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風通庵-直言

ヨモヤマ話

教科書は「国定」に!

2013-11-12 09:48:15 | Weblog
 結論を先に言うと、
 
  教科書はすべて国定に。
  教科書会社は「教師用」で、市販。
 
 で、ある。

  教科書も、一般経済市場を流通する商品と同様で、生産段階で垂れ流して、末端でトラブル。沖縄のあの地域やその他で教科書選定で悶着が起きているが、先に元栓を閉めておけば、末端での選択の余地がないから無用のトラブルもない筈だ。
 文科省の検定があるにはあっても「お先に読ませていただく」程度のことで、内容をチェックして批判し、改定させるほどの権限もないし、もとより能力もない、のではないか、と思うんだが----。
 なんせ教科書会社の売り込みは凄いこと、すごいこと、スゴイコト! 教科書の選定に携わる担当者はセールスマンの夜討朝駆けに悲鳴を上げる。逆に同情をさそう、そんな戦法もあり、とか。
 まあ、こんなことは水面下のこと、通常の営業活動であるから、ここでは関係がないから----、だから、まあ、こっちへ置いておくとして----、教科書と言うとどうしても、その内容と選定が俎上に上る。

 どの党が政権をとっても、共産党や社民党は別にして、国家としての方向付け、特に外交とか安全保障とかには変わりはない筈である。と、思うんだが。これは政友会と民政党の時代から。だからこそ、学校の教科書は「国定」であるべきだ。現在の検定制度で、内容が自虐的とか、左傾化とかの指摘があれば、修正を、あるいは却下とか、事前に処置されている筈なんだが、にも拘らず、出版社を選ぶのは、内容に相当のブレがあるからではないのか。それならなんのための検定か。
 地方に選択権を認めること自体が混乱のもとで、地方色なんて有り得ない。転校した生徒に対しても同じ教科書のほうが便利である。 
 
 川上で、流れの前に厳選すれば、川下で混乱することはない。

 道徳教育の27年度教科化が、ほぼ決定(産経新聞、25,11、12、)のようだが、なにしろ道徳教育と名がつけば「最初に反対ありき」の様相である。数値評価は行わない、とかで、最初から投げやりである。体育や音楽、図工など、持って生まれた素質によってしか結果が出ない科目でさえ評価しているのに、だ。ハッキリ言えば「やる気がない」から、成るように成れ、ではないか。

 道徳は個人の内面に踏み込む分野で、検定基準を細かく規定すれば「国による価値観の押しつけ」という批判を招くとの氣使いのようだが、小中学校の義務教育段階で、国が価値観を押し付けないと、「あなたの好きな価値観はどれですか。好きな価値観を選びなさい」で、子供が選ぶだろうか。3時のおやつを選ぶのと違うんだから。結局は教科書を選ぶ側の価値観であって、学ぶ側の選択なんて有り得ない。
 少なくとも、価値観の多様化を問題視するなら、高校以上、義務教育以上の段階、大学の一般教養程度で、ある程度自意識が芽生え、批判能力が生じてからのことである。
 結局、そこまでやりたくないのが本音で、だからこそ、そこから山本太郎がごとき国会議員が生まれるんです。事の善し悪し、それをつぶさに教えられない、日本人としての所与的な道徳観、常識さえ疑わしい、そんな人間が。

 道徳、何を持って道徳と言うか。日本人なら、誰しも一様に「そう思う」「思って当然」「そうする」「そうして当然」のこと、ただそれだけのことではないか。ところが、「そう思わない人」、「そうしない人」がいるところに問題が生じているのではないかな。多様化とか、ええ言葉使っても、結局は好き放題、仕放題で、大げさな言い方をすれば指導の放棄である。

 文科省の「心のノート」の掲載中、現職若手の澤穂希氏、内村航平氏が名を連ねるが、将来的にも本人に迷惑しないか。これはテレビの人気タレントの悪弊の影響ではないか。

 教科書は、すべて「国定」で。
 選択の余地なし。
 議論の余地なし。

で、ある。

 念の為ーアメリカは日本のような教科書は使用しない。教科書なし。 
 

 

 

 

年齢18歳をもって成年とするのか?

