いこいのみぎわ

主は我が牧者なり われ乏しきことあらじ

聖書からのメッセージ(58)「歩きなさい」

2013年11月18日 | 聖書からのメッセージ
使徒行伝3章1節から10節までを朗読。

6節「ペテロが言った、『金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい』」。
これは、ペテロとヨハネが、お祈りをするために、宮に上ったときのことです。当時、ユダヤ人の習慣で日に何度か決まった時間に祈ることになっていました。今でもイスラムの人たちは、必ず決まった時間に、メッカに向かって祈りをささげます。かつてのユダヤ人もそうでした。イスラム教もユダヤ教も根本は旧約聖書にありますから、そういう習慣は共通しています。

ペテロとヨハネも生まれ育ったのは、ユダヤ人の社会であり、その習慣に倣って、祈ることを努めていました。イエス様も、もちろんそのことを勧めておられたのは確かです。ですから、このとき、ペテロもヨハネも宮へ祈るために来ました。2節に「生れながら足のきかない男が、かかえられてきた」とあります。生まれながら足がきかない、一度も歩いたことがない人がいました。宮の前には人がたくさん集まりますから、門前町と言って、お寺やお宮の周辺には、人通りが多いのです。このエルサレムの神殿も、ユダヤ人の大切な場所ですから、たくさんの人が、連日、やって来ます。その周辺にはお店もあったでしょうし、物ごいをする人も連れて来られたのです。「この男は、宮もうでに来る人々に施しをこうため」とあるように、人々から施しを受けるために、宮の前に置かれていました。

そのとき、たまたまペテロとヨハネが宮に入って行こうとしていました。その男は施しを受けようと思って「哀れんでください」と求めました。ペテロとヨハネは、4節に「彼をじっと見て、『わたしたちを見なさい』と言った」。ペテロとヨハネがその人をじっと立ち止まって見詰めたのです。これでは期待が大きくなります。多くに人は知らん振りをして行くのが当たり前でした。立ち止まってじっと自分を見てくれている、何かもらえると期待が膨らみます。ペテロとヨハネは「わたしたちを見なさい」と。そこまで言われたら、少々のものじゃないですね。だから、この5節に「彼は何かもらえるのだろうと期待して」とありますが、それは当然のことです。期待しないはずがない、必ず何かもらえると思いまし
た。そのとき、ペテロが、6節に「金銀はわたしには無い」。お金や金や銀、この世の宝となるものは、私にはない、と言った。これにはがっかりしたと思います。

このときのペテロとヨハネは、正に、意地悪と言えば意地悪、「金銀はわたしには無い」、「だったら見るなよ!」とこの人は思ったに違いありません。私どもも、そういう風に裏切られることがよくあります。気を持たせるといいますか、きっとと何かしてくれるに違いない、と思ったら、何のこともなかったということがあります。このときもそうでした。「金銀はわたしには無い」。ところが、そこで「しかし、わたしにあるものをあげよう」。わたしが持っているもの、わたしにあるものをあなたにあげようと。それは、「ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。「イエス様の名によって歩きなさい」と勧めました。しかし、物ごいをしている人には何のことかさっぱり分からない。そんなものよりは、花より団子、金銀のほうがはるかに望ましい。そのとき、7節に「こう言って彼の右手を取って起してやる」。「ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」と言って、手を取って引き揚げたのです。そしたら、何と「足と、くるぶしとが、たちどころに強くなって、8 踊りあがって立ち、歩き出した」。奇跡が起こった、驚くことが起こった。今まで「生れながら足のきかない男」です。成長するまでは歩いていたけれど、何かの事故で歩けなくなった、と言うのではない。「生まれながらに」だから、これは完全に治る見込みが無いどころか、初めからそれは無理なのです。本人もそう思っていたし、周囲もそう思っていました。ところが「主イエス・キリストの名によって」、ペテロとヨハネの言葉を信じて引き揚げられるままに立ち上がった。彼は立って歩くことができるようになった。これは本当に素晴しい恵みであると同時に、今も変わることのない事です。

