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神戸連続児童殺傷事件 別名『酒鬼薔薇事件』 1997年

2010-10-31 00:57:30 | 日本ニュース(事件)

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血の味を覚えた犯人はまともな生活が送れるのか?

一部抜粋
ビニール袋に溜まった男児の血を飲む。
これは死体にまだが残っているためだと考え、魂を取り出すため死体損壊。
風呂場でタライの中に立てて置いた男児の首を洗う。

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神戸連続児童殺傷事件(こうべれんぞくじどうさっしょうじけん)は、1997年(平成9年)に兵庫県神戸市須磨区で発生した当時14歳の中学生(以下「少年」と称す)による連続殺傷事件。別名『酒鬼薔薇事件』『酒鬼薔薇聖斗事件』とも呼ばれる。この事件で、2名が死亡し、3名が重軽傷を負った。

事件の経緯
 1997年02月10日  女児2人が,何者かにハンマーで殴打される.
 1997年03月16日  山下彩花ちゃん(当時10歳)殴られ重体に(23日に死亡). 小3女児刺される
 1997年05月27日  土師(はせ)淳君(当時11歳)の死体発見 
    ※神戸市須磨区の市立友が丘中学正門前で頭部が発見される
 1997年06月28日  逮捕(加害者は、大方の予想をはずれ14歳の少年Aであった)
 1997年10月17日  神戸家裁、少年Aの審判決定 (関東医療少年院に収容)
 2001年11月17日  東北少年院(中等少年院-集団生活)へ(1年間)
 2002年07月12日  加害者20歳になるが、収容継続(04年12月31日まで)決定
   ※通常、少年院の収容期限は20歳まで
 2002年11月  関東医療少年院へ戻る
 2004年03月10日  関東医療少年院を仮退院

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http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200705suma/01.html

須磨連続児童殺傷事件 
「少年A」後の10年 -保護と処罰の間で (2007/05/24)神戸新聞

1.育て直し   真の更生求め模索/再犯率2割理想と現実

 
 「元気でやります。お世話になりました」

  関東医療少年院(東京都府中市)の門前で、杉本研士院長=当時=(67)は、二十一歳になった「少年A」と握手を交わした。二〇〇四年三月の仮退院の日。Aは、柔らかい笑顔を見せた。

  神戸家裁の医療少年院送致の決定から約六年。杉本元院長はAを間近で見続け、定年を迎えた。「最後は普通の青年だった」と断言するほど、更生に手応えを感じていた。

  Aに初めて会ったのは、一九九八年四月だった。約一年前に世間を震かんさせたAは、ひどく疲弊していた。緊張した様子で、周囲の人間を敵視。笑顔はなく、挑戦状どおりに、「人間は野菜と同じ」と言い放った。

  心を閉ざすAを更生させるため、院内の医療、教育部門から職員を集め、初めて特別処遇チームを作った。スタッフによる疑似家庭の中、愛情でくるみこんで育てる。家庭で不足していたものを与え、ゆがんだ考え方を変えていく“育て直し”だった。

  スペイン人のマヌエル・エルナンデス修道士(76)は、教誨師(きょうかいし)としてAにかかわった。風呂に入ろうと廊下を歩くAに、「How are you(ご機嫌いかが)?」と声を掛けられたことがきっかけで、一対一での対話が始まった。なぜ自分が少年院にいるのか。その理由を探させた。

  二年後、Aは母親役の女性医師に信頼を寄せ、心を開き始めた。自殺の心配もなくなり監視カメラのない部屋に移った。被害者の命日に手紙をつづり、遺族の手記を読み返す。何度も反省文を書き、謝罪の意識を深めた。強い攻撃性は消え、性的異常も収まった。

  当初「死にたい」としか言わなかったAが、こう口にした。

  「生き抜いて、生涯を費やして償いたい」

  全国に五十三カ所ある少年院には、約四千四百人が収容されている。心身に専門的な治療を必要とする少年が対象の医療少年院は、関東のほか、神奈川、京都、宮川(三重県)がある。