2013-11-10 15:07:24 | Weblog
 憲法改正を前提とした国民投票法での投票権の年齢を、18才に引き下げた場合、それによって生ずる他の法律の適用について、18歳以上に合わせるか、法律ごとに別に実施期限を儲けるか。あるいは猶予期間を設けて、順次実施していくか。満18歳以上を成人とする案は、一応は一致しているが、その実施方法も問題である。法律ごとのバラバラでは法の適用が複雑で、完全な実施が望めない。
 
 創価学会の公明党は満18歳を即時実施の考え方。民主党は成人年齢や選挙権の年齢を2年以内をメドに18才に改める。ところが自民党は、国民投票法施行後3年以内と期限を切って結論を出すという。
 この2年と3年の差は何だろう。

 やはり、どちらにしても民法の規定をまづ最初に<年齢18歳を持って、成人とする>と改定して欲しい。

 いきなり満18歳以上を成人として扱ったら、その年に限って成人人口が多く、次年度にドカ減りになるだろう。それ以外にも、かかる俄か成人をいかに扱うか。ただ、特に、投票の際に、数が多ければいいというのか。嘗て、各地で、荒れた成人式と言うのがあったが、民主党の2年間、自民党の3年間のそれぞれの期限は、大人になるための準備期間であって欲しい。「成人学」の勉強期間と言ってもよい。戦前は徴兵検査と言うのがあって20才で一応けじめがつけられたが、そんな復活なんてとんでもないが、大体15歳くらいから、高校在学生は高校を足場に、不定期にでも、商店や工場で、あるいはサービス業で社会経験を積ませる。中卒後の勤務者はそれを実績にして、何らかの機関で一定の教養を身につけさせ。そして、身体検査を実施して将来の健康管理に役立てるとか、とか。
 でないと、大人の都合、いや政治上の都合で本人の意思に関係なく、大人世界に引き上げておいて勝手がましく使うのは、チョッと酷かもしれない。しかし、精神的には早く大人になりたい、自立したいと思うのが普通だと、聞いたこともあるから、自然な成長を助けるのかもしれない。



 
 

あーァ島倉千代子

2013-11-10 14:07:36 | Weblog
 ここ少し前から高齢の著名人の死が続いている。世代の交代が押し寄せているようだ。同じく高齢の、このブブロガーがいまだ生存しているのは、著名人でなかったからである。結果、よかったような、つまらなかったような。それこそ「人生いろいろ」と言いたいところ。

 島倉千代子の死亡は、政治の世界と何らかの関係があるのか。菅官房長官が定例記者会見で「私の好きな歌手の死」と述べていた。昭和の30年代の末であったか、あるいはもっと後の方かも、大阪で島倉千代子の後援会活動が盛んであった。そんな一時期があった。それは何故か? 
 ナゼカ?
 阪神タイガースの監督をしていた藤本氏と結婚して、西宮に居を構えたからである。ナンやネンな、あの「ハラタチ日記」! チリメンの泣き声! とヤングの妬み。かと思えば、テレビの画面を見とれて「きれいですねー」と目を細めて感心していた御老体もいた。これもいろいろであった。
 ところが、かの藤本氏、一時の話題を集めたものの野球以外は不遇であったようで、「私のおカネばっかり当てにされたら困る」と、例の泣き声で離婚して、サッサと東京へ帰ってしまった。さすが歌屋ですね。
 