私は、この記事を通していつも深く教えられますが、正にこれは、私たち自身のことでもあります。先ずもって生まれながらに足のきかないという、生まれたときから歩くことができない、自分で立てない、自分で動けない。と言われると、私はそんなことはない、生まれたときから足も丈夫だし、五体満足、好きなようにできた、と思っています。しかし、よくよく考えてみたら、自分で歩いているようで、案外そうじゃありません。自分のしたいことができない、してはいけないことをやってしまう。言うならば、私たちの普段の生活は、自分で歩いているようですが、人を恐れ、世の中のしきたりや習慣に倣って、自分はそうしたくないのにやむなくしている。あるいはそうあるべきでないと思いつつも、そうやっている。自分で歩くことができるんだったら、はっきりとした目標に向かって真直ぐに進めばいいのですが、それができない。いつも一日が終わるときに悔やむ。今日も思いどおりにいかなかった、今日も願いどおりではなかったと。それは、私たちが歩けないからです。確かに肉体的な意味で、両足で立って歩くことはできるかも知れないが、生活の中で、地に足をつけて、自分の決断と選択と意思に従って、神様に造られた者として、真直ぐに生きているかと言われると、それどころか、千鳥足もいいところ、歩けないでしゃがみこんでいるのが、有りのままの姿ではないでしょうか。

この2節に「生れながら足のきかない男」というのは、ほかの人のことではありません。実は私たち、皆さん一人一人なのです。生まれながらに、本当に罪の塊であった。我がままで、自分のしたいことができるようであって、人は、不自由な中に生きています。自由奔放、何でもしたいようにできたらいいな、と思います。しかし、何でもしたいようにできるから、さぁ、しなさい、と言われたら、人のまね事をするのが精一杯です。だから、世の中を見ていると、私こそ独創的、誰にも影響されない人間です、独立自尊の人間だ、と言っている人でも、その生活ぶりや、ものの考え方を見ると、結局周囲の人がしているのと同じことをしています。私たちは、どうしても歩けないのです。そういう自分であることを、知らないでいるのではないでしょうか。この生まれながらに歩けない人は、「かかえられてきた」とあります。人から抱えられなければ、歩けない、生きられない。宮もうでに来る人々の施しをこうために、毎朝、人から運ばれてそこに置かれるのです。これが私たちの姿です。私は車椅子に乗っているわけじゃない、運ばれてなんかいない、と。しかし、現実、私たちの生活は誰かに頼らなければできない。常に人を頼り、人を当てにし、人に期待してという生き方しかできません。

だから、よくお話しますように、ある一人の兄弟は、95歳か96歳になられます。自分は天涯孤独ひとりぼっちで寂しい。時々、電話を掛けてこられます。波があります。殊に季節の変わり目が良くない。一週間のうちでも曜日によって違うのです。いちばん電話が掛かるのは、水曜日が多いんです。だからお年寄りにとって、水曜日くらいが、落ち込む時期かなと思います。だから皆さんも注意していただいて、「ああ、今日は、水曜日だ、寂しくなる日かな」と、段々と週末に掛けては元気づいて、金曜日、土曜日にはほとんど電話がない。月曜日か水曜日くらいが多いですね。その方は、いつも嘆かれるのです。「子供もいないし、家内も天国に行ってしまったし、天涯孤独です。誰も私を訪ねてくれる者はありません。また私が電話をしても、誰も応えてくれないで、『もう二度と電話をしてくれるな』と言われます。先生だけが頼りです」と言われます。そう言われると切るわけにはいかないから、「そうですね」。私は、父と同じ年代だと思うと、哀れが先立ちますから、「先生、また電話していいでしょうか」「どうぞ、いつでもしてください」と言うのです。それだけで安心するみたいで、しばらくは掛かってこないことがあります。そうやって、人に頼る。私はその姿を見ていて、人というのは弱いんだなぁ、と思います。つい、誰かに慰められたい。誰かに持ち運ばれなければ、生きられない。そうじゃないでしょうか。皆さん、御自分の老後を考えて、心ひそかにあの娘に頼もうか、この息子に頼ろうか。あの嫁は駄目だし、こっちはなお更駄目だしと、そんなことばかりを考えて、誰か、私を持ち運んでくれる人はいないだろうかと。

