脚下照顧

いつかあの空の彼方へ

須く全国民に課せられた「苦役列車」

2011年03月31日 | Weblog
[1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故では、炉心内の核燃料の活動が一時制御不能に陥ったが、炉心内へ鉛を大量投入し、液体窒素を投入して周囲から冷却。炉心温度を低下させることに成功した。爆発後10日経った5月6日までに、大規模な放射性物質の漏出は終わったとの見解を、当時のソ連政府は発表している。

爆発して崩壊した4号炉をコンクリートで封じ込めるために、延べ80万人の労働者が動員された。4号炉を封じ込めるための構造物は石棺(せっかん)と呼ばれた。

石棺の耐用年数は30年とされており、老朽化への対策が望まれている。年間4000kl近い雨水が石棺の中に流れ込んでおり、原子炉内部を通って放射能を周辺の土壌へ拡散している。石棺の中の湿気により、石棺のコンクリートや鉄筋も腐食しつづけている。

事故当時原子炉の中にあった燃料のおよそ95%が未だ石棺の中に留まっており、その全放射能はおよそ1800万キュリーにのぼるとされる。この放射性物質は、炉心の残骸や塵、および溶岩状の「燃料含有物質(FCM)」から成る。このFCMは、破損した原子炉建屋を伝って流れ、セラミック状に凝固している。単純に見積もっても、少なくとも4トンの放射性物質が石棺内に留まっているとされる。

老朽化が著しい石棺が、もし崩壊した場合には、放射性物質が飛散するリスクがある。より効果的な封印策について多くの計画が発案・議論されたが、これまでのところいずれも実行に移されていない。国内外から寄付された資金は、建設契約の非効率的な分散や、杜撰な管理、または盗難に遭うなどして浪費される結果となった。(以上、Wikipediaより)]

[2000年から2006年にかけて日本語版Wiredサイトで掲載した、「チェルノブイリ封印」に関するいくつかの記事を、本日から再編集して連載します]

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以下の(1)は、事故から14年後の2000年7月10日に掲載された記事『チェルノブイリ原発の完全閉鎖へ追加援助』を再編集したものです]

ベルリン発――2000年7月5日(現地時間)、世界40ヵ国が、チェルノブイリ原子力発電所の汚染防止に支援金3億7000万ドルを拠出することを決めた。

これによって、各国政府と欧州連合が『チェルノブイリ・シェルター基金』に拠出した支援金は計7億1500万ドルとなる。チェルノブイリ原発の崩壊した4号原子炉を覆う、コンクリートの「石棺」を緊急修理するのが目的だ。

多数の漏洩箇所から水がしみ出し、放射性の塵が周囲の大気中に漏れ出していると考えられている。重度に汚染された水が、ウクライナの上水に流れ込んでいる危険性も高い。

ソビエト連邦時代に築かれた4号炉の覆いは補修が必要な状態で、修理は2005年に完了を予定している。これで、あと50~100年間はチェルノブイリの安全が確保される見込みだ。

チェルノブイリ・シェルター基金は、ウクライナと先進7ヵ国(G7)によって1997年に採択された『シェルター実施計画』に資金を提供する目的で、ヨーロッパ復興開発銀行により設立された。同計画は、国際的な専門家チームが、建造物を安全な状態にするために立案したものだ。

今回の支援と引き換えに、ウクライナはチェルノブイリ原発を全面閉鎖することを約束した。ウクライナ政府は現在、チェルノブイリ事故の事後処理に国家予算の約12%近くをあてている。

1986年に爆発した4号炉のほか、2号炉は火災を起こして91年に閉鎖され、1号炉はG7からの圧力を受けて96年に閉鎖された。そして先月、ウクライナのレオニード・クチマ大統領は、3号炉も今年12月に閉鎖されるだろうと述べた。[ウクライナ政府は、事故後も、国内のエネルギー不足と、財政難で新規の発電所建設が困難だったため、残った3つの原子炉を運転させ続けた]

シェルター実施計画では、修理費用を支払うことに加え、チェルノブイリ事故の結果を研究・査定し、被害を軽減するためのプロジェクトに資金を提供する予定だ。また、残っているチェルノブイリ原子炉の廃炉を支援し、チェルノブイリ閉鎖による社会的・地域的影響に取り組み、ウクライナで進められている非核エネルギーのプロジェクトを含む電力部門の改革を支援する活動にも支援金が提供されることになる。

