Good Life, Good Economy

自己流経済学再入門、その他もろもろ

再び、ライフワークについて

2009-08-08 | Weblog
前回、ライフワークについて書いたので、その続きを少々。

ライフワークと一口に言っても、仕事がそのままライフワークとなるケースもあるでしょうし、趣味が高じてライフワークの域に達するといったケースも考えられます。どちらも同じくらい重要といえますが、後者にフォーカスした場合、「余暇」をどう過ごすかがキーポイントとなるでしょう。

経営コンサルタントにして哲学者であるジョシュア・ハルバースタムは、その著書「仕事と幸福、そして、人生について」(ディスカバー、2009年)において、「時間管理の本質とは、余暇を管理すること」と喝破しています。さらに引用すると、

”仕事は外向きの創造であり、余暇は内向きの創造だ。余暇はレクリエーション (recreation)ともいうが、余暇で再生(re-create)するべきものは、わたしたち自身のスピリットだ。よい仕事をすればそれだけ世界を豊かにすることができるのと同様に、よい余暇を過ごせば自分自身を豊かにできる。”

そして充実した余暇を過ごす妨げになる元凶として、テレビの見すぎを挙げています。
(これについては出版者あとがきにもあるように、原著が2000年発行ゆえに、やや古さを感じさせます。同あとがきでは、今ならネットやゲーム、ケータイのほうが影響が大きいのではないかと指摘しています。)

ブルーノ・フライとアロイス・スタッツァー著「幸福の政治経済学」(ダイヤモンド社、2005年)によれば、余暇活動のうち、「抑鬱や不安を軽減させるスポーツ活動や、社交クラブ、音楽・演劇団体、スポーツ・チームへの参加といったグループ活動」は特に満足をもたらすのに対し、最もポピュラーな余暇の過ごし方であるテレビについては、「テレビの見すぎは不幸との相関関係を示している」としています。

しかし、同書において余暇と幸福の関係を述べた箇所はわずか十数行であり、雇用・失業と幸福の関係や、同書の著しい特徴である政治制度・政治参加と幸福の関係に関する記述と比べると、その分量の差は歴然としています。

これは別に同書の責任ではなく(同書は、いまだに日本語で読める幸福の経済学研究のなかでは最も包括的な文献です)、先行研究の蓄積の差、ひいては現代人の生活における余暇と仕事のバランスの不均衡の反映ということになるでしょう。余暇の質についての研究には、まだ深める余地が残されているようです。