この足のなえた人は、幸いに持ち運んでくれる人がいたのです。朝ごとに親切にも連れて来てくれる。そして、2節の後半に「毎日、『美しの門』と呼ばれる宮の門のところに、置かれていた者」とあります。「置かれ」る、と言うのは、物を置く、物に対する言葉ですね。テーブルを置くとか、タンスは、どこに置きましょうかと。この赤ちゃんどこに置こうかとはあまり言わない。どこに寝せようかとか、どこに座らせようかと言います。人を指す言葉としては、あまり頻繁に使う言葉ではない。この年寄りは邪魔だから、ほかのところに置いておこうかとは言わない。こちらへ移ってもらいましょうかとか、場所を替わってもらいましょうと、言うことはあるけれども、置くというのは、あまりにも物質的です。ところが、私たちは、そういう存在ではないでしょうか。まるで命がなくなってしまった。遺体はどこに置きましょうかと言いますよ。死んだ者は、一つの物体化されますから、「置く」と言うことも有り得るかもしれません。生きている人に、この人をどこに置くとは言わない。彼はそういう存在であると同時に、彼ばかりではなく、私たちも、人に運ばれて「置かれている存在」、物体のように、品物のごとくに存在していたというのが私たちです。そして人に持ち運ばれ、ここにありますように、3節に「施しをこうた」と、運ばれ置かれ、そして通り行く人々の情けを受ける。人から施されて生きている。私たちは、施しをこうて生きているわけではない。私はちゃんと働いた後、老後のために備えられた年金で生きていると。ところが、言うならば、この社会の仕組みは、人に施す制度です。与えられたもので、金銭で初めて人が存在しているのが、現実です。

このときの、生まれながらに足のきかない、施しをこうていた男の人の姿は、正に、私たちのこの地上にある、この世にある生き方そのものです。足がきかない、運ばれて置かれていて、そして施されて人は生きている。ところが、ペテロとヨハネが、6節に「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう」と、ペテロとヨハネが、あなたにあげるお金やこの世の施すものは何も無い。「ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。イエス様の力によって、イエス様を信じることによって、自分の足で立つ者となること。7節に「こう言って彼の右手を取って起してやると」、ペテロとヨハネが、足のなえた人の手を取って起こすと、「足と、くるぶしとが、立ちどころに強くなって」、今まで一度も歩いたことのない足に力が注がれて、「立ちどころに強くなって」。これは最高の恵みではないでしょうか。施しをこうていた人にとっては、むしろ金銀のほうがよかったと思ったでしょう。しかし、彼自身が立って歩くことができるなら、これに勝るものはない。これがイエス様の救いなのです。

イエス様は、人に運ばれ、人の哀れみを受けて物ごいをするような生き方ではなくて、金銀によって生きるのではなくて、新しい命を満たして、自分の足でしっかりと立って、神様の御心にかなう者となり、生きる者となるようにしてくださる。これがイエス・キリストの救いです。今、私たちが受けているのはその恵み、その救いです。日々の生活の一歩一歩、一足一足を、イエス様が力となってくださる。歩けない私たちに力を与えて立たしめてくださる。今、私たちはそうやって立ち上がって、何者にも支配されないで、どんなものにも頭を下げる必要がない、神様からの命と力を日々いただいて生きる者とされたのです。これは大きなお恵みです。

ところが、ともすると目先の金銀だけをもらって、施しをこうて生きる人に陥りやすい。事情、境遇、事柄や、目の前の家内安全、無事息災、物事がうまくいってくれたら、私は安心だ、という思いは、正に金銀があれば、人が私をちゃんと宮の門に運んでいってくれれば、と思っていることです。イエス様は、そうじゃなくて、あなたが造りかえられて、死んだ者が生きるものにかえられる。ここにイエス様が与えようとしてくださる命と力があるのです。人に頼ることはいらない。人に物ごいすることはいらない。自分の足で立って神様の前に出る者となるのです。神様は、すべての必要、力も、財も、どんなものでも備えることが出来ます。神様は欠けたもののない方、すべてのものに満ちあふれている栄光の富を、私たちに与えようとしていらっしゃる。

