![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/ad/5a5238adb54ab14ec07f34dae02a17e3.jpg)
(↑ここにいるのが 家猫 さくら です。)
11日は母の月命日。お寺さんに回向に毎月おいでいただいています。
28年前の新築の際、一階を道場にしたため、どうしても居住部分が狭くなり、お仏間を割愛。
お寺さんにおいでいただく日には、一部屋の物全てを別室へ押し込め状態に移動して、急ごしらえのお仏間にしていたのですが、孫二人も増え、物が多くなり、移動させるのも大変になり、今回から「パソコン室」兼「独立してる長女の帰宅した時の部屋」兼「家猫 さくら の部屋」 をきれいに整理して、お仏間としても使用することにしました。
徹夜状態できれいにし、お寺さんを無事お迎えすることができました。
お経の途中で部屋に帰ってきた さくら。
なんと読経中のお寺さんの真後ろにオトナシク座り、あたかも私たちと一緒にお参りしているようでした。
涅槃絵には通常描かれず、十二支にも加えてもらえなかった 猫 ですが、信仰心はあるようです。
”釈迦涅槃絵 と 猫”について 検索して調べてみました。
自らの死期を悟り沙羅双樹の根元に横たわったお釈迦様の下には、その死を悲しんで多くの人や動物が駆けつけました。
その時の様子を絵にしたのが、釈迦涅槃図 と呼ばれる仏画。
危篤を知った動物たちが集まる際、一番にそれを知った牛が道すがら色々な動物に声をかけます。
二番目に仲間に加わったねずみが日頃の諍いがもとで猫には声をかけないように働きかけました。
何も知らされなかった猫はお釈迦様のもとへいくのが遅れ大変なお叱りを受けたとか。
そのため、涅槃図には猫の姿が描かれないことが多いのだそうです。
また、猫はその時「顔を洗って出直して来い」と叱られ、それで今でも四六時中顔を洗っているのだとか。
又、十二支の順番を決める際、最初にたどり着いた牛を飛び越してお釈迦様のそばに駆け寄ったねずみが一番、
その次が牛、続いて虎……
そして、猫はねずみに違う日時を教えられたので間に合わず、干支から漏れたのだとか。
ちなみに、2月15日は涅槃会(ねはんえ)。
涅槃講や涅槃忌とも称し、陰暦2月15日の80歳のお釈迦様の入滅(にゅうめつ)の日で、
涅槃図を掲げて、お釈迦様の遺徳追慕と報恩のための法要の日だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/bb/82678599a0eaf8520895ac34e8b3647f.jpg)
↑当方の菩提寺・実成寺さんの隣の 妙永寺さん(加藤清正公のご母堂の菩提寺)の寺宝の涅槃図↑
正保2年(1645年)作。大きさ縦二間・横三間の掛け軸。
筆を執っていた3年3ケ月の間、そばを離れなかった 猫 を不憫に思い書き加えたと伝えられているそうで、隅っこに描かれているはずです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●以上 諸説があり、「お釈迦様が猫をお嫌いだった」とさえも。
しかし、これは!という根拠にであいました。マヌの法典 です!
その マヌの法典 にであったのは、ブログ・猫の動物学~猫の種類と習性 と ブログ・猫の病気 ライフnetです。
インドで 猫について書かれているのは、マヌの法典 が最初で、その法典が書かれたのは、紀元前2世紀~紀元後2世紀とか。
しかし、お釈迦様のご在世は、紀元前463年 - 前383年、前560年 - 前480年、前624年 - 前544年、等々)!!!
