脚下照顧

いつかあの空の彼方へ

人生いろいろ

2011年01月29日 | Weblog


2011年1月27日(木)18:00
http://www.mainichi.co.jp/

 最近、「児童養護施設の篤志家」としてニュースをにぎわせた懐かしのヒーローたち。伝えられた記事の中に、「仮面ライダー」の名を見つけた。今年が誕生から40周年と聞き、現在も活躍を続ける本物のライダーたちに会いに行ってみた。【井田純】

 ◇初代変身ベルト、売り上げ380万個

 「仮面を最初に見た時? いやあ、これを僕が実際にかぶってやるんだと思って、どこから見るんだろう、これでアクションなんてできるのかと」。仮面ライダー1号こと本郷猛に扮(ふん)した藤岡弘、さん(64)。重厚なのに快活に響く声は、テレビで怪人と戦っていた当時と変わらない。

 放送開始は1971年4月3日。原作、石ノ森(当時は石森)章太郎。世界征服をたくらむ悪の秘密結社・ショッカーと戦う仮面ライダーは、バッタの能力を持つ改造人間。「ライダー」の名の通りオートバイを駆るスピード感、ライダーキックに代表されるアクションに加え、敵役の怪人のおどろおどろしさも相まって子供の人気を集め、やがて視聴率30%を超えるお化け番組に。しかし、スタート当初はすべてが手探りだった。

 「撮影所と言っても、雨が降るとトタン屋根の音で録音もできなかった。機材も十分でなかったし、現場は常に追いまくられていた」。その「東映生田スタジオ」があったのは川崎市北部の、住宅地に近い山の中。跡地は駐車場に姿を変え、往時をしのばせるものは見当たらないが、今も熱心なファンの「聖地巡礼」が絶えない。近くの商店主が「この間は山口県から見えましたよ」と話してくれた。

 藤岡さんが言う。「斜陽を迎えた映画界から撮影、照明、音声などの職人が集まり、どんな厳しい状況にも愚痴ひとつ言わなかった。悪役を務めた古参の方々も、子供番組だからと手を抜くようなことは決してなく、未熟な新人だった私にも真剣に接してくれた。子供たちにもその必死さが画面から伝わったんでしょう」

 ライバル番組が次々に登場したことなどで80年代末に一度途絶えた仮面ライダーシリーズだが、2000年に復活。東映宣伝部は「かつてのファンが父親になり、親子で今の番組を見ている方も多い。その中間にオタクといわれるファン層があり、ほぼ3世代にまたがっている」と説明する。ライダー役がいわゆるイケメン若手俳優の登竜門となったことで、母親たちを含む女性ファンも引きつけた。映画も年3、4本ペースで製作され、40周年の今年は、歴代ライダーが出演する記念作品が4月に公開される。

 東映で現在のライダーシリーズの陣頭指揮を執る白倉伸一郎執行役員(45)は、ライダー第1世代。「ショッカーの改造人間である仮面ライダーが、いわば親にあたるショッカーと戦うのがオリジナルの石ノ森先生の構図。底に流れるテーマを継承する義務を感じている」。宇宙から来たヒーローが大怪獣を倒す話に比べ、ライダーは「地べたに近い」世界観。「ベースが人間同士だから戦争のメタファーにもなりやすい。善が悪を倒す単純な図式にしてしまうと子供には危険、という考えを今の番組にも反映させている」と話す。

 その現行作「仮面ライダー オーズ」(テレビ朝日系列で放送中)の人気は、シリーズ復活後最高との評判を集める。玩具大手のバンダイが販売するオーズの変身ベルトは、昨年のクリスマス期に全国的品切れ状態。今も品薄が続き、50万個以上を売り上げた前作のベルトを上回るペースという。ただ、同社の記録には、初代変身ベルトの売り上げ380万個というすさまじい数字が残っている。

 同僚が「自分も持っていた」と話すのを聞き、40年たった今でさえうらやましく感じた。ほしかった――。

 ◇懐かしの「へーんっしんっ」

 もう一度、40年前。放送開始直前の3月、藤岡さんは撮影中のオートバイ事故で全身打撲の重傷を負う。左足の骨が砕けて筋肉に刺さり、復帰は絶望視された。第1回の放送で、本郷猛はベッドに固定され、ショッカーの手で改造人間にされる。その姿を、藤岡さん自身が病院のベッドから目にすることとなった。