  Aの事件後、少年院では、重大事件を起こした少年を専門的に処遇する「G3」課程が設けられた。植物栽培など「生命尊重教育」や、社会に戻ってからの生活設計を立てる「保護関係調整指導」に力が入れられた。

  特に強調されたのが「被害者の視点を取り入れた教育」だった。

  ひょうご被害者支援センター理事の高松由美子さん(52)は、その一環として、岡山、四国少年院などで講演を続ける。兵庫県稲美町の集団暴行事件で長男を奪われた母としての悲しみと、犯罪被害者としての苦しみを伝え、再び罪を犯すことのないよう呼びかける。

  流れる涙をぬぐうことなく聞き入る少年たち。両手をひざに置いたまま、まっすぐな視線を向けてくる。「どうやって謝ったらいいのか」と不安をぶつけてくることも。

  高松さんは実感した。「どこまで話すか難しいが、意味はある」

  「どんな非行少年も育て直しは可能」とする杉本元院長。約三十五年間、重大事件を起こした数多くの少年を更生させてきた。だが、一人だけ再び殺人を犯した、と打ち明ける。

  本当の更生とは何か。育て直しという理想。少年院を出た少年の再犯率は二割を超える現実。そのはざまで模索が続く。

 
 
連続児童殺傷事件 
1997年2月から5月に、神戸市須磨区で小学生ばかり5人が襲われ、小学4年の山下彩花ちゃん=当時(10)=と同6年の土師淳君=当時(11)=が殺害された。「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」を名乗る犯人から犯行声明文が遺体とともに見つかり、兵庫県警は、当時中学3年の少年(14)を逮捕。少年は関東医療少年院に収容され、2005年に本退院した。



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 http://pii-desu.hp.infoseek.co.jp/koubejiken.htm


毎日新聞より(04年3月10日13時29分)
 「生涯を費やして(罪を)償います」―14歳だった97年に児童2人を殺害。残忍な手口と「酒鬼薔薇(さかきばら)聖斗を名乗った挑戦的な犯行声明文で世間を震撼(しんかん)させた男性(21)は、約6年5カ月に及んだ関東医療少年院(東京都府中市)などでの治療・教育の結果、悔悟の念を口にするようになったという。当初、「更生は不可能ではないか」と危ぶむ一部の声に、法務省は威信をかけた更生プログラムを作成。スタッフは、親にも似た温かい愛情を注ぎ続けたとされ、その成果に自信を見せる。受け入れる社会も、その有りようを改めて問われることになる。

 男性が、仮退院後の生活を思い浮かべたことがある。02年6月、東北少年院(仙台市)で職業訓練をしていた時だ。

 「突き当たり(囲い)の無い所を歩いてみたい」と言った後、男性はこう話したという。「家族や親せき、弁護士などで頼りたいと思う人はいません。許されるなら(関東医療)少年院の先生たちとは手紙を書くなどのつながりを持ちたい」

 精神状態、家庭との関係、遺族への償い……。課題は山積している。男性の話を聞いた関係者は「自分なりに一つ一つ考えてはいるが、具体的にどう対処するのか(課題を)突きつけられると困惑しているようだった」と分析した。しかし、心は揺れる。男性は03年には「自分の周りには見守り助けてくれる人がたくさんいることに気付いた。率直にならなければ……」と自分に言い聞かせたという。

 男性が少年院で受けた更生プログラムは「原則2年以内。延長は1年のみ」という、これまでの少年院処遇期限を撤廃した5年半という異例の長期計画だった。

 入院当初、「人間は野菜と同じ」という事件当時の価値観は変わらない。一方、自分が殺害した児童の姿が見える幻覚に襲われ、「とり殺される」と脅えた。犠牲になった児童の法要に参加せず、両親との面会も拒む日々が続いた。

 転機は、99年夏。「自分が壊れる」と異常体感を訴えたのを最後に、安定に向かい始める。特定の女性スタッフに対し「僕の理想の母」と、心を開くようになったのがきっかけだった。関係者は「成長期に飢えていた親の愛に触れたのでは」と分析する。

