<お出かけ先>歌舞伎座(三月大歌舞伎 昼の部)
<着物>薄緑色の無地結城紬+白地の小紋羽織
<帯>黒地に貝合わせの柄の塩瀬帯。お太鼓部分の柄はこちら
貝合わせの柄や貝桶の柄は、今では季節を問わずお祝いの場などに用いられることも多いようですが、本来は「雛の節供」を表す柄なので、新暦の雛まつり(3月3日)の少し前から、旧暦の雛まつり(4月3日ごろ)までの間に用いるのが最適です。
<帯揚げ>ピンクに緑色のぼかしが入った綸子(りんず)
桜の時期が近づいたので、桜を連想させる色、素材の帯揚げにしました。
<帯締め>桜色の冠(ゆるぎ)組
三月大歌舞伎は、十三世片岡仁左衛門十三回忌追善興行でした。
十三世片岡仁左衛門丈は、片岡我當丈、片岡秀太郎丈、当代仁左衛門丈のお父様です。
追善興行にふさわしく、昼の部では、「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の「道明寺(どうみょうじ)」、夜の部では「近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてひき)」と、十三世の当たり狂言が演じられました。
昼の部の「道明寺」では、十三世の当たり役だった菅丞相(かんしょうじょう:菅原道真のこと)を仁左衛門丈が演じました。
菅丞相の危機を救うため木像が姿を変えた菅丞相と、人間の菅丞相を演じ分けるのです。
十三世は、菅丞相を演じるときは、牛肉を一切食べず、お酒も控え、遊びにも行かなかったそうです。菅丞相の品格を表すためには、内面から律して役づくりをしなければならないというお考えからのようです。
当代の仁左衛門丈も、お父様の遺志に沿ってこの役に臨まれたようです。
娘との別れを惜しみながらも、悲しみを隠して泰然と太宰府へ旅立っていく菅丞相の姿が心を打ちました。
覚寿を演じる中村芝翫丈、立田の前を演じる片岡秀太郎丈の風格と存在感もすばらしかったです。
情感たっぷりの義太夫も、お芝居をより一層引き立てていました。
昼の部のほかの演目は、「吉例寿曽我」と「吉野山」です。
「吉例寿曽我」では、「石段」の場から「大磯曲輪外」の場への場面転換が大きな見どころでした。
石段の大道具が、片岡進之介さんと片岡愛之介さんを乗せたまま後ろにゆっくりと倒れていくのです。倒れきると、それまで石段の底辺になっていた部分が地面と垂直になり、壁になります。こういった仕掛けを「がんどう返し」といいます。
そして、舞台のセリに乗って「大磯曲輪外」の登場人物が出てくるのです。
「大磯曲輪外」も、我當丈、芝雀丈、翫雀丈、信二郎丈、吉弥丈をはじめとする豪華な面々で、とても華やかな舞台でした。
石段が後ろに傾いていく間、進之介さんと愛之介さんはずっと石段の上に立っているのです。楽に立っているように見えますが、後ろに向かって倒れていく石段の上でふんばっているのですから、相当な力が必要だと思います。役者さんって体力勝負なんだなあ……と尊敬してしまいます。私だったら、あっという間に後ろにコロコロ転げ落ちてしまいそうです(笑)。
こういった舞台転換は、まさに「歌舞伎ならでは」だなあ……と思います。
この日座っていた席は、2階席最前列の真ん中、いわゆる「天覧席」だったのですが、石段が上がっていくところで、愛之介さんがちょうど目線の高さに来て、迫力も倍増しました。
「吉野山」は、狐忠信を松本幸四郎丈、静御前を中村福助丈が演じました。
幸四郎丈のダイナミックかつ端正な踊りと福助丈のしっとりとした踊りで、美しく品格のある「吉野山」に仕上がっていたと思います。
東蔵丈の軽妙かつ技量ゆたかな踊りも、舞台に大きな華を添えていました。
「吉野山」が終わった後の弁当幕では、開演前に売店で買っておいた「柿の葉寿司」を食べました。お芝居とお弁当で吉野山に行った雰囲気を味わえて、なんとなくうれしい気分になりました。