なんと、お釈迦様がご入滅の頃、猫はインドに 居なかった、と推測できるわけです。
たぶん、当時貴重な経典類は鼠害で、ボロボロにされることが多かったと推測されます。
その憎いはずの ねずみ を 涅槃図に描き込んだところに、仏教徒の優しさを感じますし、
日本の僧侶や絵師が 涅槃図を描くときに お手本の絵図にはないのに、それぞれの思いで 猫 を描き加え、
それにふさわしい伝説を作り出し、猫に 存在価値をあたえたのも、仏教徒の優しさ、思いやりだと思います。
11日は母の月命日。お寺さんに回向に毎月おいでいただいています。
28年前の新築の際、一階を道場にしたため、どうしても居住部分が狭くなり、お仏間を割愛。
お寺さんにおいでいただく日には、一部屋の物全てを別室へ押し込め状態に移動して、急ごしらえのお仏間にしていたのですが、孫二人も増え、物が多くなり、移動させるのも大変になり、今回から「パソコン室」兼「独立してる長女の帰宅した時の部屋」兼「家猫 さくら の部屋」 をきれいに整理して、お仏間としても使用することにしました。
徹夜状態できれいにし、お寺さんを無事お迎えすることができました。
お経の途中で部屋に帰ってきた さくら。
なんと読経中のお寺さんの真後ろにオトナシク座り、あたかも私たちと一緒にお参りしているようでした。
涅槃絵には通常描かれず、十二支にも加えてもらえなかった 猫 ですが、信仰心はあるようです。
”釈迦涅槃絵 と 猫”について 検索して調べてみました。
自らの死期を悟り沙羅双樹の根元に横たわったお釈迦様の下には、その死を悲しんで多くの人や動物が駆けつけました。
その時の様子を絵にしたのが、釈迦涅槃図 と呼ばれる仏画。
危篤を知った動物たちが集まる際、一番にそれを知った牛が道すがら色々な動物に声をかけます。
二番目に仲間に加わったねずみが日頃の諍いがもとで猫には声をかけないように働きかけました。
何も知らされなかった猫はお釈迦様のもとへいくのが遅れ大変なお叱りを受けたとか。
そのため、涅槃図には猫の姿が描かれないことが多いのだそうです。
また、猫はその時「顔を洗って出直して来い」と叱られ、それで今でも四六時中顔を洗っているのだとか。
又、十二支の順番を決める際、最初にたどり着いた牛を飛び越してお釈迦様のそばに駆け寄ったねずみが一番、
その次が牛、続いて虎……
そして、猫はねずみに違う日時を教えられたので間に合わず、干支から漏れたのだとか。
ちなみに、2月15日は涅槃会(ねはんえ)。
涅槃講や涅槃忌とも称し、陰暦2月15日の80歳のお釈迦様の入滅(にゅうめつ)の日で、
涅槃図を掲げて、お釈迦様の遺徳追慕と報恩のための法要の日だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/bb/82678599a0eaf8520895ac34e8b3647f.jpg)
↑当方の菩提寺・実成寺さんの隣の 妙永寺さん(加藤清正公のご母堂の菩提寺)の寺宝の涅槃図↑
正保2年(1645年)作。大きさ縦二間・横三間の掛け軸。
筆を執っていた3年3ケ月の間、そばを離れなかった 猫 を不憫に思い書き加えたと伝えられているそうで、隅っこに描かれているはずです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●以上 諸説があり、「お釈迦様が猫をお嫌いだった」とさえも。
しかし、これは!という根拠にであいました。マヌの法典 です!
その マヌの法典 にであったのは、ブログ・猫の動物学~猫の種類と習性 と ブログ・猫の病気 ライフnetです。
インドで 猫について書かれているのは、マヌの法典 が最初で、その法典が書かれたのは、紀元前2世紀~紀元後2世紀とか。
しかし、お釈迦様のご在世は、紀元前463年 - 前383年、前560年 - 前480年、前624年 - 前544年、等々)!!!
なんと、お釈迦様がご入滅の頃、猫はインドに 居なかった、と推測できるわけです。
たぶん、当時貴重な経典類は鼠害で、ボロボロにされることが多かったと推測されます。
その憎いはずの ねずみ を 涅槃図に描き込んだところに、仏教徒の優しさを感じますし、
日本の僧侶や絵師が 涅槃図を描くときに お手本の絵図にはないのに、それぞれの思いで 猫 を描き加え、
それにふさわしい伝説を作り出し、猫に 存在価値をあたえたのも、仏教徒の優しさ、思いやりだと思います。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:neOSxoIsceYJ:plaza.rakuten.co.jp/junko23/diary/200909060001/+%E6%B6%85%E6%A7%83%E5%9B%B3%E3%81%AB%E6%8F%8F%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%8C%AB&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&client=firefox-a&source=www.google.co.jp
続・たそがれ日記 というブログらしい。
書き込んだには、いろんな説があるようですが 猫も生き物 区別してはいけないと言うのが仏教らしかったですね。
年代が古いのと、仏画を描く時にはニカワ(獣から作るから)を使わないので剥落が酷く、現物をじっくりと拝観させていただかないと、どこに猫がいるのか分かりにくいですね。なぜ猫を描かなかったのかの理由は調べると面白いかも。
「日本の仏教は仏教であって仏教でなく、万物に生命があるという自然崇拝と混合した、生きるものにやさしい仏教」
いつまでも、そうあって欲しい。
「南泉斬猫」という禅宗の「公案」があることを知りました。
http://www.asahi-net.or.jp/~zu5k-okd/house.14/mumonkan/gate.7.htm
で、
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/832991.html
にも。
禅問答の難解さを、解説してくれています。
理解しようと読み返しています。