風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

服飾研修

2006年02月22日 | チンゲル亭
ジャガーさんは7ヶ月の服飾の研修を日本で受けてつい最近帰ってきました。
7ヶ月間の幸せな研修期間は、見せてくれた写真の彼女の表情が物語っていました。
財布が丸見えのバッグを肩にかけていても、盗られる心配がない。
人々は、親切で押しのけられることがない。
町は清潔。
何より、自分の専門の勉強で、教材が潤沢であったこと。
先生が優しくて、熱心だったこと。
モンゴルでは、4~5人の学生が一着の服を作成し、それは、モデルに合わせて作るので出来上がっても誰も切ることが出来ない。そしてそれはやがて、捨てられるのだそうです。

日本では、目を見張るほど多種類の、生地を選び、一人一人が自分のサイズで一着の服を仕上げます。
そして、ファッションショーで発表するのですが、ずいぶん長い時間をかけて、完成を目指すことに驚いたそうです。
モンゴルでは、突然ショーの日が決まり、一日で仕上げるそうです。
いろんな行事が、その日まで分からない、その日の朝になっても始まる時間が分からないということが良く聞かれるのは、そういうことなんだなぁ。
思いつきで、イベントをやっているようです。
話は飛びますが、いまだに今年のモンゴル建国800年の記念行事も、いまだに日程がわからないと言うことは、こういうことなんですね。

すっかり、話すことには不自由がなくなった彼女です。
学生に教えていると、また、さらに学びたくなったそうです。
日本の大学の入学についても調べたそうですが、試験問題が余りに難しかったそうです。

先生に、会話は蒙大丈夫ですから、漢字を覚えてまたいらっしゃいと言われたそうです。
漢字は、辞書を引いて、ひたすら書いて覚える作業しかないでしょう。
確かな目標がある彼女は、きっとがんばれることでしょう。

             がんばれ ジャガー!
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ドガラ教授の話

2006年02月22日 | チンゲル亭
ドガラ教授は、一昨年60才になりました。
その教授が大学に留学したときの話です。
数学に非凡な才能を示した彼は、UBを通り越して、いきなりロシアの大学に行ったそうです。
ホブドと言う西の端の田舎から、ロシア語も知らないで留学をしたというのですから、それだけでものすごいのです。

40年以上前の話ですから、ホブドでは、お金を使うこともなく、買い物もしたことが無かったそうです。
ですから、言葉も分からず、お金の使い方も分からず、買い物が出来なかったそうです。
10日ほど水だけで生きていたとき、何かの記念日に突然花火が上がったそうです。
それはそれは体験したことのない大きな音だったそうです。
言葉も分かりませんから、その日、花火が上がることなど知りもしませんでした。
その突然さと余りの音の大きさに、第三次世界大戦が起きたと思ったそうです。

空腹と疲れと驚きと恐浮ナ、彼は気を失ったそうです。
病院に担ぎ込まれて、点滴を受けるほどの重症で、何ヶ月かの入院を余儀なくされたと言うことでした。

彼の指導教官たちは、彼を国に帰すことを検討したそうです。

しかし、彼を良く知る教官の一人が、彼の優秀さを話しました。
それは、教官が前に来なさいと言っても言葉も分からないので、教官が彼の席までやってきて、手を引いて黒板まで導いたそうです。
そして、そこに書かれた数式を解きなさいと指差すと、あっという間に難問を解いたと言うことです。
それで、彼は学校に残ることが出来、入院中にロシア語を覚えたそうです。

もっと、面白いエピソードを聞きましたが、夫は、彼が本を書くことを勧めたそうです。
ですから、もっと面白い話は、彼が本を書いてからのお楽しみにいたしましょう。

夫が、教授が自分のことを語るのは初めてだといっておりました。
モンゴル語の通訳さんを雇ったおかげか、2年半経って教授がやっと気安くなってきたおかげか分かりません。
あきれるほどすごい体験をされたことを聞いて、穏やかな芯の強い、派手なことを好まないドガラ教授にちょっと興味を持ちました。
昔昔、学ぶことを始めた人たちにとっては学ぶこと事態が戦いであった時代なんですね。

そのような、話を聞いて若い通訳さんは、驚きとても興味を持って目を丸くしていたそうです。

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