☆・☆・☆富貴屋倶楽部☆

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◆ リスボンは、256年前に15m.の津波を伴う「リスボン地震」から 立派に復興している! 

2011年10月07日 | ▼平成二十三年東北地方太平洋沖地震
    ・イラストはA・ゴッドベイ「世界史のなかの大災害と恐怖」より
三菱総合研究所理事長(前・東京大学総長)の小宮山宏氏の記事で「リスボン地震」を初めて知りました。
1755年に西ヨーロッパで発生した津波を伴う大地震で、ポルトガルのリスボンで大きな被害を出したことから「リスボン地震」と呼ばれるそうです。
●ウィキペディア『1755年リスボン地震』より一部引用しますと、
『11月1日はカトリックの祭日(諸聖人の日)であった。
当時の記録では、揺れは3分半続いたというものや、6分続いたというものもある。
リスボンの中心部には5m幅の地割れができ、多くの建物(85%とも言われる)が崩れ落ちた。
生き残ったリスボン市民は港のドックなどの空き地に殺到したが、やがて海水が引いてゆき(引き波)、海に落ちた貨物や沈んでいた難破船が次々にあらわになった。
地震から約40分後、逆に津波(押し波)が押し寄せ、海水の水位はどんどん上がって港や市街地を飲み込み、テージョ川を遡った。
15mの津波はさらに2回市街地に押し寄せ、避難していた市民を飲み込んだ。
津波に飲まれなかった市街地では火の手が上がり、その後5日間にわたってリスボンを焼き尽くした。
当時リスボンは27万5千人の人口を数えたが、最大で9万人が死亡した。
リスボンの建物の85%は破壊され、宮殿や図書館、16世紀の独特のマヌエル様式の建築も失われた。
地震の揺れで壊れなかった建物や被害が少なかった建物も、火災で焼失した。
ヴァスコ・ダ・ガマら大航海時代初期の航海者たちが残した詳細な記録も王立文書館の建物と運命を共にした。
 津波が押し寄せる前、動物たちが高い土地へ逃げたという言い伝えがある。
これは震災に伴う動物の異常行動がヨーロッパで最初に記録されたものである。』
 とあります。
又、『これによりポルトガル経済は打撃を受け、海外植民地への依存度を増した。
ポルトガルでは国内の政治的緊張が高まるとともに、それまでの海外植民地拡大の勢いはそがれることとなった。』
 ともあります。
●しかし、復興に関して、今の日本の政治家達の、展望もない揚げ足取りの状況と大きく異なることがあります。
ウィキペディアによると、

『 宰相のセバスティアン・デ・カルヴァーリョ(後のポンバル侯爵)は王室同様に地震を生きのびた。
彼は地震直後「さあ、死者を埋葬して生存者の手当をするんだ」と命じたと伝えられる。
彼は、後年ポルトガルに君臨した時と同様の実用主義をもって、すぐさま救命と再建に取りかかった。
彼は消火隊を組織し、市街地に送って火災を鎮め、また疫病が広がる前に数千の遺体を処理せよと軍隊に命令した。
教会の意見や当時の慣習に反し、遺体ははしけに積まれてテージョ川河口より沖で水葬された。
廃墟の町に無秩序が広がるのを防ぐため、特に略奪を防ぐため、街の周囲の丘の上に絞首台が作られ、30人以上の人々が処刑された。
軍隊は街を包囲して強壮な者が街から逃げるのを防いだが、これにより廃墟の撤去に多くの市民を駆り出すことができた。
 震災から間もなく、宰相と王は建築家や技師を雇い、1年以内にリスボンから廃墟は消え、至るところが建築現場になった。
王は新しいリスボンを、完璧に秩序だった街にすることにこだわった。
大きな広場と直線状の広い街路が新しいリスボンのモットーとなった。
今では「麗しのリスボン」という。
当時、こんな広い通りが本当に必要なのかと宰相に尋ねた者もいたが、宰相は「いずれこれでも狭くなる」と答えた(現在のリスボンの交通混雑は、彼の知恵が現実になったことを示している)。
 当時、宰相の指揮下で建てられた「ポンバル様式建築」
は、世界最初の耐震建築でもある。まず小さな木製模型が作られ、その周りを兵士が行進して人工的な揺れを起こし、耐震性が確かめられた。
こうしてリスボンの新しいダウンタウン、通称「バイシャ・ポンバリーナ」(ポンバルの下町)が作られ、新興階級であるブルジョアジーが都市中心部に進出していった。
アルガルヴェ地方のスペイン国境付近にあるヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオなど、ポンバル侯爵のリスボン都市計画を応用して再建された都市はポルトガル各地にある。』
●復興で宰相のセバスティアン・デ・カルヴァーリョ(後のポンバル侯爵)が指揮した町並み「麗しのリスボン」の動画です。
2分頃から、直線の町筋・広場と、美しくて頑丈なボンバル様式の建物を見ることが出来ます。

             

●256年も前に、リスボンで成し得た事を、なんで日本は成し得ないのでしょう?
国会議員の方々、「烏合の衆」でない証拠に、与野党のシガラミを取り去り、「鳩首凝議」で、一日も早く復興の目途をつけて下さい。
被災者の方々の将来への不安・悩み・苦しみを取り除いてください。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-10-07 18:43:44
うまくFirefoxが使えるようになってもIEはそのまま残してくださいFoxにすると中にはうまく表示できないのがあります その際はIEで自動的に開いてくれるアドオンと言うのを導入しておく必要があります

リスボンはこういう町でしたか 初めて知りました こういうことも含めて外国の事は情報が少ない国ですね

国境の記事でリンク不良は直しました 機が付きませんでした

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目がショボショボ・・・ (よりばば)
2011-10-07 21:17:10
 Firefoxに関して、いろいろ読んでみてるのですが、目と頭がついていけません。
まだ時間はあるので、毎日少しずつ理解しようと思います。お墨付きなので、安心して利用します。
 こういう危機の時は、独裁的というか、有能な個人がいると処理・決断が早いですね。
ポンバル侯爵の霊が野田総理に降りて欲しいです。 
 
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