風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

UBから53キロ

2006年02月18日 | モンゴル風景





中央県のエルデン村ーUBから53キローのところへ、ドライブしました。
近い将来、その丘に巨大なチンギス・ハーンの像が建設されると、UB POSTの記事で見たからです。
さて、どんなところだろうと物見遊山です。




ナライハへは右へとっていく道を左へとって行きます。
新しい舗装道路がまっすぐに続いています。
すれ違う車は、どれも石炭を積んでいます。暖房用の石炭をUBに売りにゆく車です。
起伏のある平原にまっすぐの道路を作ると起伏が多すぎて、荷物を運ぶ車にとっては、燃料を食うのです。
草原を、馬で行くときも馬が楽な道筋をたどっていくのですが、それは、必ずしもまっすぐな最短距離を行くのではありません。

夫 「ガソリンが高くてしょうがないモンゴルで、どうしてこんなにまっすぐな道路を作ったのだろう。」
私 「モンゴルには、まっすぐな道がないから、まっすぐな道を作ってみたかったんじゃない?」

冗談で言ったのだけれど、なんだか、二人の間では妙に納得してしまった。(笑)

キロャXトで53キロの場所には、何もない丘の連続です。
少し手前に、冬用のゲルが一軒見えるだけです。
何か始まりそうな気配は何もありませんでした。
多分このあたりというところに見当を付け、なだらかな傾斜を上り詰めました。
その途中で、馬が枯れ草をもりもりと食べていました。

こんな、雪の凍った白い色の間に枯れ草が薄茶色に覗いています。
その、枯れ草を食べている馬に、とてつもなく強い生命力を感じます。
今年は、雪が少なく、草を食べるにも氷を割る必要がなくて馬はとても楽なのかもしれません。
それでも、その、光景に目を見張るしかありません。

丘の上から見下ろす風景は、白と薄茶色。
空は青。

外は、耳が切れそうなくらい寒いのに、車の中は暖房なしで昼寝をしても大丈夫なくらい暖かい。
日差しだけを見ていると、いつも、うららかな暖かさになったと間違ってしまう。

フロントグラスで区切られた空に、右方向から飛行機雲が伸びていく。
ほんの少し左上がりに進んでいたかと思うと、急に上昇し始め、昇りきったと思ったら、一本だった白い線が二本になり、ほんのかすかに左右の翼を見せた機体のグレーが目に入った。
飛行機が機体を傾けて旋回し始めたから、一本だった雲が二本になったのだ。
ぐんぐん、私たちのほうへ向かってきていたのだと分かったのは、しばらくしてそして、フロントグラスから消え、その先を見るとずっと私たちの広報へと向かっているのが見えたからです。
右方向は、UBの方向、そして私たちの方向とは、南下を始めたということなのです。

そんな風景を、暖かい静かな車の中でぼんやり眺め、お昼ご飯後の程よいおなか具合で、うとうとと昼寝をしました。
なんて、ゆったりとした時間かしら。

寝ぼけ眼で、ドアを開け外に出たら、大さむ!
夏になったら、周りが緑になり、風がハーブの香りを運んでくる。
どんなに暑くなっても、窓を少し開けて風を誘ってあげると、すっと車内の温度が下がって、心地よい。

アー、早く、春よこい、夏よこい。

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大学院生マンチョク

2006年02月18日 | チンゲル亭裏日記

来週から、マンチョクが、うちに来て日本語の会話の練習をすることになりました。

去年、我が家に来て会話の練習をしていったジャガーの好結果に気をよくして、引き受けることになったのですが、さて、、、

ジャガーは、7ヶ月の日本での研修を終えて最近帰ってきたばかりです。
電話で十分意思の疎通が出来るほど上達していて、うれしい驚きだったのです。来週、暇が出来たら会いましょうと約束しました。楽しみです。

「日本語をしゃべれるだけで、特殊技能なんですよ。」と言うモンゴル日本センターの日本語教師の村上さんの言葉が、頭の中を回っています。

日本語を、しゃべることは当たり前で、日本語をちっとも大切にしてこなかった私を励ますには、ぴったりの言葉です。
日本人であれば、立派な日本語を話すと信じている彼女には申し訳ない気分です。
学びたいと言う強烈な意思を持つジャガーの熱意が、私のへなちょこ日本語を助けてくれました。今度も、きっとマンチョクの熱意に助けられながら続けることになるでしょう。
今からでも間に合うことは、何だろう。
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