何か事が起きると他人事のようにシラを切る。大相撲時津風部屋の力士が稽古後に急死した問題でもそうだ。稽古中のビ―ル瓶や木刀での暴力は兎も角として、親方が竹刀を振り回しての稽古場風景はテレビで見て誰もが周知の事実である。遺憾の意を表した北の湖理事長もそうして育ったのではなかったか。そうして育ったからそうして育てるとの順送りで、各相撲部屋は無神経か当然視しているの感があるやに見るのだが。竹刀は木刀と違って叩かれて苦痛を感じるものではないが、それでも剣道の側から見れば大切な試合用具で、相撲の稽古場での暴力用具に使用されるのに異論がないのも不思議だ。
もう相当昔の事だが、初代若乃花親方が北海道から一家揃っての夜逃げ同然のホウホウの態で東京に出てきて横綱になるまでの一代記のテレビドラマが放映されたことがある。若乃花を演じた俳優、顔は覚えているが名前を思い出さない。稽古中に竹刀か木刀を持ってシゴキにしごいて顔はもとより全身傷だらけの弟子が稽古場から逃げ出し、その場に居合わせたおかみさんが追い出すように戸をピシャリと閉めるシ―ンがあった。好きならこそ出来る修行かなと思った記憶がある。これはドラマではあるが、いかにドラマとはいえ、あるいは現実の反映であったろう。その事実が計らずも今回の時津風部屋の事件であろう。起こるべくして起こったのだ。
そうでなくとも、いかに国技とは言え、いまだに髷をつけた相撲界は前近代的である。巨体は兎も角、まわし、褌、各種カラ―のまわしでも、いまの時代に魅力的でない。カッコよさがない。
土俵に女は上がれないと言う古くからの仕来りには、あまり異論は聞かない。男女差別に何かと喧しいおばちゃん連中からも、だ。その程度の伝統はあってもいいのではないか。礼に始って礼に終わると言う日本古来の伝統としての礼儀が見直されている矢先の出来事である。暴力を伴う、暴力での指導、暴力が犯罪であることも無視しての指導は、もはや相撲そのものの存在が危ぶまれる。新弟子希望者の減少や辞退が続くと、そういう危惧も現実味を増す。
今回は、不幸にして死亡したから表面化したが、そうでなければ相撲界の犯罪紛いの指導はいまも続いていた筈である。
もう相当昔の事だが、初代若乃花親方が北海道から一家揃っての夜逃げ同然のホウホウの態で東京に出てきて横綱になるまでの一代記のテレビドラマが放映されたことがある。若乃花を演じた俳優、顔は覚えているが名前を思い出さない。稽古中に竹刀か木刀を持ってシゴキにしごいて顔はもとより全身傷だらけの弟子が稽古場から逃げ出し、その場に居合わせたおかみさんが追い出すように戸をピシャリと閉めるシ―ンがあった。好きならこそ出来る修行かなと思った記憶がある。これはドラマではあるが、いかにドラマとはいえ、あるいは現実の反映であったろう。その事実が計らずも今回の時津風部屋の事件であろう。起こるべくして起こったのだ。
そうでなくとも、いかに国技とは言え、いまだに髷をつけた相撲界は前近代的である。巨体は兎も角、まわし、褌、各種カラ―のまわしでも、いまの時代に魅力的でない。カッコよさがない。
土俵に女は上がれないと言う古くからの仕来りには、あまり異論は聞かない。男女差別に何かと喧しいおばちゃん連中からも、だ。その程度の伝統はあってもいいのではないか。礼に始って礼に終わると言う日本古来の伝統としての礼儀が見直されている矢先の出来事である。暴力を伴う、暴力での指導、暴力が犯罪であることも無視しての指導は、もはや相撲そのものの存在が危ぶまれる。新弟子希望者の減少や辞退が続くと、そういう危惧も現実味を増す。
今回は、不幸にして死亡したから表面化したが、そうでなければ相撲界の犯罪紛いの指導はいまも続いていた筈である。
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