[1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故では、炉心内の核燃料の活動が一時制御不能に陥ったが、炉心内へ鉛を大量投入し、液体窒素を投入して周囲から冷却。炉心温度を低下させることに成功した。爆発後10日経った5月6日までに、大規模な放射性物質の漏出は終わったとの見解を、当時のソ連政府は発表している。
爆発して崩壊した4号炉をコンクリートで封じ込めるために、延べ80万人の労働者が動員された。4号炉を封じ込めるための構造物は石棺(せっかん)と呼ばれた。
石棺の耐用年数は30年とされており、老朽化への対策が望まれている。年間4000kl近い雨水が石棺の中に流れ込んでおり、原子炉内部を通って放射能を周辺の土壌へ拡散している。石棺の中の湿気により、石棺のコンクリートや鉄筋も腐食しつづけている。
事故当時原子炉の中にあった燃料のおよそ95%が未だ石棺の中に留まっており、その全放射能はおよそ1800万キュリーにのぼるとされる。この放射性物質は、炉心の残骸や塵、および溶岩状の「燃料含有物質(FCM)」から成る。このFCMは、破損した原子炉建屋を伝って流れ、セラミック状に凝固している。単純に見積もっても、少なくとも4トンの放射性物質が石棺内に留まっているとされる。
老朽化が著しい石棺が、もし崩壊した場合には、放射性物質が飛散するリスクがある。より効果的な封印策について多くの計画が発案・議論されたが、これまでのところいずれも実行に移されていない。国内外から寄付された資金は、建設契約の非効率的な分散や、杜撰な管理、または盗難に遭うなどして浪費される結果となった。(以上、Wikipediaより)]
[2000年から2006年にかけて日本語版Wiredサイトで掲載した、「チェルノブイリ封印」に関するいくつかの記事を、本日から再編集して連載します]
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以下の(1)は、事故から14年後の2000年7月10日に掲載された記事『チェルノブイリ原発の完全閉鎖へ追加援助』を再編集したものです]
ベルリン発――2000年7月5日(現地時間)、世界40ヵ国が、チェルノブイリ原子力発電所の汚染防止に支援金3億7000万ドルを拠出することを決めた。
これによって、各国政府と欧州連合が『チェルノブイリ・シェルター基金』に拠出した支援金は計7億1500万ドルとなる。チェルノブイリ原発の崩壊した4号原子炉を覆う、コンクリートの「石棺」を緊急修理するのが目的だ。
多数の漏洩箇所から水がしみ出し、放射性の塵が周囲の大気中に漏れ出していると考えられている。重度に汚染された水が、ウクライナの上水に流れ込んでいる危険性も高い。
ソビエト連邦時代に築かれた4号炉の覆いは補修が必要な状態で、修理は2005年に完了を予定している。これで、あと50~100年間はチェルノブイリの安全が確保される見込みだ。
チェルノブイリ・シェルター基金は、ウクライナと先進7ヵ国(G7)によって1997年に採択された『シェルター実施計画』に資金を提供する目的で、ヨーロッパ復興開発銀行により設立された。同計画は、国際的な専門家チームが、建造物を安全な状態にするために立案したものだ。
今回の支援と引き換えに、ウクライナはチェルノブイリ原発を全面閉鎖することを約束した。ウクライナ政府は現在、チェルノブイリ事故の事後処理に国家予算の約12%近くをあてている。
1986年に爆発した4号炉のほか、2号炉は火災を起こして91年に閉鎖され、1号炉はG7からの圧力を受けて96年に閉鎖された。そして先月、ウクライナのレオニード・クチマ大統領は、3号炉も今年12月に閉鎖されるだろうと述べた。[ウクライナ政府は、事故後も、国内のエネルギー不足と、財政難で新規の発電所建設が困難だったため、残った3つの原子炉を運転させ続けた]
シェルター実施計画では、修理費用を支払うことに加え、チェルノブイリ事故の結果を研究・査定し、被害を軽減するためのプロジェクトに資金を提供する予定だ。また、残っているチェルノブイリ原子炉の廃炉を支援し、チェルノブイリ閉鎖による社会的・地域的影響に取り組み、ウクライナで進められている非核エネルギーのプロジェクトを含む電力部門の改革を支援する活動にも支援金が提供されることになる。
