悪の淘汰は、制裁を持って成し遂げられるとき、加える側に悪意は芽生えるのだろうか。
「無痛」と聞いて子供を持つ親としては「無痛分娩」を想像させる。
「痛み」を伴わない「生み」は苦しみも伴わないのかというと・・・男なのでわからないw
「痛み」とは体の反応だが記憶や感情を自分の意思を無視して暴走させる場合もある。
「無痛」いわゆる「先天性無痛症」の場合、痛みに対する感情はないとしている。
痛みの感情を探して暴走する登場人物に痛みを感じる取り巻く人たちがどう対していくのか。
これは「先天性無痛症」に限らず、すべての病に共通するテーマだろう。
痛みは本人にしか感じられない症状。
痛みによる感情も同じ。
痛みを取り除くことで、患者から病気を遠ざけ、楽な余生を遅らせることができる。
痛い延命治療で苦しむことと、痛みのない余生を送ること。
終末医療のテーマは、そのままこの「無痛」という作品にこめられている。
真の医療とはなんだろう・・・
イバラの制裁に悪意はあるだろうか。
イバラに悪意という感情はあるのだろうか。
人が悪意という感情を初めて感じるのは「痛み」による反射的な感覚なのだろう。
イバラには「先天性無痛症」が引き起こす世の中の歪みからいじめを受け悪がくすぶり始める。
このイバラの感情は痛みを感じる人たちは理解できない。
悪の淘汰は、制裁を持って成し遂げられるとき、加える側に悪意は芽生えるのだろうか。
事後を考える手段を持たないイバラに悪意はないと法律は定めるだろう。
だが実際はどうなのだろうか。
病と法律と現実に対する人たちの手段と感情。
ちょっとグロテスクなオープニングだが、それ以上に後半はグロなんで苦手な方は気をつけましょう。
構成、内容、テーマ、どれをとっても一級品な小説であることは間違いないですが・・・
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