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自己流経済学再入門、その他もろもろ

10,000時間ルールと「遅咲きのひと」

2009-06-04 | Weblog
Malcolm Gladwellは著書Outliersにおいて、様々な分野において抜きん出た成功を収めた人たちの経歴・生育環境を調査し、著しい成功をもたらす要因は何なのかを探っています。その中で紹介されているのが(すでにかなりそこここで言及されておりますが)「10,000時間ルール」、即ち1つのことに抜きん出るためには10,000時間の投入が必要だ、という法則です。1日平均3時間の投入で、9年強かかる計算です。天才と呼ばれる人は子供の頃から1つのことに集中的に時間を投入している、というのがここでのポイントなのですが、そこから直ちに別の疑問が湧いてきます。「では、普通の人が大人になってから何かを始め、その分野で抜きん出た成功を収めることは可能か?」

そこで取り上げるのが、足立則夫著「遅咲きのひと」(2005年、日本経済新聞社)。ちょっと前の本ですが、日経新聞の連載コラムを1冊にまとめたものですので、ご存知の方もいるかもしれません。ある程度の高齢に達してから成功を収めた人(かならずしも物質的な成功ではなく、「充実した人生を過ごした」という意味合いが強いのですが)51人の人生(半生)を綴った本です。ピタゴラスやダーウィンから、瀬戸内寂聴や日野原重明に至るまで多様な時代の多様な人物が取り上げられていますが、その中から印象的な人物を何人か拾ってみます。

まずはグランマ・モーゼス。米国の画家です。

1860年、ニューヨーク州の農家に生まれる。
12歳から15年間、農家に住み込んで働く。
27歳で結婚。10人の子を産む(うち5人を亡くす)。
以後、育児と農園経営を続ける。
66歳で夫が死去。
70歳頃、リウマチにかかり手指が自由に動かなくなる。その頃から絵を書き始める。
75歳、初めて油絵を描く。
80歳、ニューヨークの個展で脚光を浴びる。フォークアートの第一人者に。
101歳で死去。およそ1600点の作品を残す。

グランマ・モーゼスは本書中でも極めて稀なケースです。70歳まで絵のキャリアはまったくなかったにも関わらず、絵画の世界で第一人者となりました。世の脚光を浴びたのが80歳ですから、大成するまでちょうど10年。投入した時間がどの程度かは判りませんが、10,000時間は可能な年数です。

続いて民俗学者の吉野裕子。

1916年、東京に生まれる。
津田塾大学卒業後、学習院女子短大で英語講師を務める。
その後、専業主婦に戻る。
趣味で日本舞踊を習う。
「なぜ日本舞踊で扇を使うのか?扇の起源は何か?」という疑問を抱いたことから、50歳で民俗学の研究を開始。
53歳、「扇」という本を上梓。
60歳で文学博士号。
以後、矢継ぎ早に作品を発表。日本民俗学の第一人者となる。

このケースも、50歳から民俗学の世界を志したという点ではかなりのスロー・スターターだと言ます。博士号の授与が60歳ですから、やはり研究開始からちょうど10年で大成しています。
しかし、注目すべきは短大の英語講師を務めていたという点でしょう。おそらく、その頃から学びのディシプリンを十分身に着けていたと想像されます。終戦後、苦学して8年かけて津田塾を卒業したことも、その証左といえます。これらの経験が、その後の研究生活の礎となっているのではないでしょうか。

本書で紹介された51人のうち、グランマ・モーゼスのように高齢になってから、まったく新しいキャリアを築いたケースは稀で、ほとんどは若い頃に培ったキャリアを生かす形で大成しています。例えば、俳人の与謝蕪村は20歳で俳諧の道を志しますが、宗匠になったのは55歳、彼の作品のうち6割は60歳を過ぎてからの作だといわれています。そう考えると、やはり累積投入時間はかなり重要な要素であることが推察されます。

51人の事例を定量的に分析できれば面白いのですが、モーゼス、吉野のケースのようにキャリアの始期と大成した時期を特定できないケースが多いので、それは断念。代わりに、目につく点を2つほど挙げると、

・結婚や離婚、病気、メンターともいうべき人物との出会いなどが画期となるケース多し。
・好きなことに思い切り時間を投入できる環境に身をおいて成果を出したケースもまた多い(東京都の局長職を辞して作家になった童門冬二、新聞記者を辞めて作家を志した横山秀夫、隠居後に後世に残る仕事を成した伊能忠敬など)。

最後に著者自身が語る「遅咲きの生き方」をするための5つの心得を紹介します。

1.伴侶や近隣とのコミュニケーションを図る
2.目標を持つ
3.みずみずしい心を失わない
4.足腰を鍛える
5.経済基盤を整える


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