ドラマや自分の役や相手を信じられなければ、お客さんを納得させられない。ことに、メルヘンやファンタジーのような作品の場合、絵空事を現実のものと見せるのは、俳優たちの力が必要だ。
歳をとると、覚えが悪いし、覚えてもミスするし、ホントに大変。若い人たちが、輝いて見え、翻って自分が惨めになる。けれど、執拗に何度も何度も稽古して、塗料を弾く鉛に金色のペンキを何度も塗って、ついには金そのものにしてしまうのだ。
俳優は、脚本を読み、イメージした演技をやってみる。そして、考え計画した演技が、相手役と噛み合うか、演出家のプランに沿うものか、すり合わせをして、また考え計画し、やってみる。それを繰り返すことで、双方が合致してドラマを高めていく。
けれど、かなりの数の俳優が、自分のセリフしか読まず、自分が面白おかしく思われ、あるいはかっこ良く思われるために、演じようとする。当然、相手役とのせめぎ合いによって生まれるはずのドラマにはならないし、その作品の中で異物になり、相手役を損ない、作品を損なってしまう。そして、それが演技だと信じてはばからない。
俳優は目に入るものすべてが勉強になる。面白いと思ったものは真似をすればいい。真似が上手い人は、演技が上達するのが早い。
けれど、あのお笑いタレントのああいった仕草や言い方が面白かったから、そいつをやったらウケるかも。と、演技に取り入れる者がいる。そのタレントだからこそ面白いのだ。そのタレントの生き様や個性やセンスがあってこそのものだ。外見が同じでも中身が違えば、まず面白くはならない。けれど、そんなコピー演技を少なからず見る。