Good Life, Good Economy

自己流経済学再入門、その他もろもろ

ライフワークとエディターシップ

2009-07-26 | Weblog
外山滋比古氏の「ライフワークの思想」(ちくま文庫)、タイトルにつられて購入しました。人生の後半をいかに充実させるかというテーマは、先日エントリーした「遅咲きのひと」(足立則夫著)にも通じるものがあって興味をそそられます。

ライフワークに直接関連する論稿は、第1章「フィナーレの思想」に収められた「ライフワークの花」と「フィナーレの思想」の2つのみですが、いずれも味わい深い小品です。

著者は人生80年のうち、10歳から45歳までを往路、45歳から80歳までを復路とみて、45歳をマラソンでいう折り返し点と位置づけています。ところが「サラリーマンの多くは、帰ってきても、前に進むことしか関心を示さない。前進だけがこれ人生と思っている。これではいつまでたっても、人生のゴールに入れない。」

実際、人生の行程は紆余曲折はあっても直進する時間を前提として認識されるのが普通でしょう。しかし、著者によれば人生は円環する時間のなかにある。折り返し点を過ぎれば、自分の原点を目指して進むことになる。ここに価値観の転換があるわけです。逆に、折り返しなしにひたすら前進する人は年とともにつまらない人間になってしまう、とのこと。

では、どうしたらライフワークを実らせることができるか?
著者の箴言を連ねてみると、

・何もしないでボーッとした時間をつくる。
・空白の時間から、自分の知的関心をそそるものを探し出す。
・それは当面の仕事となるべく関係のないものが望ましい。つまり、囲碁の布石のようなもの。
・人生の収穫期に達したとき、その布石が生きてライフワークに結実する。

なるほどー、という感じですが、もう少し具体的な方法論がほしいような気もします。個人的には、そのヒントになるのが第2章「知的生活考」で展開されるエディターシップ論ではないか、と思っています。いわく、現代人の生活は雑誌の中味のように多元的であり、人はめいめいの人生のエディターでなければならない。編集の巧拙によって、「人生の雑誌」のおもしろさは違ってくる。

さらに著者は「学習における編集理論」を展開します。知識はバラバラに頭のなかに入ってくるが、それを統合するにはどうしたらよいか?実は、知識を頭に定着させるために、人は無意識に「編集」を行っている。おもしろいのは、幼いときに聞いたお伽噺が編集の有力なモデルとなっているらしいという指摘。人は知らず知らずのうちに物語性のモデルを頭のなかに組み込んでいるというワケ。こうした編集統合は人それぞれ独自のものであるゆえ、与えられた知識はそのまま頭に刻み込まれるのではなく、編集という「第2次的創造」を加えられていることになる。

ここまでくると、最近の脳科学や認知科学の本の祖型のようにも思えますね。オリジナルは30年以上前に書かれているので、いかに先駆的な内容であったかが判ります。


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