長期の安全計画としては、既存のプラントの上に封鎖ドームを建設して密封すること、あるいはさらに大がかりなものとして、放射能を放つ原子炉の残骸を除去して、チェルノブイリを緑の草原に戻すことなどが検討されている。

5日に発表された支援金のうち、欧州委員会――15ヵ国からなる欧州連合の執行機関――からの拠出分は、1億5200万ドル相当になる。

2000年7月5日(現地時間)に行なわれた今回の発表に先立ち、ドイツのヨシュカ・フィッシャー外相とウクライナのビクトル・ユシェンコ首相を共同議長とする支援協議のための会議が、ベルリンで2日間にわたって開かれた。


1986年にチェルノブイリで起こった世界最悪の放射能災害は、推定3万人の死者を出した。
キエフの北120キロにあるチェルノブイリ原発の爆発事故は、人為的ミスと設計ミスが重なって起きた。同発電所の作業者が安全システムを試験していたときに起き、原子炉施設の屋根が吹き飛んだ。この事故で、大部分の放射性廃棄物と、炉心にあった核燃料が、周囲の大気中に直接放出された。
[チェルノブイリ事故では、広島に投下された原子爆弾に換算して約500発分の原爆投下に相当する量の放射性物質が放出されたとされる。大惨事の拡大を止めるために、ソビエト政府は清掃作業にあたる労働者を現地に送りこんだ。陸軍兵士とその他の労働者で構成された多くの作業者は、その大部分が危険について何も知らされておらず、効果的な保護具は利用できなかった。
ソ連政府の発表による死者数は、運転員・消防士合わせて33名だが、事故の処理にあたった予備兵・軍人、トンネルの掘削を行なった炭鉱労働者に、多数の死者が確認されている。ただし、事故の放射線被曝とがんや白血病との因果関係を直接的に証明する手段はない。
ソ連政府は、事故から36時間後にチェルノブイリ周辺の区域から住民の避難を開始。およそ1週間後の1986年5月までに、当該プラントから30km以内に居住する全ての人間(約11万6千人)が移転させられた。炉から30kmの退避区域については、30万から80万人の作業員がそのクリーンアップに従事したが、その多くは事故から2年後にその区域に入った。事故から最初の1年で、この区域のクリーンアップ労働者は21万1000人と推定される。これらの労働者は推定平均線量165ミリシーベルトを受けた。
2000年4月26日の14周年追悼式典での発表によると、ロシアの事故処理従事者86万人中、5万5千人が既に死亡していた。また、作業員は86.9%が病気に罹っていたとされる]




原発被害当事者が背負う「苦役列車」

2011年03月31日 | Weblog



【3月29日 AFP】ガンナ・コンスタンティノーバさん(77)が住む場所は1986年、世界史上最悪の原子力災害が発生したチェルノブイリ(Chernobyl)原子力発電所から18キロしか離れていない。

 ソ連崩壊後、ウクライナ領となったチェルノブイリ原発周辺は「立ち入り禁止区域」に指定されている。しかし、ここには今も高齢者を中心にウクライナ人数百人が住んでいる。彼らは辛うじて生計を立てながらも「死のゾーン」という異名を挽回するかのように、驚くほど牧歌的な暮らしを送っている。

 オレンジ色のスカーフを頭に巻いたコンスタンティノーバさんは、裏庭で育てた野菜を手に「チェルノブイリで十分よく暮らしているわ」と語る。「空気はきれいだし、川も近い。なにもかもが本来あるべき姿で存在してるわよ」

 訪問者たちにとって、コンスタンティノーバさんの言葉は驚きだ。原発周辺30キロ圏内の立ち入り禁止地区、いわゆる「ゾーン」への訪問者は、圏内ではいかなる植物や施設にも触れず、たばこを吸ったり、屋外で飲食したりしないよう誓約書を書かされるのだ。

■「ゾーン」に住み続ける人たち

 その史上最悪の原子力災害からあと1か月で25年目という時、東北地方太平洋沖地震で打撃を受けた福島の原子力発電所の危機に直面し、世界の目は再びチェルノブイリに注がれた。

 チェルノブイリ周辺の汚染地区に居住してはならないという当局の禁止令に反して、立ち入り禁止区域内には高齢のウクライナ人約270人が住んでいる。当局はとうの昔に、この禁止令を徹底させる努力を止めている。コンスタンティノーバさんや住民たちは、核による破滅と隣り合わせかもしれないが、比較的「普通の暮らし」であることを誇ってもいる。日本から「死の灰」が届くかもしれないという懸念が強まっても、彼女たちの心は揺るがない。