イエス様がベテスダという池に来ました。ベテスダの池は、その周囲に廊があって、いろんな肉体的な困難をもって、病にある人々が待っていた。それは、池の水が動くとき、最初に入った人は、癒されたからです。一途にそのことだけを願って、その瞬間に水に飛び込もうと思って、多くの病人が待っている。そうやって36年近くも寝ている人がいる。そのときイエス様は、その人に近づいて、「治りたいのか」と言われた。その方は「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません」と、イエス様に頼んでいるのです。「水が動いたとき、私を水に入れてください」。そのとき、イエス様は「起きよ、床を取りあげて歩め」と言われました。その人は、言われるままに立ち上がって、寝ていた自分の床を取りあげて、歩いて帰って行った。その人は水が動くときに、自分を運び入れてくれればいいと思ったのです。言うならば、金銀が欲しいと言うのです。施しをこうていた人も、自分の足で立てるなんて想像もつかない。もうそれは考えられない、初めからそれは頭にない。そうすると次なる方法として、金銀をもらえばいい。私たちも案外そういうところにとどまりやすいのです。ベテスダの池で病んでいた人のように、「イエス様、私を運んであの池の中に入れてください」。イエス様は、病を癒すことのできる神様ご自身でいらっしゃる、神でいらっしゃる御方が目の前にいながら、「私を運んで行ってください。そしたら水が動いたときに治りますから」と、そのくらいにしか考えない。私たちがイエス様に求めていることは、案外そういうことかも知れないですね。神様!あれをこうしてください。これをああしてください。そうしたら、私は安心ですと言い続けている。

ところが、主は、それ以上に、それよりもっと素晴しいこと、今、生まれながらに歩けなくて、施しをこうていた人に、生涯施しを受けなくていいように、二度と物ごいをすることも、人に運ばれる必要もない者にしてくださる。これが私たちにも与えられている。それはどうやったら得られるか。ただ一つだけです。ここ6節にあるように「ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。歩くという言葉を「生きる」と言い換えてもいい。イエス・キリストの名によって生きる。私たちの一切を、イエス様のものとしてささげて、主の名によって生きる者となるのです。主のものと成りきって、これがキリストの名によって歩くことです。イエス様の十字架に一つとなって、自分を捨てて、イエス様にすべてをささげる。この地上にあって良いことも悪いことも、どんなことでも、自分の思いではなく、キリストのものと成りきって生きるとき、イエス様が私たちの力となって、すべてを満たしてくださる。

ここ7節にありますように「足と、くるぶしとが、立ちどころに強くなって、8 踊りあがって立ち、歩き出した」。これは素晴しい。私たちは人によって生きているのではない。あるいはこの世の何かの仕組みによって生かされているのではない。持ち運ばれたり、あるいは哀れみを受けて、施しの中で生きているのではない。主イエス・キリスト、イエス様を信じる信仰によって生きる者とされています。私は主のものです。主が今、私を必要としてくださる。私のために必要なものを備えてくださっていらっしゃる。その事を感謝して、喜んで、人に動かされない、世に倣わず、絶えず見えない主を見上げて、主にのみ従って行く生涯に生きる。私たちの歩みは、自分の足でしっかりと踏みしめて立つ歩みです。それは決して、自分の好きな所に出歩くための歩みではありません。

知恵ちゃんを見ているとそう思いますね。一、二ヶ月前までは、とにかく人に運ばれないといけなかったのです。ハイハイするまでは、とにかく抱っこですよ。でも神様は、素晴しいですね。抱っこして運んでやらなければおれないような笑顔を与えているのです。最近は自分で立って歩くようになる。そうすると、抱かれることを嫌がる。ほほえみもなくなるのです。これは不思議なものですね。自分で歩きだすと、顔つきが変わるのです。知恵が付いてきまして、自分の行きたいほうに行きます。こっちが連れて行こうと思っても、自分の行きたい所に、自分の意志で出て行きます。

この施しをこうていた人は、歩けるようになって自分の好きなようにしたか、と言うとそうじゃない。8節に「踊りあがって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神をさんびしながら、彼らと共に宮にはいって行った」。神様は、私たちを立たせ歩ませてくださるとき、「歩けるようになった。私はあそこに行きたい。神様のことを忘れて、あっちに走り、こっちに走り、秋晴れだ、行楽だ!」というのではない。彼は、踊り賛美し、神をほめたたえる。今まで歌ったことのない歌を歌い始めるのです。私たちもそうです。イエス様の救いにあずかって、賛美せざるを得ない。何か事ある度に、私どもは賛美し歌う。

