☆・☆・☆富貴屋倶楽部☆

高齢者の目から見た、身の回りの出来事を、
そこはかとなく書き連ねました。

◆ 日本国 って山があるんです!

2013年05月04日 | ▼情報
《 新潟県と山形県にまたがる山「日本国」(標高555メートル)の山開きの5月5日に合わせ、新潟県などが「日本国征服証明書」と題した登頂証明書の発行を企画したところ、批判が寄せられ、新潟県は3日夜、名称を「日本国登頂証明書」に変更すると発表した。》
とのニュースで、日本国 という壮大な名前の山の存在を知りました。
(山形側では、石鉢山(いまくさやま)と読んでいます。)
☆ 地名の由来 ☆
……………………………………………………………………………………………
 新潟県山北町と山形県温海町との県境、
日本海から立ち上がり、朝日連峰に連なる 稜上に「日本国」というかわった名前の山がある。
「日本国山」ではなく、まさに「日 本国」である。
山頂に立つと、月山・鳥海山・朝日山地・飯豊山地・粟島・佐渡島など 、四方の山や島々が展望できる絶景でもある。
 この山の名前を、なぜ日本国と言うのだろうか。この山の名前の由来には諸説がある 。
鎌倉時代、幕府に追われた皇子が、この山に隠れ住んだとか、
江戸時代に狩の名人が みごとなタカを生け捕り、これを見た徳川家光が「捕れた山は今後、日本国と名づけよ 」といったとか、
大和朝廷が、この辺まで蝦夷勢力を平定し、ここまでが日本国といわ れたともいう。
この第三の説は、羽越本線中条駅から北西7キロの日本海沿いに発達した砂丘内陸側に 乙(きのと)集落がある。この地名は、大化改新直後、東北経営の有力な前進基地とし て築造された柵戸(きのへ)が転化してつけられたと推定されている。
この村の中心に は天平8年(736)、行基の開基といわれる真言宗の名刹乙宝寺(おつぽうじ)がある。  この寺に「釈迦の左眼」の伝説がある。仏のお告げにって安元2年(1176)、六角堂 の地下を発見したとされ、その時、発見された現物が宝物として保存されている。
当時大和朝廷は国家の統一を期し、武力によって蝦夷の反乱に対応する方策を取ってい たが、さらに仏法によって蝦夷の懐柔策として国分寺以前に建立したのが乙宝寺である 。
 古代日本の最果ての地である越後の北端に、由緒ある寺と文化財が作られた。
この地方 が東北蝦夷地と古代日本のフロンティアだったと想像される。
そこで大和支配圏と東北 蝦夷との国境であるこの地点に「日本国」の名称がつけられたといわれている。 (新潟県の不思議辞典より)
 山なのに 山・岳・丘とも呼称されないってそれなりの由来があると判断すると、三番目の説に説得力があるような気がします。
蝦夷地ではなく、「ここは、日本国だぞ」との古代の人の強い思いが溢れている気がします。
 

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ◆ 乗車中に車ごと雪に埋没し... | トップ | ◆ 宇宙飛行士ガガーリン大佐... »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (リュウ&フー&ミー)
2013-05-06 01:37:16
征服出なくてよかったですね
中国人が喜んで 征服証明書をとるために来たでしょう。しゃれにもなりません。
返信する
ほんとですよね。 (よりばば)
2013-05-06 08:34:34
 批判する正常な判断の人々がいてよかった。
地元には「日本国を愛する会」という、山の日本国の支援団体があるのも、外国に誤解されそうに思えますが…。
返信する
Unknown (ライザンドライ)
2013-07-22 15:45:07
はじめまして、ライザンドライと申します。突然ですいませんがこの記事を参考・引用文献としてコピーしてもよろしいでしょうか。転載はせず、個人的な理由で使用するので安心してください。
返信する
Unknown (ライザンドライ)
2013-07-23 11:15:54
コメントありがとうございます。自分山形県民なんですけど知らなくて、ほかにも聞いたことがない地名がいっぱいありそうです。。。山形は。
返信する

コメントを投稿