
■ 久しぶりに富士の裾野へ
年末年始の休み以来、一緒にキャンプへいっていない若き親友ユウキ君の希望もあって、6月の梅雨の真っ盛りの6月27日(土)~28日(日)に一泊キャンプを計画した。梅雨の中休みにうまくぶつかって実際にいかれたらもうけもの、当初はダメで元々くらいの気持ちでいた。
だが、この春小学4年生に進級してまた一段と頼もしくなったであろう友人のことを想像すると、半年ぶりのキャンプがどんどん楽しみになっていった。
たかが一泊だから、キャンプさえできればどこでもいいやというおざなりの気持ちはすぐに消えて、友人の家族をはじめてのキャンプ場へ案内した。富士山の裾野に位置するきれいなキャンプ場である。以前はよく利用していたが、理由(わけ)あってかれこれ10年以上のごぶさたになる。
富士の裾野のキャンプ場にありがちなのだが、ここもだだっ広いけど日陰を作ってくれる木立が乏しい。それでも6月だし、一泊キャンプだから多少の日差しはガマンしようということでこのキャンプ場へ出かけることにした。

■ いざとなれば現地で決めよう
親友のお父さんとは直前までメールで空模様の情報を交換しあった。予報は芳しくなく、われわれをずっと苛立たせた。しかたあるまい。梅雨のど真ん中である。予報士たちだって楽観的な天気予報などできるはずがない。
ぼくは公式の天気予報よりも自分の直感に頼った。数年前、梅雨の最中に仲間たちと本栖湖でのキャンプを計画して大荒れの予報に未練たっぷりで前日に中止を決めたことがあった。
いちばん遠い仲間は、女性ながら姫路から愛車で長駆やってくる。翌朝の東京の空の様子を見てからキャンプの実施を判断している余裕はなかった。はたして、翌日はピーカンの穏やかな絶好のキャンプ日和を迎えて唖然としたものだった。
今回の友人の一家は都心に住んでいる。最終判断は実施当日の27日の朝ということにして空が好転するのを祈った。それでもあやふやなときは現地判断でもいいという気になっていた。
そして、迎えたキャンプ当日まで、予報はこの日の前半は雨が残るものの、後半から翌日は好転するというものだった。曇空のもと、キャンプ道具の積み込みを終えて町田を出発して富士の裾へ向かった。
御殿場から第二東名へ入ると霧が高速道を包んでいる。祈るような思いで走る。幸い富士宮の市街地はまだ曇天の下にあった。

■ 霧から雨の中での設営
曇り空のキャンプ場へ着くと霧がにわかに沸いてきた。このあたりの霧は珍しくもない。そういえば、最後にここでキャンプをやったときも深い霧の中だったった。
思い出にひたるまもなく、小雨がぱらつきはじめた。急いでタープを張る。これさえすませれば多少の雨くらい怖くない。今回はせがれも同行してくれたのであっという間に設営が終わった。やっぱりムーンライトテントは手早く張れる。ムーンライトのシリーズが雨や風に強いことは30年来経験ずみである。
設営が完了すると同時に霧が晴れ、青空がのぞいた。まもなく、友人家族がお父さんのカングーで到着した。
すっかり背が伸び、大人びた顔つきになっ親友のユウキ君がカングーから飛び降りてきた。そんな彼の姿に目を細めていると、妹のユリちゃんがクルマから降りた。幼稚園の年中さんだが、お兄ちゃん以上の速度で成長を遂げている。
あとで聞いたのだが、幼稚園の年中さんではいちばん背が高いという。思わず見ほれてしまった。
自分の直感を信じて最後までこの日のキャンプを諦めずにいたご褒美が、孫のようなふたりのキャンプ仲間の成長を確認できたことだった。
夜は約束どおり持参した焚火台で焚火をしながら語り合った。キャンプはこのひとときのためにある。そんなキャンプの楽しみをあらためて思い出させてくれたのがこのご家族である。

■ 焚火にマシュマロが欠かせなくなった夜
夕飯は、簡単にバーベキューにした。みんなすごい食欲なのに、仕事が忙しくて寝不足気味のパパさんがいまひとつ元気がない。それでもユウキ君のお墨付きなのでフライパンを渡してチャーハンをはじめ、あれこれフライパン料理を作ってもらった。
きわめつけがデザートに用意してもらったマシュマロの焚火あぶりである。ユウキ君のママがアメリカ留学で経験したキャンプの究極の楽しみだった。
ぼくは食べもののなかで唯一このマシュマロだけを苦手にしている。あの触感がダメだし、独特の甘さもなじめない。最初は断ったが、あまりにもみんなが、「おいしい!」と叫び、「マシュマロの概念が変わった」などと騒ぐのでおそるおそるひとつ口にしてみた。
もうこれから、焚火にマシュマロが欠かせなくなってしまった。それほどの絶品だった。
もうひとつの収穫が、写真のような富士山の樹林帯の緑を実際に確認できたことである。杉並に生まれ育って、子供のころから遠くに富士山を眺めて育った。家の縁側からも西の方角には富士山があるのが当たり前だった。 だが、緑をまとった富士山を目にしたのはこれがはじめてである。この幸運は、夕刻の光にたまさか恵まれたからだろう。
たくさんの思い出をもらった梅雨の中休みキャンプだった。