 「東京だよ おっかさん」が流行した時は、もうすでに時代的にズレていたのではなかったか。しかし、またこの歌で忘れられていた戦中の、過去のイメージを思い出させたのではなかったか。先に、政治の世界と何らかのウンヌンと言ったのは、NHKの紅白に35回か、出場しているが、この「東京だよ おッかさん」は一度も歌っていないと、ある新聞のコラムが述べていた。それは、歌詞の
 (!)----ここが、ここが二重橋、記念の写真をとりましょうね----
 (2)やさしかった兄さんが 
     田舎の話を聞きたいと 
    桜の下で さぞかし待ったろ
     おっかさん
    あれが あれが九段坂    
     逢ったら泣くだろ 兄さんも
が、NHKのお気に召さなかったから、とか。
 真偽のほどは知らないが。解釈は「いろいろ」。

 



 


   

あの頃のこんな思い出

2013-11-06 20:32:41 | Weblog
 
  --------赤いランタン波間にゆれて--------港上海-------、
     --------くうにゃん悲しや支那の夜--------

 と、一世を風靡した映画、歌謡曲「支那の夜」のナレーションの一部であるが、こんな台詞を知っていれば、もうお歳が知れる、80歳から90歳以上である。
 「上海の花売り娘」「広東の花売り娘」「満州娘」とか、いづれも当時流行した歌謡曲で、若者の好奇心をクスグった。 

 
 李徳全(?)とか言う、確か中共の赤十字の偉い人であったと記憶するが、国交樹立前のわが国を訪問。こちらも警視庁の偉い人がタクシーに同乗しての案内。何の御用であったか?????国交樹立の地ならしであったかも。
 
 江青夫人をはじめ四人組の活躍が、いまや中国のいや中共の発展の原動力になるものと大いに期待された。そんな時代が懐かしい。
 こんなことを言い出すと、またもやお歳が知れるが、そんなことはどうでもいい、まさか嫁入り前の娘じゃあるまいし、当方ヤングにプリテンドしたい髭じい。

 大学での講義が終わって、悪友と梅田に出た。旭屋の本屋へ、別館の二階の喫茶室でコーヒーを飲む。学友から、
 「これから中之島の公会堂へ行かへんか?」
 「ナンカあるんか?」----、別に、何もなくても、彼のうちは梅ヶ枝町で、どっちにしろその方向へ行くんや----。
 「日中友好協会とかの講演会や。」
 「ふーん、ナンヤ知らんけど、ほな行こうか。」

 当時は(いまTVのニュースーーー中国山西省の共産党の建物近くで爆発、テロの可能性)進歩的な評論家、学者はもとより学生、マスコミ等は、アメリカは戦争する国、ソ連は五カ年計画の何年目かで、国土の建設に主力を注ぎ、平和と安定をモットーとする国と評価、親米と親ソが半々なら反米と反ソも半々で、ヤングの親ソが意外と多かった。そんな中でも、共産党に対する締め付けは厳しく、幹部の雲隠れもあり、伊藤律氏がモスクワに現れる。また、共産党の劇団前進座の代表者の一人中村翫衛門が中国へ密航し、北京へ。江青夫人と大衆の前に現れて、大歓迎----、

 と、その日中友好協会の講演会で聞いた記憶の一部分である。。まあ言って見れば、戦後の新しい国の誕生、中共の今後の成長に期待をかける、旧親中派、在住経験者、将来への期待派が一体となっての講演で、
 中京と言う国、大したもんだよ。あの陰謀や略奪、売春、匪賊の横行する陰惨な国が、明るい健全国に生まれ変わった。過去のチャンコロとかシナ人とか言って蔑んだ悪弊はもうやめて、対等の人間として付き合って行かなきゃと、毛沢東や江青夫人の四人組の活躍をたたえたり、
 演者が誰であったかは忘れたが、江青夫人こそ、中共はもとより戦後の世界を動かす新しい婦人と持ち上げて、大会堂で夫人が翫衛門さんと抱きあって歓びあったあの姿は、生涯忘れられないと、中国の要人から聞いたという話----等々。
 で、何人かの講演、実は、本来の目的は「日中友好会館」建設のための寄付金集めであった。
 主催者等数人が舞台に並び、その趣旨の説明があり、頭を下げていた。その中に内山完造氏(内山書店々主)がいたことは今も記憶に新しい。その時、悪友とともに、いくら寄付したか、いや学生の身分で寄付はしないで、食い逃げであったかも知れない。もう忘れた。
中共が中国となって、台湾と入れ替わり国連の常任理事国となったのはそのズット後である。