長期の安全計画としては、既存のプラントの上に封鎖ドームを建設して密封すること、あるいはさらに大がかりなものとして、放射能を放つ原子炉の残骸を除去して、チェルノブイリを緑の草原に戻すことなどが検討されている。
5日に発表された支援金のうち、欧州委員会――15ヵ国からなる欧州連合の執行機関――からの拠出分は、1億5200万ドル相当になる。
2000年7月5日(現地時間)に行なわれた今回の発表に先立ち、ドイツのヨシュカ・フィッシャー外相とウクライナのビクトル・ユシェンコ首相を共同議長とする支援協議のための会議が、ベルリンで2日間にわたって開かれた。
1986年にチェルノブイリで起こった世界最悪の放射能災害は、推定3万人の死者を出した。
キエフの北120キロにあるチェルノブイリ原発の爆発事故は、人為的ミスと設計ミスが重なって起きた。同発電所の作業者が安全システムを試験していたときに起き、原子炉施設の屋根が吹き飛んだ。この事故で、大部分の放射性廃棄物と、炉心にあった核燃料が、周囲の大気中に直接放出された。
[チェルノブイリ事故では、広島に投下された原子爆弾に換算して約500発分の原爆投下に相当する量の放射性物質が放出されたとされる。大惨事の拡大を止めるために、ソビエト政府は清掃作業にあたる労働者を現地に送りこんだ。陸軍兵士とその他の労働者で構成された多くの作業者は、その大部分が危険について何も知らされておらず、効果的な保護具は利用できなかった。
ソ連政府の発表による死者数は、運転員・消防士合わせて33名だが、事故の処理にあたった予備兵・軍人、トンネルの掘削を行なった炭鉱労働者に、多数の死者が確認されている。ただし、事故の放射線被曝とがんや白血病との因果関係を直接的に証明する手段はない。
ソ連政府は、事故から36時間後にチェルノブイリ周辺の区域から住民の避難を開始。およそ1週間後の1986年5月までに、当該プラントから30km以内に居住する全ての人間(約11万6千人)が移転させられた。炉から30kmの退避区域については、30万から80万人の作業員がそのクリーンアップに従事したが、その多くは事故から2年後にその区域に入った。事故から最初の1年で、この区域のクリーンアップ労働者は21万1000人と推定される。これらの労働者は推定平均線量165ミリシーベルトを受けた。
2000年4月26日の14周年追悼式典での発表によると、ロシアの事故処理従事者86万人中、5万5千人が既に死亡していた。また、作業員は86.9%が病気に罹っていたとされる]
爆発して崩壊した4号炉をコンクリートで封じ込めるために、延べ80万人の労働者が動員された。4号炉を封じ込めるための構造物は石棺(せっかん)と呼ばれた。
石棺の耐用年数は30年とされており、老朽化への対策が望まれている。年間4000kl近い雨水が石棺の中に流れ込んでおり、原子炉内部を通って放射能を周辺の土壌へ拡散している。石棺の中の湿気により、石棺のコンクリートや鉄筋も腐食しつづけている。
事故当時原子炉の中にあった燃料のおよそ95%が未だ石棺の中に留まっており、その全放射能はおよそ1800万キュリーにのぼるとされる。この放射性物質は、炉心の残骸や塵、および溶岩状の「燃料含有物質(FCM)」から成る。このFCMは、破損した原子炉建屋を伝って流れ、セラミック状に凝固している。単純に見積もっても、少なくとも4トンの放射性物質が石棺内に留まっているとされる。
老朽化が著しい石棺が、もし崩壊した場合には、放射性物質が飛散するリスクがある。より効果的な封印策について多くの計画が発案・議論されたが、これまでのところいずれも実行に移されていない。国内外から寄付された資金は、建設契約の非効率的な分散や、杜撰な管理、または盗難に遭うなどして浪費される結果となった。(以上、Wikipediaより)]
[2000年から2006年にかけて日本語版Wiredサイトで掲載した、「チェルノブイリ封印」に関するいくつかの記事を、本日から再編集して連載します]
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以下の(1)は、事故から14年後の2000年7月10日に掲載された記事『チェルノブイリ原発の完全閉鎖へ追加援助』を再編集したものです]
ベルリン発――2000年7月5日(現地時間)、世界40ヵ国が、チェルノブイリ原子力発電所の汚染防止に支援金3億7000万ドルを拠出することを決めた。