 1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所の4号炉が爆発し、致命的な放射性物質が広範囲にまき散らされた時、当時のソ連政府は半径30キロ圏内の住民13万人全員を避難させた。

 しかし、住民が自宅へ戻るのを止めることはできなかった。コンスタンティノーバさんは事故から1月もしないうちに小さな木造のわが家へ戻り、以来そこから動いたことはない。「草の香りもいいし、夏にはいろんな植物が真っ盛りになるのよ。森で採れるもの、キノコやベリー類、何でも食べてるわ。放射能は感じません。トマトやキュウリ、ジャガイモも育ててます。何でも食べるし、何も心配してません」とコンスタンティノーバさん。「避難した人の多くは死んでしまったけど、私は今も生きてるわ」

 事故から25年になるのを前にチェルノブイリの街は、建物を化粧し、記念式典に合わせてオープンする公園や博物館の建設を急ピッチで進めている。

■「何でも食べています、キノコもね」

「ゾーン」にいる全員が決意の固い高齢者というわけではない。

 この地区内に勤務するウクライナ人7500人はシフト制で働き、彼らの給与は首都キエフ(Kiev)の平均の約2倍と言われている。そのうち約3500人がチェルノブイリ原発に雇われており、残りの半数は消防関係者、森林労働者、科学者、ゾーン内の他の事業に関わる建設労働者などである。

 オレグ(Oleg)さん(30)はチェルノブイリにある国営企業で5年間働いてきたが、勤務シフトは特殊だ。「ゾーン」内で15日間働いたら、次の15日間は「ゾーン」外にある自宅で在宅勤務する。「安全面での注意は、徒歩で行ってはならない場所には徒歩で行かない、というだけ。もっとも、時々はそんな場所を歩くこともあるけどね。食べるものは何でも食べてるよ。魚や、時にはキノコだってね」。「ゾーン」内で暮らすために必要な「秘訣」は、「釣りをするときは水が溜まっている場所ではなく、流れのある場所で釣ること」だと教えてくれた。

 オレグさんはガイガーカウンター(放射線測定器)を携帯していない。浴びている放射線が、政府の基準値を超えていないことは分かっているからだと言う。「毎年、体内被ばくの検査を受けてるんだ。魚やキノコを食べすぎたら、限界値は超えるかもしれないからね。一度、値が高すぎるときがあったんだ。2~3か月したらまた来るようにって医者に言われたけど、次に行ったら普通のレベルに戻っていたよ」

「ゾーン」で働くもう一人の若者、ヴィラ(Vira)さんも同じ勤務シフトだが男性の同僚よりも注意していて、地元産の食べ物は口にせず、外部から運ばれてきた食品だけを食べている。しかし、ヴィラさんでさえ何年かここで働くうちに慣れてしまい、これからも同じような注意を続けるかどうか分からないと言う。「チェルノブイリに来たときは偏見でいっぱいだった。草は踏まないようにしていたし、野菜には絶対触らないようにしてたわ。けれどそれから、チェルノブイリの放射線レベルが基準を超えていないということや、長い期間ここにいても危険はないということが分かったの」

 年金生活者の夫婦、マリア・セメニュク(Maria Semenyuk)さん(73)とイワン(Ivan)さん(75)もやはり「ゾーン」内の村、パリチフ(Parychiv)に暮らす。日本の原発事故に関する情報が少ないことは、チェルノブイリの事故当時を思い出させると言う。「私たちは何も聞かされなかった。あの日は集団農場でリンゴを植えたところだったんだ。そうしたら当局から、みんなで3日間だけ避難するって言われたのさ。大変なことだなんて誰も思わなかった」。大災害だったにもかかわらず夫妻は2年後、チェルノブイリに戻った。今は森でキノコ狩りを楽しみ、地元の果実でワインさえ作り、訪れる人にグラスでふるまっている。

 しかし、パリチフ村は文字通り死につつある。家々は見捨てられたまま、屋根は崩れ、第2次世界大戦の記念碑だけが村の真ん中に残っている。チェルノブイリ原発事故の前に400人が生活していたこの村に、今も暮らしているのは9人だけだ。(c)AFP/Anya Tsukanova

