父と義母が他界しました。
4月に父が余命を宣告されてからまもなく、5月に義母の急死。
この二ヶ月、私達の生活は大きく変わりました。
父の願いは「最後は自宅で家族に見守られながら逝きたい」でした。
前半は入院していましたが、途中から在宅診療を選択し、延命治療をせず、緩和ケアだけで
最後を自宅で看取ることができました。
なかなか親孝行出来なかった私ですが、最後の最後、父の望みを叶えてあげられたかな・・・
24時間態勢での看護、いつ「その時」が来るかの恐怖。
人間の機能がひとつひとつ閉じていく過程を目の当たりにする辛さ。
私なりに何とかやっていけたのも、やっぱり家族の支えでした。
父は入院中も在宅中もたくさんの方と話しをし、最後は苦しむことなく
家族の見守る中、静かに目を閉じました。
自宅で最後まで・・・・というのは日常の延長上で・・・・ということです。
いつもと変わらない家族の会話、テレビの音、食器や水道の音、
そんな当たり前の生活の延長で死を迎えることこそ、ほんとうの自然死と
言えるのかなと思いました。
義母は急死でしたので、後悔が残るばかりですが、
義母もまたいつも昼寝をするソファで、眠る延長で苦しむことなく逝ったようです。
嫁の私を娘のように可愛がってくれました。
きちんとしてて、地味でおとなしくて、美しい女性でした。
何より主人を産んでくれたことに、どんな感謝の言葉でもその気持ちを
表すことが出来ません。
気持ちに区切りをつけ、前を向いて進むことが何よりの供養ですね。
来週にかけて義母の四十九日の法要に出かけます。
4月に父が余命を宣告されてからまもなく、5月に義母の急死。
この二ヶ月、私達の生活は大きく変わりました。
父の願いは「最後は自宅で家族に見守られながら逝きたい」でした。
前半は入院していましたが、途中から在宅診療を選択し、延命治療をせず、緩和ケアだけで
最後を自宅で看取ることができました。
なかなか親孝行出来なかった私ですが、最後の最後、父の望みを叶えてあげられたかな・・・
24時間態勢での看護、いつ「その時」が来るかの恐怖。
人間の機能がひとつひとつ閉じていく過程を目の当たりにする辛さ。
私なりに何とかやっていけたのも、やっぱり家族の支えでした。
父は入院中も在宅中もたくさんの方と話しをし、最後は苦しむことなく
家族の見守る中、静かに目を閉じました。
自宅で最後まで・・・・というのは日常の延長上で・・・・ということです。
いつもと変わらない家族の会話、テレビの音、食器や水道の音、
そんな当たり前の生活の延長で死を迎えることこそ、ほんとうの自然死と
言えるのかなと思いました。
義母は急死でしたので、後悔が残るばかりですが、
義母もまたいつも昼寝をするソファで、眠る延長で苦しむことなく逝ったようです。
嫁の私を娘のように可愛がってくれました。
きちんとしてて、地味でおとなしくて、美しい女性でした。
何より主人を産んでくれたことに、どんな感謝の言葉でもその気持ちを
表すことが出来ません。
気持ちに区切りをつけ、前を向いて進むことが何よりの供養ですね。
来週にかけて義母の四十九日の法要に出かけます。