<着物>薄緑色の無地結城紬+白地の小紋羽織
<帯>黒地に貝合わせの柄の塩瀬帯。お太鼓部分の柄はこちら
貝合わせの柄や貝桶の柄は、今では季節を問わずお祝いの場などに用いられることも多いようですが、本来は「雛の節供」を表す柄なので、新暦の雛まつり(3月3日)の少し前から、旧暦の雛まつり(4月3日ごろ)までの間に用いるのが最適です。
<帯揚げ>ピンクに緑色のぼかしが入った綸子(りんず)
桜の時期が近づいたので、桜を連想させる色、素材の帯揚げにしました。
<帯締め>桜色の冠(ゆるぎ)組
三月大歌舞伎は、十三世片岡仁左衛門十三回忌追善興行でした。
十三世片岡仁左衛門丈は、片岡我當丈、片岡秀太郎丈、当代仁左衛門丈のお父様です。
追善興行にふさわしく、昼の部では、「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の「道明寺(どうみょうじ)」、夜の部では「近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてひき)」と、十三世の当たり狂言が演じられました。
昼の部の「道明寺」では、十三世の当たり役だった菅丞相(かんしょうじょう:菅原道真のこと)を仁左衛門丈が演じました。
菅丞相の危機を救うため木像が姿を変えた菅丞相と、人間の菅丞相を演じ分けるのです。
十三世は、菅丞相を演じるときは、牛肉を一切食べず、お酒も控え、遊びにも行かなかったそうです。菅丞相の品格を表すためには、内面から律して役づくりをしなければならないというお考えからのようです。
当代の仁左衛門丈も、お父様の遺志に沿ってこの役に臨まれたようです。
娘との別れを惜しみながらも、悲しみを隠して泰然と太宰府へ旅立っていく菅丞相の姿が心を打ちました。
覚寿を演じる中村芝翫丈、立田の前を演じる片岡秀太郎丈の風格と存在感もすばらしかったです。
情感たっぷりの義太夫も、お芝居をより一層引き立てていました。
昼の部のほかの演目は、「吉例寿曽我」と「吉野山」です。
「吉例寿曽我」では、「石段」の場から「大磯曲輪外」の場への場面転換が大きな見どころでした。
石段の大道具が、片岡進之介さんと片岡愛之介さんを乗せたまま後ろにゆっくりと倒れていくのです。倒れきると、それまで石段の底辺になっていた部分が地面と垂直になり、壁になります。こういった仕掛けを「がんどう返し」といいます。
そして、舞台のセリに乗って「大磯曲輪外」の登場人物が出てくるのです。
「大磯曲輪外」も、我當丈、芝雀丈、翫雀丈、信二郎丈、吉弥丈をはじめとする豪華な面々で、とても華やかな舞台でした。
石段が後ろに傾いていく間、進之介さんと愛之介さんはずっと石段の上に立っているのです。楽に立っているように見えますが、後ろに向かって倒れていく石段の上でふんばっているのですから、相当な力が必要だと思います。役者さんって体力勝負なんだなあ……と尊敬してしまいます。私だったら、あっという間に後ろにコロコロ転げ落ちてしまいそうです(笑)。
こういった舞台転換は、まさに「歌舞伎ならでは」だなあ……と思います。
この日座っていた席は、2階席最前列の真ん中、いわゆる「天覧席」だったのですが、石段が上がっていくところで、愛之介さんがちょうど目線の高さに来て、迫力も倍増しました。
「吉野山」は、狐忠信を松本幸四郎丈、静御前を中村福助丈が演じました。
幸四郎丈のダイナミックかつ端正な踊りと福助丈のしっとりとした踊りで、美しく品格のある「吉野山」に仕上がっていたと思います。
東蔵丈の軽妙かつ技量ゆたかな踊りも、舞台に大きな華を添えていました。
「吉野山」が終わった後の弁当幕では、開演前に売店で買っておいた「柿の葉寿司」を食べました。お芝居とお弁当で吉野山に行った雰囲気を味わえて、なんとなくうれしい気分になりました。