 そんなことやらこんなことやらで、新しく誕生した中共と言う国の発展と、同国との友好を願って、ジ・エンド。


 後日、その理想の婦人・江青夫人は、政治の混乱の責任を問われて「死刑の判決」を受けて、獄中死。
 以後、世界第二の経済大国は名ばかり。いまに至る中国の派閥闘争、土地の強制収容、庶民を犠牲にした高官の汚職、陰謀等々の実情は現に見る通り。
 やはり、中国はあくまでも中国でしかない。
 

もうええ加減にして,徒労な論議

2013-11-04 11:04:55 | Weblog
 最近、特に思うのだが、いや年のせいかもしれないが、新聞やテレビのニュースを見ていて、昔も昔、学生時代に学んだ法学概論の一項目の「法と道徳」について。
 と言っても、ブロガーは法学部の出ではない。従って、法律に関しては、ごく日常的な、常識的なコト以外は、門外漢である。いつか、モノの本で読んだが、法律なんかいつでも勉強しようと思えば出来る。特に民法なんて「見ん法」で、高度の常識さえわきまえておれば、敢えて学ぶ必要はない、と。さすがに言い得て妙である。
 だから、その言う「高度な常識」とはいかなる常識か。いや、別に、高度でなくても、並みの常識でもいい。敢えて言うならば「道徳」「規範」ではないか。法ー法律は明文化していて強制力があり、罰則があるが、道徳規範は社会生活上の仕来たり、伝統で、内容が弾力的で、強制力はなくて自由だが、同じ地域社会においては、意識するしないにかかわらず守っている----。いや、別に守らなくても罰則はないのが普通だが----。
 と、そのように思う。

 アンタ、一体何が言いとおまんねん? もうええ加減でよろしでェ。言いたいこと、サッサと言いなはれ!

 いや、別におまへんけど、なアーーーー。

 山本太郎参議院議員が天皇陛下に直訴。「天皇陛下に直訴して何が悪い」と、本人。「何が悪いとは、それが悪いヮ」。
 ニュースによると、直訴は歴代5例目で、最初が足尾銅山鉱毒事件に関する田中正造の直訴で、右翼の親分児玉誉士夫も5例の中に一例らしい。

 「婚外子規定に複雑な思い」と、婚外子の遺産相続分を嫡出子の半分とした民法規定は違憲」での産経新聞の投書。ひょっとすると、該当者本人からの投書かもしれない。 「類似の投書は、同じ産経新聞の「読者サービス」欄のまとめ記事の中にも見る。最高裁の驚くべき判断で民法が改悪されたらたまらない。家族制度の崩壊につながる。日本にあった法律や制度を守ってほしい。婚外子はわずか2%で、大多数の人は家族制度を守りたい筈,Etc、etc。

 「思想、信条の自由」は憲法の保障した国民の権利だから、「君が代」「日の丸」には反対と、卒業式や入学式の行事にソッポを向く日教組系の教師。
 生徒にとっては生涯思い出深い行事にも拘わらず、自己の勝手な思想を楯にして、厳粛な行事を壊す行為はもとより、自己の思想で授業をすることは生徒の「思想、信条の自由」を阻害する行為である。