これによって、各国政府と欧州連合が『チェルノブイリ・シェルター基金』に拠出した支援金は計7億1500万ドルとなる。チェルノブイリ原発の崩壊した4号原子炉を覆う、コンクリートの「石棺」を緊急修理するのが目的だ。
多数の漏洩箇所から水がしみ出し、放射性の塵が周囲の大気中に漏れ出していると考えられている。重度に汚染された水が、ウクライナの上水に流れ込んでいる危険性も高い。
ソビエト連邦時代に築かれた4号炉の覆いは補修が必要な状態で、修理は2005年に完了を予定している。これで、あと50~100年間はチェルノブイリの安全が確保される見込みだ。
チェルノブイリ・シェルター基金は、ウクライナと先進7ヵ国(G7)によって1997年に採択された『シェルター実施計画』に資金を提供する目的で、ヨーロッパ復興開発銀行により設立された。同計画は、国際的な専門家チームが、建造物を安全な状態にするために立案したものだ。
今回の支援と引き換えに、ウクライナはチェルノブイリ原発を全面閉鎖することを約束した。ウクライナ政府は現在、チェルノブイリ事故の事後処理に国家予算の約12%近くをあてている。
1986年に爆発した4号炉のほか、2号炉は火災を起こして91年に閉鎖され、1号炉はG7からの圧力を受けて96年に閉鎖された。そして先月、ウクライナのレオニード・クチマ大統領は、3号炉も今年12月に閉鎖されるだろうと述べた。[ウクライナ政府は、事故後も、国内のエネルギー不足と、財政難で新規の発電所建設が困難だったため、残った3つの原子炉を運転させ続けた]
シェルター実施計画では、修理費用を支払うことに加え、チェルノブイリ事故の結果を研究・査定し、被害を軽減するためのプロジェクトに資金を提供する予定だ。また、残っているチェルノブイリ原子炉の廃炉を支援し、チェルノブイリ閉鎖による社会的・地域的影響に取り組み、ウクライナで進められている非核エネルギーのプロジェクトを含む電力部門の改革を支援する活動にも支援金が提供されることになる。
長期の安全計画としては、既存のプラントの上に封鎖ドームを建設して密封すること、あるいはさらに大がかりなものとして、放射能を放つ原子炉の残骸を除去して、チェルノブイリを緑の草原に戻すことなどが検討されている。
5日に発表された支援金のうち、欧州委員会――15ヵ国からなる欧州連合の執行機関――からの拠出分は、1億5200万ドル相当になる。
2000年7月5日(現地時間)に行なわれた今回の発表に先立ち、ドイツのヨシュカ・フィッシャー外相とウクライナのビクトル・ユシェンコ首相を共同議長とする支援協議のための会議が、ベルリンで2日間にわたって開かれた。
1986年にチェルノブイリで起こった世界最悪の放射能災害は、推定3万人の死者を出した。
キエフの北120キロにあるチェルノブイリ原発の爆発事故は、人為的ミスと設計ミスが重なって起きた。同発電所の作業者が安全システムを試験していたときに起き、原子炉施設の屋根が吹き飛んだ。この事故で、大部分の放射性廃棄物と、炉心にあった核燃料が、周囲の大気中に直接放出された。
[チェルノブイリ事故では、広島に投下された原子爆弾に換算して約500発分の原爆投下に相当する量の放射性物質が放出されたとされる。大惨事の拡大を止めるために、ソビエト政府は清掃作業にあたる労働者を現地に送りこんだ。陸軍兵士とその他の労働者で構成された多くの作業者は、その大部分が危険について何も知らされておらず、効果的な保護具は利用できなかった。
ソ連政府の発表による死者数は、運転員・消防士合わせて33名だが、事故の処理にあたった予備兵・軍人、トンネルの掘削を行なった炭鉱労働者に、多数の死者が確認されている。ただし、事故の放射線被曝とがんや白血病との因果関係を直接的に証明する手段はない。
ソ連政府は、事故から36時間後にチェルノブイリ周辺の区域から住民の避難を開始。およそ1週間後の1986年5月までに、当該プラントから30km以内に居住する全ての人間(約11万6千人)が移転させられた。炉から30kmの退避区域については、30万から80万人の作業員がそのクリーンアップに従事したが、その多くは事故から2年後にその区域に入った。事故から最初の1年で、この区域のクリーンアップ労働者は21万1000人と推定される。これらの労働者は推定平均線量165ミリシーベルトを受けた。
2000年4月26日の14周年追悼式典での発表によると、ロシアの事故処理従事者86万人中、5万5千人が既に死亡していた。また、作業員は86.9%が病気に罹っていたとされる]