風通庵-直言

ヨモヤマ話

泥棒が集まっての防犯対策とはーーー?

2009-03-17 10:25:40 | Weblog
 泥棒が集まって防犯対策を練るに等しいもの。それが政治家の政治資金問題の論議。どっかに穴を作っておかないと、あまりにも完璧を期すると仕事にならない。だから一から万事政治家自身の良識の問題で、オノレ個人のこと。だが、なにがしかの政治資金を得なければ政治家としての仕事が出来ないし、もとより議員に立候補も出来ないらしい。だからといってそんな事情に理解を示す国民がいるだろうか。なにしろ金が欲しい。盗んできてでも金が欲しいーーーと、そんな極端なことを当事者から聞いたことがある。
 当初ーーーといってもいつのころからとは指示できないが、恐らく戦後の米ソの対立という世界情勢を背景としてか、いまの自民党の前身からの生い立ち、いわば与党の成り立ちが、民主政治のあり方を企業側・資本の側から主導してきた。これは野党すなわち社会党や共産党が労組や零細業者を背景に施策を講じてきたのと対照的で、いまもって両者の支持層にその残照が残っている。がしかし、世界情勢は大きく変化しているのだが。
 そこで、ことの良し悪しは別にして、野党第一党の民主党が、国民の生活が第一との看板を掲げていることは、歴史的に見ても労組とか零細業者、農民等を対象にした野党の本流であるといえる。ところが、口ではそういっても、金が欲しいのは与党野党に関係なく政治家に共通で、自民党のように企業とかかわりのない政治家の政治資金の捻出方法はいかにあるのかと、マスクの代表がやはり裏側では自民党時代の因縁を引きずって悪びれもなく複雑な裏表関係を構築していた。そんな事情が計らずも明らかになった。
 サモアリナン!
なんのための野党か? 気の毒なのは若手の先鋭議員たち。


 野党のいう企業献金の全廃は政策上は理解できるが、与党のそれは結局は眉唾もので、泥棒が集まっての防犯対策に等しい。そんな論議の様相を呈している。企業と政治家個人との結びつきを絶つなんて元々出来ないことだ。結局はマスクの代表の編み出した迂回献金のトリック。下手な法律を作ることは罪を作ることに等しい。そんな法律はいらない。廃止しなさい。
 わが国もアメリカなんかのような個人献金の制度化を提唱する向きもあるが、アメリカの場合は、企業自体の在り方が違っていて、昔よく言われた「わが社においてはーーーー」はわが国の社長連中の口癖であったが、アメリカでは「あなたの会社はーーーー」といって、株主を主体にものをいうとかーーー。従って、株主も自ら出資した企業の業績アップのためには個人で政治家に献金するが、わが国の場合は企業の当然の支出として扱われる。政治資金だけでなく他のいかなる資金でも、個人での金銭の支出はない。そんな風土が定着している。
 わが国は、個人より企業、組織主体の社会である。
 
 
 企業献金を全廃して、すべて個人献金にした場合どうなるか。もとより個人で政治家に献金するような奇特な心掛けの人がいるだろうか。献金とか寄付とかは、例えば「あしなが基金」「ユニセフの基金」「赤十字」「結核予防会」などだあるが、それは目的がはっきりしていて趣旨の賛同したからである。ところがだーーー政治家の場合、自分の支持する政治家に献金した場合でも、その政治家の所属する党の方針が、自分の支持する政治家の政策と異なって、例えば「外国人にも参政権を与える」とか「ジェンダーを進める」とか、そんな場合どうするか。ちょっと答えが出ない。金は出すが、見返りは求めない。そんな奇特な個人はもとより企業もあろうか。ドブに捨てるような無駄なことするな! 
 これがオチだ。