ヨナの福音こばなし帳

オリジナルのショート・ストーリー。一週間で一話完結。週末には、そのストーリーから人生の知恵をまじめにウンチクります。

私は誰?スポーツ選手編(7)ウンチク編

2008-02-03 | 放蕩息子Part2
昨日の人は、スポーツ選手では、ありませんでした。ただの運動音痴の人でした。お後がよろしいようで。


スポーツ選手は、ボールが飛んできたとき、いちいち考えたりなんかしません。とっさに、パッと、自然に体がボールに反応します。野球選手は野球選手として、バスケ選手はバスケ選手として、自然に体が動くのです。それは、そのスポーツがその人の中にすっかり染み込んでいるからです。


さて、イエス様を信じると、聖霊様の働きによって、その人は新しく生まれ変わります。どうやってその人が新しく生まれ変わるのか、そのところを目で見ることはできません。でも、その人を見たら、新しく生まれ変わったかどうかを、知ることはできます。


人は、生まれながらしにして、罪人です。罪を犯して罪人になるのではなく、罪人だからその人の内にある罪の性質が外に表れて、罪を犯すのです。ちょうど、その人の中に染み込んでいるスポーツによって、選手は、自然に行動するのと同じです。

生まれもっての罪人が、イエス様を信じることで、聖霊様の働きによって、神の子どもとして新しく誕生します。その人の中には、イエス様の心があります。自然に、イエス様が感じるように感じ、イエス様が考えるように考え、イエス様が行動するように行動します。これは、イエス様の心が内にある、イエス様がその人の中で生きていから、自然に、そうなるのです。

イエス様の心を持っている人は、罪が嫌いです。自分が罪を犯したら、とても悲しくなります。そして、他の人が罪を犯していることにも、やっぱり悲しくなります。その人に、イエス様があなたのことを愛しているよ、あなたの身代わりとして十字架にかかって救いを与えてくださったんだよ、だからもう罪の中にいなくていいんだよ、って伝えたくなります。

「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
ルカの福音書19章10節


ちなみに、ゆっくり座り込み、「さて、ここでイエス様ならどうするかな」と考え、「じゃあ、僕もそうのようにやよう」というのではありません。これは、イエス様の真似をしているだけです。難しい言葉では、律法主義的な人、です。その人は、イエス様を信じて神の子どもとして新しく誕生したのかもしれませんが、その人の中でイエス様は生きていません。その人は、あいかわらず、自分でやってるのです。(参照ガラテヤ5:4)


あなたの内で、イエス様は生きていますか?


あなたがたは新しく生まれなければならない、
と私が言ったことを不思議に思ってはなりません。
風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、
それがどこから来てどこへ行くのかを知らない。
御霊によって生まれるものもみな、
そのとおりです。

(ヨハネの福音書3章7-8節)







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