レンキン

外国の写真と
それとは関係ないぼそぼそ

父のこと 5

2015年02月15日 | 父の話
父は色々と、何でもよく知っている人だった。
私は分からない事があるとまず父に聞き
そして大抵のことはそこで解決した。
勉強が全く出来なかった私と違い、
勉強で苦労したことはない、と言っていた。


私が思い出す父の姿は
本や新聞を読んでいる父、何か熱心にメモをとっている父だ。
新聞の空いたスペースやダイレクトメールなどの不要な紙には
いつも父の整った字でメモが書かれていた。
メモの内容はニュースで気になった単語や難しい漢字。
何回も、いくつも書いてあった。
そうやって記憶に定着させていたらしい。


私は中学生の頃、成績がびっくり悪かったので
父が勉強を教えてくれたことがあるんだけど
それはあまり良い思い出ではない。
覚える事、に苦労した事がない父は
全然覚えられない私が理解出来なくて苛立つばかりだった。
父の勉強方法は「理解は後でとにかく覚える」だったので
まず理解しないと話が始まらない私とは
のっけからスタンスが違ったのだ。


でもその事を説明しても
だからお前は成績が悪いんだ、の一点張りで
それはまあ、確かにそうだった。

父のこと 4

2015年02月15日 | 父の話
私は父に、父の病名を隠す気は全くなかった。
今どういう状況か、これから何をするかも全て話すつもりで
実際その通りにしたら、父はちょっと嬉しそうに
そうか、と言った。
私の予想は当たっていた。


父は決して強い人ではなかったけど
「そういうこと」は出来るだけ詳しく知りたいだろうな、
と思ったのだ。
これは父との36年間の付き合いの中で
なんとなく感じることなので、説明はし辛いんだけど
父は昔から自分のことをどこか他人事のように、
よく言えば冷静に見ている節があった。
悪く言えば、自分の事はどうでもいい人だった。


だけど父は私たち家族から見ると驚くほど身勝手で
自分本位な所があった。
これが父の人生の中に大いなる矛盾を齎していた。

父のこと 3

2015年02月15日 | 父の話
医師はすぐに
がんの治療が出来る病院への転院を勧めた。
私はその時に働いていた会社の社長が
がんの疑いで治療を受けた病院の事、その病院がこの地方では
がん治療で最も先進的であることを思い出し、
そこへ移りたいと思います、と言った。


その病院の名前は⚪︎⚪︎⚪︎(地方名)がんセンターといい、
そこへ移るということはもうなんの病気か
隠しようがなくなってしまうのだけど
私は全然躊躇しなかった。


父のいる病室に入って行ったら、
父は開口一番
「癌だろう?」と言ったので
私は「まあね」と答えた。