数年前、福岡の教会を改装していた時、3時頃になると、工事関係の人が集まってくるのです。そこでいろんな話をします。教会の仕事をしているために、キリスト教のことは興味津々(しんしん)で尋ねてきます。たまたま、工事中に一人の教会員がお召されになりました。お葬式をしなければなりません。今日は作業を止めて、お葬式の準備をしますからと言うと、皆が手伝ってくれまして、みんなであちこちを片付けて「先生、これでいいですか」と奇麗にしてくれました。その後で、また集まって、お茶を飲みながら話をする。「キリスト教の葬式ではどんなことをするのですか」と、いろいろ質問されました。讃美歌を歌って、聖書を読んでと話しましたら、「ほう、人が死んだときに歌を歌うんですか」と驚かれる。それはよく尋ねられることです。キリスト教の葬式に行ったら、ちょっと変わっていた。大工さんの一人が、「親せきの者の葬儀があって、自分は一度行ったことがある。そしたら、お通夜の席で、ばあさんから子供まで歌っていた。あんなにうれしいことですかね」と。私は「いや、そうじゃない」と、お話をしました。死んだということは、確かに寂しいことであるけれども、神様の所に帰る。だから神様をほめたたえ、感謝するために歌うのです。死んだのが嬉しくて歌うのではない。そんなお話をして……。確かに私たちもそうですね。イエス様を知らなかったとき、讃美歌の「さ」の字も知らない。歌を歌ったこともない。せいぜい酒を飲んで、カラオケで歌ったことくらいでしょう。皆さんの若いころはカラオケもなかったでしょうから、歌うこともなかった。ところが、イエス様の救いにあずかって、歌が絶えない、賛美が絶えない生活にかわります。しかもその歌は、この世の流行歌や、ざれ歌ではなくて、神様を喜び、歌う讃美歌です。それによって、心が励まされ、力付けられる体験しているのです。

この生まれながらに、足のきかなかった男の人は、踊りあがって立ち、歩くほどに元気になった。しかし、自分勝手なことしたのではなく、「歩き回ったり、踊ったりして神をさんびしながら、彼らと共に宮にはいって行った」。彼は、今まで、宮の前に置かれていたのです。宮に背を向けて、道行く人々に顔を向けていました。宮の中に入ったことがない。なぜなら、入っても意味がない。彼にとって必要なのは、宮の外で集まってくる人にだけ用事があったのです。長い間、彼は神様のそばにいながら、そのことに気が付かない、宮に入れない生活をしていた。私たちも、かつてはそうでした。神様のことを知らないで、神様の宮に入ることができない。しかし、今は、こうやって宮に入り、主の臨在に近づいて、主をほめたたえ、賛美し、喜び、感謝し、踊ることができる。この人は、今までと方向がかわるのです。宮の前に来て、その門の所で、人に向かう姿勢でした。今度は向きが変わるのです。人を離れて、宮に入って行く者となる。これが救いです。彼の、前と後、その大転換を起こしたのは何か?「ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」、この一点です。私たちも今、この恵みにあずかっている者であります。イエス・キリストの名を信じて、イエス様のものとなりきっていく。イエス様が、私たち一人一人に、イエス・キリストという所有者の名前を貼りつけてくださる。

先だって洗礼式をさせていただきました。イエス様と一緒に十字架に死んで、葬られて、あの水の中からよみがえって、新しく生きる者とされる。それは、イエス・キリストの名を記された者。私たちが自分の持ち物に名前を書きます。そのように私たち一人一人、皆さんにイエス・キリストという名を書いてくださった。だから、朝起きて夜寝るまで、私は、キリストのために生きる、キリストのものです。当然、神様のほうに向くことになります。宮の中に入っていくものとなります。私たちはどういう救いにあずかったのか。今受けている救いがどんなものであるかを、はっきり自覚して、感謝し、キリストの名にふさわしく、日々を賛美し、喜び、感謝して生きる者となりたいと思います。

この大きな神様の御愛と恵みをしっかりと自分のものとして、施しをこうために、宮の入り口に置かれて、人にばかり向かっていた生活でなく、イエス様の名によって、自分の足でしっかりと立って踏み歩くものとなっている。6節にありますように「ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。主よ、私はあなたのものです。あなたの御心に従います、と心を定めて、先ずしっかりと主に信頼して、主の備え給う道を大胆に力強く歩もうではありませんか。

ご一緒にお祈りをいたしましょう。

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