![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/47/cc5e5ff8a26af1f2ef642efcfad7ee91.jpg)
中坊公平氏が死去…整理回収機構社長など務める
読売新聞 5月5日(日)18時47分配信
日本弁護士連合会(日弁連)会長や整理回収機構(RCC)社長などを務めた元弁護士の中坊公平(なかぼうこうへい)氏(京都市東山区)が3日午前8時5分、入院先の病院で心不全のため亡くなった。
83歳だった。葬儀は5日、親族のみで行われた。喪主は妻、淳子さん。
京都大法学部を卒業し、1957年に弁護士登録。84年に大阪弁護士会会長となり、90年から2年間、日弁連会長を務めた。
この間、粉ミルクにヒ素が混入し、乳幼児に多大の障害が生じた「森永ヒ素ミルク中毒事件」の原告弁護団長として被害者救済に尽力。巨額詐欺事件「豊田商事事件」では破産管財人を務めた。93年以降は、香川県・豊島の産業廃棄物問題で、住民側弁護団長として解決に東奔西走した。
96年には、破たんした旧住宅金融専門会社(住専)から引き継いだ債権の回収に当たる住宅金融債権管理機構の社長に就任。「国民に二次負担をかけない」を合い言葉に債権回収に当たった。しかし、99年に同機構から改組されたRCCの社長を退任した後、社長時代に不適切な回収業務があったことが発覚。2003年10月、大阪弁護士会に退会届を提出し、廃業した。
心から ご冥福をお祈り申しあげます。 以上 追記2013年5月5日
ブログ「研究のための覚書」http://lagrime.exblog.jp/6442784/
によると
【中坊公平氏が復帰断念、弁護士再登録申請を取り下げ 2007年 07月 05日
今、どうされているんだろうと思っていました。"法"の本来の有り様を、法曹界で示してくださるとよかったのに。結局、法も道徳も変わらないということになるではないですか。
*
7月5日19時0分配信 読売新聞
日本弁護士連合会の元会長で、旧住宅金融債権管理機構(住管機構、現・整理回収機構)社長当時の不適切な債権回収の責任を取り弁護士を廃業した中坊公平氏(77)が5日、大阪弁護士会へ今年3月に出していた弁護士再登録申請を取り下げた。
中坊氏は「弁護士会を混乱させ、迷惑をかけるのは本意ではない」などと、申請から取り下げに至った心境を明かしたコメントも公表した。
中坊氏は住管機構社長だった1997~98年、担保物件の土地の抵当権を不正に抹消させたとして東京地検特捜部に詐欺容疑で取り調べを受けたが、不起訴処分(起訴猶予)となり、2005年11月に廃業した。
この日のコメントで、中坊氏は申請した理由について、「廃業後の忍辱の日々の中で、弁護士に戻って依頼者の相談を受けたりしながら人生の最後を送りたいと切実に思うようになった」と述べた。申請を取り下げたことについては、「再登録申請が弁護士会に厄介な問題とされていることがわかった。再び使い慣れた事務所の机に座ることが夢だったが、これを断念することにした。今はとてもさみしい気持ち」との心情を明らかにした。】
昨夜、運よく、あの【中坊公平氏】の【今】を伝える番組をみることができました。
森永砒素ミルク事件・豊島ゴミ不法投棄事件・住宅金融債権管理機構の債権回収などの処理で、常に弱者目線を貫かれ、尊敬してました。
住宅金融債権管理機構の債権回収に関して、部下の一部の不正の責任をとって潔く辞任、弁護士バッチも返上に、己の生き方を貫かれる方だと尊敬の念を深めていましたが、昨夜の特集によると、自称【忍辱】の日々をお過ごしとの事でした。
チヤホヤと担いだ人々にとって【肩書き・バッチのない中坊公平氏】は、ただの人に過ぎなく、弁護士会の中でさえ、復帰反対の声があり、混乱をさけての弁護士復帰断念だったようです。
【肩書き・バッチのない中坊公平氏】を、美しく甦った島に招待し心の傷に思いやったのは、豊島の人々でした。
中坊公平氏も80歳。【忍辱】の日々とのことですが、本来の【忍辱】は
●他を恨まず苦難を耐え忍ぶことで、感情に走らず邪念を起こさないことです。忍辱は、はずかしめを堪え忍ぶことですが、辱めを自我の堪忍袋に入れるのではなく、「空性」なる無我の堪忍袋に入れてとらわれることなく「今」に身を置く、忍辱によって自分を磨き上げる。堪え忍んでこそ感性も高まる。自らの恥を見据えて自分を向上させたいものです。●とあります。
まだまだ、【生身の人間・中坊公平氏】!
バッジ・肩書き なくても市井では頑張っている人々はいます。なんの評価も期待せずに…。
今まで、エリートコースを順調に歩いてきての初めての挫折。それが老年期であったために、心の傷も大きいのでしょうか。
自分の信念を引き継ぐ後輩育成には、バッチ・肩書きは不要だと思います。
フツフツと煮えたぎる思いを、後輩育成におかけいただけたらと切に思います。
●2012年5月 追記(頂いたコメントで 講演を知りましたので掲載します。)
▼青少年アンビシャス運動フォーラム講演録
「金ではなく鉄として-私の生い立ちから-」
弁護士 中坊 公平
平成14年8月31日
電気ホール(福岡市中央区渡辺通)
と思いますがそういう考えにはならないのでしょうね。どこか土光さんと似ているような気がしますがしっかりその精神は引き継がれるでしょう。
故筑紫哲哉さんは、大学の自分の講義にゲストとして呼んでいらっしゃいました。
勿体無い逸材です。逸材なだけに、煙たく思い復帰を阻む力があるのでしょう。
”忍辱”などと言わず、戦って欲しい。
元の自分の弁護士事務所には、今も中坊公平氏の場所があり、使いこまれた署名入りの英語の辞書が置いてあるそうです。
最近メディアで目にすることがないのでお体でも悪くしたのかとネット検索してみて、近況を知り少々驚きつつもご本人らしい身の処し方だなとますます考えさせられてしまいました。
80歳というご年齢を考えますと、共に付き添われた奥様との時間を大事にしてほしいという思いもありますし、そのなかでも、可能であるなら後輩の育成というものもお願いしたいものです。
いずれにせよ、中坊さんの功績は時が経とうと風化させてはいけない国の教訓が濃密に籠められているとすくなくとも私は思っています。
いろんな意味で、人生経験が豊富な方ですね。
ウィキペディアには辛らつな事、隠しておきたいことまで書かれています。
私も後輩の育成を是非…と思うのですが…。
を歩まれたのですね。
弁護士界は、なぜ中坊氏を切り捨てたんでしょう・・・。
弱者の味方として、活動していただきたかった・・・。
その事は、既得権者にとっては、煙たい存在なのでしょうか。
を指示した責任を取って弁護士を辞められたようですが、これはそうすることでしか回収の実を上げられなかったわけであり、ひとえに国民の税金投入額を軽減させる目的で取られた苦渋
の決断であり、私は全面的に支持します。
時の政府が三顧の礼をもって当職に就任していただいた方に対しあまりにも情けない政界・司法界の対応に憤りを禁じえません。