 代役として「柔道一直線」などで人気を呼んだ若手に白羽の矢が立った。仮面ライダー2号、一文字隼人となった佐々木剛さん(63)は振り返る。「週7日ともスケジュールが埋まっていたし、子供番組から方向転換を図っていた時期で、正直言えば受けたくなかった。一番のネックは、劇団の養成所で同期だった藤岡の初主演作ということ。ケガしたところを奪うような形になるのがとてつもなくイヤでね」。どうせ視聴率も上がらず、ワンクールで終わる、と事務所に説得され、藤岡さん復帰までという条件で引き受けた。

 が、皮肉なことに新たに取り入れられた「変身」ポーズもあって人気は高まっていく。結局39回にわたって主役を務め、藤岡さんが戻ると、ダブル主演の提示を固辞、約束通り「看板」を返した。知る人ぞ知るエピソードは、今も熱烈な一文字ファンがいる由縁でもある。

 だがその約10年後、悲劇が佐々木さんを襲った。就寝中に火災が発生、やけどは顔面などに何度も移植を要する重傷だった。「ケロイドもだいぶよくなりました」と言うが痕は今も残り、口も昔のようには開かない。

 火事の後、仕事は途絶え、家庭は崩壊、家も失って、焼き芋屋や竹ざお販売などでしのぎながら、車の中で暮らす日々が続いた。「自暴自棄でした。カネが少しあると朝から酒飲んだりパチンコ行ったり」。焼き芋を売っていて「仮面ライダーやってた人でしょう」と言い当てられ、よく似てると言われます、ととぼけた日もある。

 役者仲間の支援もあって復帰、今は時代劇を中心に舞台で活動する。「今でもファンです、なんて目の前で泣かれたらね……。支えてくれるファンクラブの方は『佐々木剛を個人的に応援したい』って言ってくれるけど99・9%は仮面ライダーファンですよ」

 ライダーは心のふるさとみたいなもの、と語る佐々木さん。最後に、元祖「変身ポーズ」をねだった。当時に比べて20キロ近く太った、と笑っていたそれまでの表情が一変、「へーんっしんっ」と、両腕が寒風を裂いて弧を描いた。

…………………

誤摩化しは軋轢にも劣る

2011年01月27日 | Weblog
奇選手「猿まね」理由説明し謝罪、一件落着(読売新聞) - goo ニュース


本人が日本に向けた意趣返しだと「つぶやいて」いるのに、
「日本人に向けたパフォーマンスではない」を受け入れるのは間違い。
たとえ侮辱であれ、相手の挑発には乗らない、
誤摩化しの謝罪は受け付けないが、愚かしい謝罪要求もしない、
がまともな対応。

有耶無耶にするなら、
いっそ罵詈雑言が飛び交ってでも論争をやり合った方がマシ。

******

パクチソンは、
プレーも態度も大人。
洗練され近代化民主化された日韓関係を体現していた。

試合終了後、両チームが相手を讃え合う雰囲気もこれまでとは異なって、
非常に好感が持てた。

2011/01/25
試合内容以上に素晴らしい、
歴史的な日だった。



発信力の欠如

2011年01月22日 | Weblog
BBC番組がいかに二重被爆者を取り上げたか 彼らは何と言っていたのか(gooニュース・JAPANなニュース) - goo ニュース


謝罪になっていない謝罪文には、
彼等が何が愚かで酷いことなのか、
過ちを全く理解していないことが現れている。

稚拙で卑劣な曲解に対して、
政府としての対応のお粗末さとこれまでの発信力の亡さが、
こうした酷い過ちを許す元にもなっている。

同情を引くための被害者感情だけでなく、
人間として被曝の恐ろしさ戦争の愚かさへの警鐘、
訴えが足りない。

原爆資料館を見ても、
外国人へ全世界への発信の不十分さが顕著。

原爆必要悪。
おろかなロジックや脅しに盲従している奴らへ伝えるべき言葉を発していない。