 「知る権利を侵す悪法」と言って特定秘密保護法案やにケチをつけ、国家安全保障会議(日本版NSC)を問題視するが、総じて「破壊活動防止法」の時と同じではないか。いや、破防法のときは凄かった。今と違って学生の、あの全学連か、労組も含めて日本列島がひっくり返るくらいの騒動であった。しかし、以後、どんな適用例があったか。騒いで楽しんだ、唯、それだけのことー。
 知る権利とかと、たいそうに言うが、知らなかったからと言っていかなる損害を被るか。メデイアは「知る権利」や「報道の自由」「取材の自由」への悪影響が懸念され、報道は知る権利に奉仕するもので、取材は報道の自由の前提となると言う。ところで、メデイアによっては報道の対象・内容が異なり、それに従って取材も異なる。そうなればメチャクチャで、国民のためより、メデイア自らのためではないか。
 そんなことと国の外交や安全と両天秤にかけて、どっちがどうか。
 

 何んとなく、ピントが外れてるようやけど、まあ、言うたら、こんなもんでっせ!
 へー、表題と中身がえろう違いまっせ。
 法律ウンヌンのその前に、一人一人の国民が常識人であることです。

 

  

 

 

  

風通ー放言・雑言ー(4)-

2013-11-02 10:18:30 | Weblog
 「反日」から「反テロ」へ。 
 中国での「反日」が色あせないうちに、と言う訳でもあるまいが、北京・天安門前での車突入事件を「敢えて、中国の民族、宗教政策に関連づけるべきではない」{外務省華報道官)として、テロリストによる犯行として「反テロ」で、国内批判をそらした。
 
 チョットまあ考えたらおかしな話、何でって、この新彊ウイグル自治区は、中国の核心的利益と言うから。確かに18世紀の清朝期に中国の版図に組み入れられたが、もともと独立志向が強く、1944年に「東トルキスタン共和国」が成立した。ところが、1949年に中華人民共和国が成立し、55年にウイグル自治区が設置された。このウイグル地区は石油、天然ガス等の資源が豊富で、党はこの資源を独占したいがために漢民族を同地区に大量移住させた。そのために人口が、地元のウイグル族の倍以上に
なり、学校では中国語教育を強化し、就職でも漢民族を優遇し、漢民族支配が一層強まり、ウイグル族の不満から、独立運動や暴動が絶えない。(読売新聞、25,10,30.)チベット自治区も同様であろう。
 少数民族を、こんな手法で「核心的利益」として支配を強化。従って、内部で暴動や混乱が絶えない。
 「反日」では目に見えた実績が上がらない。尖閣諸島にして然り。とは言え、国内の不満分子を抑え込む手段として、いまさら反日ではもう古い。そこで降って湧いた天安門突入事件である。よし、これでいこう! 「反テロ」! 政権批判もこれでそらそう。そこで、「反日」から「反テロ」へーーである。
 
 余談だがーー、
 こうして国内でも暴動が絶えない現状にも拘らず、敢えて、自治区としてか、属国となってか、その実体は別にして、中国の傘の下に収まりたい意向を表明した国、他ならない「韓国」である。金科玉条の「反日」を携えての朝献外交、その人こそ国民を代表しての女大統領・朴ムクゲである。
 中国共産党は、いずれ北朝鮮を併合か、支配下にか,あるいは自治区に。引き続き韓国を。そうなれば朝鮮半島全部が中国になるし、中国共産党の思うツボである。韓国もそれで千年先まで安泰であろう。これが浅はかな女大統領の知恵である。

 蛇足ながらーーー。
 中国は、新疆ウイグルに見るように、資源目当てに漢民族を大量に送り込み、原住民を漢民族の支配下に置く。原住民の伝統も仕来たりも認めない。もとより文化も。そして中国化、中国の領土とする。民族問題を認めない。
 従って、内部で衝突が絶えない。
 