 贖罪(しょくざい)教育のプログラムは、98年に始まっていた。00年1月、土師淳君(当時11歳)の父守さん(47)が書いた「淳」を、翌年2月には山下彩花さん(同10歳)の母京子さん(48)の「彩花へ―『生きる力』をありがとう」を読み、遺族の現実を突きつけられた。「夢を持っても幸福になってもいけない。一生苦しみ続けていく」と語ったという。

 仮退院した男性は「自分を守るため」名前と経歴を変え、住所地も明らかにされないだが、入院中に自分の決意を作文にこうつづった。

 「人の目を逃れるような生活を改めたい。被害者に対する罪をどう背負うかというつらい現実が待っているが、逃げずに一生懸命続けていく」

  http://www.excite.co.jp/News/society/20040310132900/20040310E40.052.html?cobrand=hi-hoより


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信濃毎日新聞社社説(04年3月12日)より
 犯行の背景に、加害男性の反社会的な人格や性的サディズムなどが指摘されていた。六年半近い医療と教育を通じ、これらが改善されたと関東地方更生保護委員会は仮退院の決定理由を述べている。

 本当にそうなのか、事件の重大さを踏まえれば反論はあり得る。遺族ならばなおさらだろう。

 「確実な矯正教育がなされたと信じたい半面、あれほどの行為をして、わずかな期間で人間の心を取り戻したのかとの疑問を感じる」という談話には癒やしがたい悲しみ、仮退院への割りきれなさがにじむ。

 今度の決定はそのまま社会復帰を認める「ゴーサイン」ではない。将来の自立に向け、適応力が日々試される。困難な外部世界の入り口にようやく立つにすぎない。

 男性は当初の自暴自棄や孤立した状況から、周囲の支援を得て徐々に心を開いてきた。被害者の苦しみを受け止め、自らの犯した行為と向き合うことで、贖罪(しょくざい)意識が生まれてきたという。

 むしろ、いばらの道の連続を覚悟せざるを得まい。「一生償いたい」と重荷を背負う決意をするまで、人間的に一定の成長があったと認めることで償いを可能にする道が開く。

 厳罰化へ改正されたとはいえ、少年法は非行少年の健全育成を目的にしている。やり直しの機会を与える法の精神に基づけば、更生の歩みを拒まず、社会の一員として進む余地を整える度量が求められる。

 男性の近況や素性を興味本位にあげつらうようなことがあってはならない。被害者や保護育成に従事する関係者をも傷つけかねない。

 今回、法務省は仮退院を遺族らに通知するとともに、一般にも公表した。事件の社会的影響を考慮したためと受け取れる。プライバシーを守りつつ、可能な範囲で情報を公開していくことは複雑化する少年犯罪を多角的に究明するのに役立つ。今後も柔軟な対応が肝心である。

 http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou04/0311ke18820.htmlより
 


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2 コメント

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少年少女犯罪忘れた頃に (ゆり)
2013-06-28 02:48:44
あの神戸の酒鬼薔薇聖斗元少年と同じたれでも本当はよかった最年少長崎の小学生リンチ酒鬼薔薇聖斗と同じ関東医りよう少年院に小学生で少院にはなぜ医りよう少年院他所の国は少年院に入るは8-17才日本は確かに小学生は6年生はあの長崎の9年前の少女が初めて今もまだ入っていると少年犯罪の語りは誰でもいいからゲーム感覚必ずお仕置きした酒鬼薔薇聖斗元少年と同じ理由(わけ)なぜ年少者は医りよう少年院なの不思議
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本当は (ゆり)
2016-12-19 15:01:54
酒鬼薔薇聖斗入る少年院は京都医療少年院だっただけど近いと困ると先生が酒鬼薔薇聖斗の父兄がもっと遠くの医療少年院へと裁判所に前代未聞の関西から関東医療少年院夕方に付く丸1日かけて新幹線使うより飛行機使うよりバスで 丸1日かけて高速使う本当前代未聞のごそうニユースは本当に京都医療少年院と大きくでも関東医療少年院へ驚く噂見てみたいと皆保護室をと耳に
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