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自己流経済学再入門、その他もろもろ

「通貨燃ゆ」を再読し、スーザン・ストレンジを回顧する

2010-05-18 | Weblog
谷口智彦著「通貨燃ゆ」が文庫化(日経ビジネス人文庫)されたので、久しぶりに再読してみました。国際政治経済学International Political Economyの視点から国際通貨制度を読み解いていく手法が小気味よい好著ですが、著者の敬慕するスーザン・ストレンジの人物像に関する記述が興味深いので、今回は(メインのストーリーでなくて恐縮ですが)そちらを取り上げます。

スーザン・ストレンジといえば「カジノ資本主義」や「マッド・マネー」等の著作で著名な国際政治経済学者であり、「構造的権力」(国家が、他の国家や企業集団等とどのような関係を結ぶかを決定する枠組みとしての力を指す)をキー概念とする国際通貨制度の研究で著名です。しかし、そのアカデミック・キャリアはかなり特徴的なものです。以下は経歴は「通貨燃ゆ」および英国ウォリック大学Centre for the Study of Globalization and Regionalizationのニュースレターに掲載されたObituaryに拠ります。

・1923年 ドーセットに生まれる
・バースのRoyal SchoolおよびLondon School of Economicsに学ぶ
・卒業後、Economist誌の記者となる
・その後、Observer誌のワシントン特派員となり、ホワイトハウス詰めの最年少記者となる(10年ほどのワシントン勤務の後、1949年までニューヨークの国連特派員を勤める)
・英国に戻り、Observerの経済記者を続けると同時に、University College, Londonにて国際関係論を講じる(1949-1964年)
・このとき既に2人の子どもを持つ母親であり、1955年には再婚し、その後4人の子どもをもうける(Obituaryによれば、"As she would tell anyone who cared to listen, her then Head of Department would continually complain about her always being pregnant."とのこと)
・1965年(43歳) Royal Institute of International Affairsのリサーチ・フェローとなる
・その後、チャタム・ハウスのTransnational Relations Projectのディレクターとなる
・1971年(48歳) 最初の著作Sterling and British Policy上梓
・1974年(51歳) British International Studies AssociationをAlistair Buchanとともに設立
・1978年(55歳) London School of Economicsの国際関係論教授に就任、10年間その地位に留まる
・彼女は学部生向け講義はあまり得意ではなかったようだが、Ph.Dの学生のスーパーヴァイザーとしては極めて高い評価を得ていた模様
・1986年(63歳) Casino Capitarism(邦題「カジノ資本主義」)上梓
・1988年(65歳) States and Markets(邦題「国家と市場」)上梓
・1989年(66歳) フィレンツェのEuropoean University Instituteの国際政治経済学教授となる
・Rival States, Rival Firms: Competition for World Market Sharesを刊行
・5年間、Europoean University Instituteに勤務した後、Warwick Universityで国際政治経済学を講じる
・1995年(72歳) 米国International Studies Association (ISA)初の女性会長となる
・1998年(75歳) Mad Money(邦題「マッド・マネー」)刊行
・同年 肝臓がんにより逝去

彼女のアカデミック・キャリアの原点がジャーナリスト時代にあったのは明らかですが、真に生産的な時期を迎えたのは、実に60代も半ばになってからです。国際政治経済学は、経済学と政治学というestablishedな学問分野の狭間にあって、市民権を得るのに苦労があったようですが、その学際的なアプローチを大成させたのは、むしろストレンジがアカデミズムの傍流に位置していたからかもしれません。

また、Obituaryでも"Moreover, her family was an integral part of her academic life."と述べられているように、彼女は家庭生活においても充実した人生を送った人のようです。再び、Obituaryから引用します。

Married twice, she is survived by her husband Clifford Selly and five of her six children whom she described in her ISA Presidential address ‘as wonderfully tolerant and affectionate to her...a liberation.’