地球汚染拡大中

2011年03月31日 | Weblog



大規模な石棺を直ちに建設し始めるべき。

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ゴキブリ以上にしぶといくせに、
性根が腐りきっているだけでなく、
悪意と貪婪さに満ちている悪性黴菌。
朽ち果てるまで諦めるはずがない奴ら。

洗脳が解けまま故、
再び「限度」を越えたのに、
歯車は同じように動き始め羊たちは以前のように盲従している。
チャリティー、義援金に酔い、
テレビ、新聞、ラジオの独占統制を信仰しながら。

アメリカ = ユダヤ軍閥は、
株価も為替も持ちこたえている植民地利権を天秤にかけて、
道具をレンタルしての様子見。

仏蘭西は後腐れのないセーフティーを保つことを第一義に、
日本利権と人体実験データ狙い。

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合成の誤謬。

大本営帝国陸軍(再)の水掛けよりは、
米仏の方がマシ。

だが、
国連を通してより広く透明性を高め、
IAEAや北欧諸国の監理や助言を求めるべき。

アメリカ専属の弊害。

対案を出せぬ、オザワ。

代議士どもの無策無能無志。

シンクタンク?
学士院?
ノーベル賞受賞者?

弾切れ鮮明。

廃墟を巡る乱痴気と金儲け

2011年03月30日 | Weblog


「ただちに健康に問題はない」。
原子爆弾が落とされた後に白いシャツを着ていれば放射線を跳ね返せる、に等しい。

人類史上初の人体実験の領域に入ったことはまさに火を見るより明らか。
既に2週間前に始まっていたこと。
にも拘らずその事実が隠蔽捏造されたのは、大手メディアが糊塗に加担していたから。

大本営帝国陸軍化している「官報複合体護送船団」の無策無能な乱痴気よりは、
ユダヤ資本が占めるアレバとアメリカ軍が情報収集のために行う「日本人をモルモットにしたオペレーション」の方が、
何をしているか、どうなるか、が予測し易い。
だがあまりに酷い収集不能状態に仏蘭西は利無しと見て積極的に介入することを躊躇っているように視える。

あらためて今現在のチェルノブイリを知るに、
福島がすっかり抜け落ちた、
に止まらず今後代々に渡って害悪をまき散らし忌み嫌われる病巣となること、
狂気の象徴となることに暗澹たる気持ちにならざるを得ない。

スリーマイル、チェルノブイリ。
想定できたはず。

泊から川内まで今尚稼働中の原子炉は全て、
福島同様にいつ津波によって制御不能に陥るかわからぬまま。

悪性黴菌は利権のためにより強固な砂上の楼閣を備えるべしと騙り始めている。

原爆。
そして愚かな過ちを繰り返した福島原発。
またさらに積み重ねるか。

黴菌の甘言にのせられて回る歯車は既に動き始めている。

筆頭は財務省事務次官

2011年03月29日 | Weblog


「絞首刑に値するA級戦犯リスト」

電波芸者や傀儡がスケープゴートにされている。

立案推進の主犯は官僚。

官報複合体洗脳部隊、
テレビ屋新聞屋を使った情報統制。
不安を煽り、
氾濫させ、
思考停止に陥らせ、
諦めさせて、
従属させる。

菅、民主は捨て駒。

腐った宿主をさらに壊す、悪性黴菌の卑劣さ

2011年03月28日 | Weblog




http://www.youtube.com/watch?v=zR9YoSB9-po&feature=youtu.be
原発利権に群がるハイエナは既に洗脳継続活動を始めていて、
「恵まれた」被災者は過剰に救援を求めて蓄財を始めている。



神戸を教訓とせず、
ルールも基準も作らぬまま、
言い訳言い逃れのためだけのその場しのぎだけ。

格納容器が割れ放射能が拡散し続けている炉心に近場の海水をかけているだけ、の如く。


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福島原発の監理を直ちにIAEAに一任した方がいいだろう。

壊れているこの国のグランドデザインも北欧の彼等に丸投げした方がマシだろう。

この期に及んでも既得権にしがみつき、
ドサクサ紛れに増税や定数改変を目論む役人やその傀儡どもよりはまだいい。

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天災後の人災。

人災後の捏造糊塗。

官報複合体洗脳部隊を使って狂気を再起動させることが罷り通る有様に、
この国そのもの、
さらにさらに堕ち沈む、
が現れている。