晴れた,という説もあるかもしれませんが,実は松尾山麓に陣する大谷吉継は,秀秋の裏切りを警戒して新手の六百を温存しており,秀秋が家康に撃ち込まれた鉄砲に驚愕して西軍の横っ腹を突こうとした時も,松尾山の麓まで小早川勢を押し戻したと言われています。
西軍の敗戦を決定的にしたのは,小早川の裏切りによって東軍に寝返った赤座,小川,朽木,脇坂といった小大名たちと言っても良いかもしれません・・・。


この関ヶ原のシーン,今までの「天地人」の中では最も長く,そして充実したものとなっていましたね。
不謹慎の誹りを覚悟で言いますが,やはり大河はいくさあってのもの,と思ったりします・・・。
ただ,三成は佐和山城に着きましたが・・・というナレーションはいただけません。
着いてないですよ。
それに落城を果たして見たのかどうか・・・。
佐和山落城は18日,三成捕縛は21日とすると可能性は無いと言いきれないものがありますが・・・。


後は,島津の敵中突破撤退とか,佐和山城攻撃の主力は小早川を初めとする裏切り諸将であったとか(本丸に突入したのは田中吉政だった),詳しく述べられると良かったです(関係ないか・・・)。
ようやく島左近にまともな活躍の場と台詞が・・・と思ったら,終わりでした・・・。


・・・で,やっと出羽の兼続です(関ヶ原の敗報は15日後に出羽にもたらされたようです)。
寡勢の長谷堂城を落とせなかったことで,兼続の武将としての才覚を訝る節もあるそうです。
殿軍を務めたのは事実のようですが,撤退作戦はうまくいかず,最上勢の反撃に遭ったらしいです。
で,
「会津へ撤退」
は,どう考えても無理でございましょう。
取り敢えず,自領の米沢へ帰還するのが第一だし,景勝の本軍のためにも米沢城は開けておかなくてはなりません。
そして,得意になって攻めてきた独眼竜。
実は政宗は家康から東軍加担を条件とした百万石のお墨付きを得ていたので,これ以上戦闘を継続する意志はなく(逆に自領に攻め込まれた最上は,やる気満々だったでしょう),実は上杉軍と和睦を考えていたそうで,実際に笹谷峠(現在の宮城・山形県境)を越えて山形盆地を睥睨するところまで来たこともありましたが,直接戦闘には及びませんでした(食わせ者の政宗のことですから,漁夫の利を狙っていたのでしょう)。
一説によると,兼続は自害を考えたそうですが,何と前田慶次郎によって押しとどめられた,という説もあるそうです・・・。


・・・ということで,天下分け目の戦いは東北と美濃の二カ所で起きた,と思われそうですが,実は九州でも四国でも北陸でも起きているのです。
その辺を語ることができたら楽しいかもしれませんが,ちょっと考証を進めなくてはなりません。
次回は三成被斬と戦後処理でしょうか・・・。
兼続は家康に謝るのでしょうかね・・・。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