 かかる中国の共産党一党支配による実態と、旧・ソ連とは比較できないか。中国は、以前「中共」と言い、台湾が「中国」であったが、国連加入の際であったか、中共が「中国」に。そして「中国」が「台湾」になって、国から地域に格下げされた。中国の正式名称は「中華人民共和国」である。ソ連は、「ソビエト社会主義共和国連邦」が正式名称で、東欧、北欧15の国で共和国を形成していた。ブロガーは、年齢的な問題もあって、ソ連以前のロシアと言う国を知らない。物心ついてからソ連である。だからソ連と言う一つの国と認識していた。15の国がスターリンの支配下に二つ返事で参加したか。いまにして思えば、中国の核心的利益に準じた、いやもっとエゲツナイ方法で構成したのかも知れない。ソ連が解体して、ロシア一国に戻った時、バルト三国が即刻独立、グルジアも同様。(ソ連最後の大統領ゴルバチョフのもとで外相に就任していたシュワルナゼ(?)がグルジア出身で、就任後すぐ辞任した)。後に、と言うことは現在、独立国家共同体として旧ソ連を再度まとめあげようとしたが、バルト三国などは参加しなかったように思うし、あるいはグルジアも。
 スポーツの国際試合はもとより、オリンピックも、ソ連からどのような選手が出てくるか予想が出来ないとはよく言われたが、後にして思えば当然のことで15の国から、ソ連一国の枠で出場するから、分からない筈で、15の国の実体から判断しなければならなかった。そんな事情が後で分かった。したがって、旧・ソ連、スターリンは思想の統一だけを厳しくして、現中国のように、自治区とか称してすべてを中国へ同化するようなことはしなかったのかも、と、中国の現状見て、思うことしきり。
 これなら、いずれ、早晩、中国は内部で混乱して、国として破綻し、崩壊するするであろう。
 
 

 

 
 

 

盗聴して何が悪い?

2013-11-01 14:11:53 | Weblog
 アメリカは世界の警察、財政危機で国にお金がなくなって、公共サービスの停止や政府職員の一時帰休が実施されても、国防、治安、交通、流通などに携わる職員ーー軍人、FBIや麻薬取締官、沿岸警備や国境警備官ーーは業務を継続しているようだ----。
 
 折からドイツのメルケル首相の電話盗聴偽悪が発覚し、オバマ米政権の外交、安全保障政策に深刻な打撃を与えようとしていると、メデイアは報じている。
 要するに、同盟国の間柄にも関わらず、米国家安全保障局(NSA)が各国指導者の通信を盗聴していたとされる問題に対し、クラッパー同長官は、国益を追求する観念から外国の指導者の行動や意図を収集し分析することは、情報機関の基本的な任務だ。各国の政策が米国にいかなる影響をもたらすかを判断する上で重要だ。通信傍受は法の範囲内で行っている。と、傍受を認めた。
 
 ただしかし、この問題、同盟国であろうが無かろうが、傍受と称する盗聴があっても、それはやはり国を守る、外敵を防ぐという大きな目的から当然ではないか。と、思うんだが、チョット気が良すぎるかな。
 いや、問題はそこ!
 同盟国なら、同盟国として、傍受と称する盗聴があっても、そこはそこ、内緒の話でアノねノねで、表に出さないで済ませばいいもの。傍受は単なる表面的なもの、いわば現象面で、その根幹、根本の部分に触れていない。
 問題の要点は、中央情報局(CIA)職員エドワード・スノーデンが、なぜ、どうして、国外逃亡したのか。出来たのか。NSAなどの機密書類をなぜ持ち出したか。持ち出せたか。ここである。
 嘗ての米ソ(ロ)、現在の米中と、敵国とまでは言わないまでも、要するに同盟国以外の国に、機密書類を持ち出して、当のアメリカから何らの強行手段らしきものが見えない。CIAの一職員の勝手放題、されるがまま。国としてされるがままに放置していていいものか。アメリカが最も重要視する国防が侵されているのではないか、一職員に。従って、
 CIA職員の採用から管理の実体は? (採用のさいは、先祖代々、過去帳一切に至るまで、思想面も併せての調査は?)
 内部の機密書類の管理は?、
 オバマ政権はなぜ弱い?
等々、疑問である。
 要点はここ。

 こんなことで世界の警察どころか、ガードマンの役目も果たせない。世界は強いアメリカを望んでいる。