ヨナの福音こばなし帳

オリジナルのショート・ストーリー。一週間で一話完結。週末には、そのストーリーから人生の知恵をまじめにウンチクります。

あきこの10円玉(7)ウンチク後編

2007-08-26 | あきこの10円玉/ こすずめピヨの冒険
あきこは、きっと、朝、昼、夜と電話をするたびに、おかあさんに、自分が習ったこと、わかったこと、難しかったこと、困ったこと、いろいろ話したことでしょう。そして、おかあさんの声を聞いて、慰められ、励まされ、そして新しい元気をもらって、がんばったことでしょう。そして、おかあさんの声を聞ける時間は、あきこにとって、なにより楽しみな時間だったはずです。

それが、せっかく電話をかけても、他の人が出たらどうでしょう。たとえば、隣のおばさんとか。きっと、あきこは、がっかりするでしょう。なにかの用事で、おかあさんが電話に出られないとなっても、「まあ、隣のおばさんでもいっか。」とは、決して思わないはずです。それは、隣のおばさんは隣のおばさんであって、大好きなおかあさんではないからです。

私たちは、なにより、大好きな人の声が聞きたいのです。

聖書は、私たちへのイエス様からの手紙です。そこには、イエス様の声がいっぱい詰まっています。聖書を読んでもつまらない、と感じるのは、あなたがイエス様を好きではないからです。イエス様と親しい関係を築いていたら、イエス様の声を聞くことは、楽しみになるはずです。

神様のことばがあなたに、どのように聞こえるかは、あなたと神様との関係次第です。あなたが神様を嫌い、避けるなら、聖書はあなたをさばく言葉です。でも、あなたが神様を愛するなら、聖書はあなたに神様の力、恵み、安らぎをもたらす言葉です。

聖書は、人にとって必要な、慰め、励まし、そして元気の素で満ちています。そして、それは、あなたにも、語りかけられています。

これこそ悩みのときのわたしの慰め。
まことに、みことばは私を生かします。

もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったら、
私は自分の悩みの中で滅んでいたでしょう。

あなたのみことばは、私の足のともしび、
私の道の光です。

(詩篇 119篇50,92,105節)


次回からは、新しいストーリーです。アクセスしてくださいね。