風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

陶芸

2006年02月26日 | チンゲル亭
ろくろ第1作 といっても99%先生の手になる取っ手は一応私



    一輪挿し(ペンたて?)と手ひねりの小皿(径5cm)


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後悔先に立たずというより迂闊といったほうが

2006年02月26日 | チンゲル亭裏日記

モンゴルでは、前日に、急にどたばたと準備をすることが、良くあると聞いていたことですが、私の身にも起こるなんて思っても見なかった。
どたばたと言うのは、日本人の感覚で、彼らには何時ものことだそうですが。

しかし、ほんのちょっとでもモンゴルの人たちに係わるとこんなことも起こると心しておくべきことだったのだが、まだ、まだ、自分のことだけに一生懸命なときに気が回るはずもなく。

あとはお願いとャXターの件は、モギーさんに任せて、逃げるようにして帰ってきたのでした。

気楽にはじめたSAVE THE CHILDRENへの週一回の授業も、ここまで来ると、責任や結果を求められるようになるのだと、うかつにも、知らなかったのです。
 
そして、今日は、チョカさんの通訳を見て何かを思ったはずのウツカに、思いやる気持ちのゆとりもなく、「おぼえなくちゃね」と冷たい言葉を発してしまった。彼も、最近いろいろと考えるようになってきたようで良い兆候では有るのですが。
内気な恥ずかしがり屋の彼には、私から尋ねてあげなくてはいけないのだろうけれど、私の日本語が分からなくなると、内にこもってしまうので、言葉の接ぎ穂がなくなることがある。
ひとえに、私の余裕のなさなのだけれど。

こんな私に付き合う彼も、大変だ。
そして、最近ダルハンコート(ムートン様のもの)を着るようになった私を「モンゴル人みたい」と言って嫌がっている風がある。
せっかく、たとえ年配でも日本人と一緒にいるという得意な気持ちに水を差しているらしい。(日本人はダウンを着用だし、しゃれたモンゴル人は、ダルハンコートを着なくなっている)

唯一の救いは、チョカさんがうちに来て、卒論のお手伝いが出来たことでした。
彼女のおっとりとした、性格は私の、トゲトゲした気持ちをやわらげてくれました。
「ありがとうございました」と丁寧に頭を下げて帰って行ったしばらく後は穏やかな気分でいられました。
今日は、いっぱい助けてもらって、こちらこそありがとうございました。
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SAVE THE CHILDREN

2006年02月26日 | 風のこたろう裏日記

幸せなSAVE THE CHILDREN生活が、もっともっと続くと思っていたのに。
今日は、つらかったなぁ。

金曜日の今日は、特別に請われていつものメンバープラスチョカさんとで行きました。
「スャ塔Tーと、新しい子どもたちに見せるためのャXターを書きます。
子どもたちが書きますから、日本語の間違いがあったら、直してください。」ということだったのです。
それは、たまたま昨日打ち合わせで来ていらっしゃった、日本語教師の方が通訳をしてくれました。

気楽に、何の資料もなく行ってびっくり。
子どもは、一人も来ていないのです。
ャXターを書くなんて何の準備もなく出来るはずがない、茫然自失。
いつもの授業ではないことだし、金曜日は何時もチョカさんと共に過ごすことが多いのとで、一緒に来てもらったのが幸いでした。

モギーさんとドギーさんのおっしゃることを通訳してもらいながら、青くなってしまいました。
子どもが来ないなら、私たち(私だけ)で描くしかないということが分かってきて、私の底の浅さが露呈され、落ち込んでしまう私。
よほど浮「顔をしていたようで、みんな遠巻きにしている。

あぁ。。。。。情けない。

しかも、ャXターは今日中に書かねばならないと言う。
私の、頭の中を総動員して、とりあえず題字を書き始め、その下に同じ意味のモンゴル語をウツカが器用に書いてくれました。
昨日依頼された全員の写っている写真が、唯一の彩り。
結局、鶴や鳥、花を折って飾りにすることになる。
新聞にこだわる私としては、釈然としないまま、ャXターだからねと土壇場に彩を添えてもらうことになる。
写真は、新聞でかぶとを作ったときのものだったので小さいかぶとを新聞でKさんが折ってくれました。

今、新聞を使うことにこだわるのに迷ったり、楽な道を選ぼうかと迷っているときに、ャXターを書きなさいといわれ、ゆらゆら揺れ動き、これと言う主張の出来ない自分の情けなさに、涙が出そうになる。

私の下手な絵でも描かねばならないのかと観念しかかったとき、見慣れた子ども二人がやってきた。
    地獄で仏
チョカさんに、私の思うイメージを伝えてもらったら、お安い御用と引き受けてくれました。
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